真珠の耳飾りの少女 : 映画評論・批評
2004年4月1日更新
2004年4月10日よりシネスイッチ銀座ほかにてロードショー
芸術作品の裏側に潜む静謐な官能
「恋におちたシェイクスピア」と同じく、芸術作品完成の裏側に「あったかもしれない」ドラマを紡ぎ出す意欲作だ。フェルメールの同名絵画は「どうやって描いたのだろう」という興味を誘わずにはいられない作品であり、そこから広がった想像力の翼は、実に素晴らしい羽ばたきを見せる。
まず驚くのは、エドゥアルド・セラの撮影による画面の密度である。フェルメールが絵筆で実現した、柔らかい光と影のコントラスト。それを見事に再現し、一瞬一瞬の映像が、そのまま1枚の絵画のよう。17世紀の風俗と空気が感じられ、息を飲むような美しさ!
そしてドラマの吸引力に、また驚く。画家の家にある静謐なムード、息詰まるような閉塞感と緊張感。そんな中で使用人の少女、グリートの色彩感覚を見抜き、創作意欲をかき立てられていく画家。そんな彼の態度に疑念を抱き、少女につらく当たる嫁と姑。画家と少女の距離感が、なおさら想像力をかき立てる。台詞は極端に少ないのだが、視線や息づかい、「間」のすべてに官能がにじみ出し、心理的サスペンスがみなぎっているのだ。
静かなエキサイトメントを呼ぶ、極上の1本。スカーレットの顔が、だんだん絵画の少女そっくりに見えてくるのもマジカルだ。
(若林ゆり)