劇場公開日 2002年2月2日

「不完全燃焼の残り香」ピアニスト 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0不完全燃焼の残り香

2022年11月5日
iPhoneアプリから投稿

ハネケらしく意地の悪い映画だが『ファニーゲーム』ほど露悪に振り切れてはいない。ただそれは言うなれば物語がブラックユーモアという解放に転化しうる可能性を自ら断ち切り、不安と焦燥を抱え込みながらやがて訪れる破綻へと着実に歩みを進めていくことに他ならない。それゆえフラストレーションの溜まり具合でいえば『ファニーゲーム』を凌ぐ、と個人的には思う。

エリカとワルターは常にすれ違い続ける。お互いの愛の波長が重なり合うことはなく、一方の渇望と一方の拒絶が虚しい空転劇を演じ続けるばかりだ。エリカの倒錯趣味やワルターの暴力描写が目立つせいで、本作はあたかも特殊性癖の倒錯者同士が織り成す突飛で滑稽な見世物のような印象を受け手に与えるが、そうした装飾を剥ぎ取ってみると意外にも素朴で普遍的な愛憎のすれ違いドラマが物語の中心に鎮座している。

ただ、そういう使い古された主題をここまでセンセーショナルに、なおかつ性急すぎる露悪に陥らないくらいの良識を持ちながら調理できるところにミヒャエル・ハネケのすごさがある。エリカの異常性癖も過保護でヒステリックな母親とピアニストという禁欲的職業という周辺性とうまいこと釣り合いが取れており、それゆえアメリカ映画のbitchのような単に奔放な性欲主義者とは明確に一線を画している。

ラストシーンでエリカが自分の胸部にナイフを突き立てるシーンは鮮烈だ。寄る年波、肥大化する自意識と支配欲、そして最愛の男。その全てに裏切られた彼女が死に向かうのは必然だ。それでも彼女はその場で倒れ込むことはせず、自力で音楽ホールを脱し、どこかへと去っていく。彼女を生にしがみつかせる何かがまだこの世に存在しているのか、あるいは格調高き音楽家としての彼女の強烈な自意識が音楽ホールという聖域での頓死を無意識的に拒んだのか、いずれにせよ無人の出入口を移し続けるショットには不完全燃焼のまま途絶した恋の痛切な残り香が燻るばかり。

因果