嫌われ松子の一生のレビュー・感想・評価
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万華鏡のような映画‼️
公開当時、今作を劇場で鑑賞した時、日本映画がハリウッド映画に勝つ方法をこの映画は提示してると思った‼️まず物語としてはヒロイン、川尻松子は成長して中学校教師になったものの、教え子が起こした窃盗事件の罪をかぶり20代で仕事をクビ、家族とのモメ事から実家を出る。そして様々な男との出会いと別れを繰り返し、トルコ嬢にまで身を落とし、ついには同棲中のヒモ男を殺した罪で刑務所行き、そして出所後に悲劇が・・・‼️もうホントに中島哲也監督の才気爆発‼️かなり悲劇的な物語なのに、2時間10分、すべてのシーンがエンターテインメントに溢れてる‼️笑いあり涙あり、斬新な映像あり、絢爛たるミュージカルシーンやアニメーションだったりと、様々なエンタメの要素を凄まじいスピード感で魅せてくれる‼️冒頭の松子の甥役・瑛太の独白のシーンから木村カエラの歌唱、柴咲コウとの別れ話、片平なぎさの「火曜サスペンス劇場」まで、エンタメ濃度が濃すぎ‼️続くタイトルバックは夕陽に向かって翔んでゆく鳥たちやタイトルのフォントまで、まるで「風と共に去りぬ」みたい‼️デパートの屋上の遊園地のステージ・ショーのレトロ感‼️暴力男から解放され、新しい恋人が出来た松子が歌い踊る「Happy Wednesday」はまるでMGMミュージカルのような素晴らしさ‼️そして松子のトルコ嬢ライフを彩るボニーピンクの「LOVE IS BUBBLE」の歌謡曲風&ディスコティック風な演出‼️「松子からの連絡なし」の日記で泣かせる柄本明のお父さん‼️AIの楽曲に乗せてミュージカルで描かれる刑務所のシーン‼️ヤクザの龍洋一を想って松子が歌う五輪真弓の「恋人よ」‼️そして昭和から平成にかけて光GENJIが巻き起こしたアイドルブームの一端も垣間見せてくれる‼️まだまだ挙げていったらキリがないほど魅力的なシーンの連続‼️まるで万華鏡のような映画ですね‼️そして松子を演じる中谷美紀さん‼️変顔からミュージカルシーン、ラブシーンに至るまで体当たり過ぎる熱演‼️彼女なくしてこの作品は成立しなかったでしょう‼️松子の人生は不幸すぎる人生だったのかもしれない‼️でもどんな不幸な人生にも輝いてる瞬間がたくさんある‼️そんな映画ですね‼️
人間の価値って人に何もしてもらったかじゃなく、何をしてあげたかってことだよ‼️
僕には彼女の生き方が理解不能。
原作はベストセラー(僕は知らなかったが)、そして主演の中谷美紀はこの作品で多くの賞を獲った、ということだが正直全く僕の好みには合わず。主人公のその時々の意思決定のプロセスが理解できない。変顔をして親を笑わせようというのは理解できてもそういう場面でない時にもしてしまうのは何故か?何故こんなにクズ男性ばかりと付き合ってしまうのか?何故妹にこういう接し方をしてしまうのか?一番理解不能なのは修学旅行の時のお金の紛失の事後処理。最後の最後はハッピーエンドっぽい雰囲気もあったがそれまでの人生が悲惨すぎて焼け石に水(❓)という感じ。"曲げて伸ばして"という懐かしい感じの歌は昭和のいつ頃の作品だったのか、と後で調べてみたらオリジナルは英語の曲だった。
松子の人生の「勝利」の瞬間
悲しい映画だの、救いが無いだの、もっぱら松子の一生を悲観的にとらえた感想を聞くことが多いけど、この映画は「勝利」の映画と言って差し支えない。
なぜなら、松子は最後の最後に自分自身を取り戻すからだ。
「嫌われ松子の一生」は、女の子の幸せという呪いを描く映画なのである。幼少期の松子自身が語るように、「女の子なら素敵な王子様に迎えに来てもらいたい」。言い換えれば「愛されない女など無に等しい」という一方的でなんの根拠もない価値観が、どれだけ松子を蝕んだのかを描く物語。
松子の関心は常に自分を愛してくれる他者に向けられ、「どうすれば私、愛される娘になれるの」を問い続ける。
松子の「愛される」という価値観も古いが、愛される女の条件もまた輪をかけて古い。
なんと言ってもオープニング、キャストのレタリングが古いハリウッド映画そのものなのだ。
「風と共に去りぬ」や初期ディズニー映画のような、ガチガチにクラシックなオープニングがこの映画のテーマをハッキリと突きつける。
白馬の王子様を待つ女の子の物語ですよ〜、と始まるが、展開は全く異なるのだから。
松子の「王子様シンドローム」はかなり深刻で、同僚の教師・佐伯への身の上話や光GENJIの内海宛ファンレターのように、自分の全てを知ってもらいたがるのは「私の人生はこんな感じです。後は貴方についていくのでよろしくお願いします」という丸投げだ。「私」の取説は渡したから、後は貴方が面倒見てね、という訳。
ハッキリ言って重すぎる。
かと思えばトルコ風呂では指名を得るテクニックとして店長に「足腰の筋肉が重要だ」と言われ、スクワットに励む。
プロのテクニックが廃れても、店を辞めても、刑務所に入ってもスクワットを続ける。
指名の1位、言わば愛された実績としての成功体験が松子にスクワットを続けさせるのだ。
止め時のわからない女なのである。
本当の松子は、愛される事より愛することの方が上手な女だったのではないかと思う。
父の愛を一身に集めた妹の久美のために、ベッドを手作りのガーランドで飾ったのは松子だ。
同じ飾りが荒川近くの松子の部屋にもある。
久美はそんな松子を慕い、松子が帰ってくることを願った。
誰からも愛されないと感じていた龍を愛したのも松子だ。龍の行動がきっかけで「人生が終わった」と思ったのに、誰よりも龍を愛した。
自分が求める「おかえり」を、龍に与えようとした。
なのに、松子があまりにもイイ女だから、憎むべき自分を愛してくれる女だから、龍は松子を幸せにするために松子を捨ててしまう。
重たすぎる上に、止め時も下手な松子なのである。
愛されるために、これ以上ないくらい頑張って、頑張り過ぎて捨てられる。恐ろしいほどの負のスパイラル。
それもこれも、前提が間違っているからだ。愛されない女は無などではない。王子様が迎えに来ないなら、王子様じゃない男を(なんなら女でも)捕まえに行けばいい。王子様なしの人生でもいい。
もしも松子がそう思えていたなら、きっと松子の一生は違っていた。そう私が感じた時に、やっと松子は覚醒したのだ。王子様無しでも「私まだやれるわ!」と。
覚醒したからこそ、松子は命を落としたと言えるかもしれない。しかし、自分自身がどういう人間なのか、自分は何の為に生まれてきたのか、はっきりと掴んだ松子は一歩ずつ階段を登っていく。
シンデレラが王子様に迎え入れられるように、久美の「おかえり」を聞くために。求めていた愛をいっぱいに浴びるために。
評判が良いのは知ってたけど、なかなか観る気になれなかった私だが、映画の公開が2006年と知って「むしろ今頃になってから観て良かったのかも」と思った。
最近の女子映画の勃興を背景にこの映画が作られたのなら納得だが、15年前だとちょっと早すぎるテーマだ。
時代がやっと中島哲也監督に追いついて来たのかもしれない。
不幸過ぎるが重くない
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ある青年が叔母が存在していたことと、最近死んだということを知る。
興味がわいて叔母・松子のことを知ってる人達の話聞き、その人生を追う。
松子は教師だったが、盗みを働いた生徒に濡れ衣を着せられる。
これにより教師をクビになり、ここから転落人生が始まる。
とにかく男運がないというか、きっと駄目な男が好きなのだろう。
何度も裏切られるわ、殴られるわ、ある日感情的になって恋人を殺してしまう。
で服役先で唯一の友人と言える女(後にAV女優)と出会う。
出所後、美容師をしたり風俗で働いて生計を立てるも、やはり男運がない。
昔自分に濡れ衣を着せた生徒(今はヤクザ)と再会し、恋仲になる。
でもこれがまたクズでしょっちゅう暴力を振るわれる。
前述の友人が助けに来てくれるが、松子はクズ男を選ぶ。
その後このクズ男は何か不義理をやってヤクザから狙われるようになる。
松子と共に潜伏していた旅館はすぐにバレ、警察に保護してもらった。
男は刑務所に行き、松子は出所を健気に待ち続け、当日迎えに行く。
が、誰からも愛されたことのないクズ男はどうして良いかわからなくなり逃走。
やがて人生の目的を失ってブクブク太った松子は偶然友人と再会する。
友人は美容院を経営して成功しており、雇ってやると言ってくれる。
が、松子は自分の無様な姿を見られたくなく、逃げるようにして帰る。
家に帰った松子は再考し、改めて美容師としてやり直そうと決意する。
が、感情的になって名刺を河原に捨ててしまっていたのを思い出した。
深夜にも関わらずそれを探しに行き、見つかった。
が、ここで頭の悪い中学生達に注意した事を逆恨みされ、殺された。
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なかなかショッキングな映画。
どこまで不幸が続くねんとしか言いようがない。
でも最初の濡れ衣は運が悪かったとして、それ以降は松子自身の弱さによるもの。
とにかく駄目な男が好きな奴っておるんよなあ。
また寂しくて仕方がなかったのだろう。
殴られようが、裏切られようが、1人よりはマシって独り言を言ってた。
実に健気である。おれがこいつを守ってやりたいと思ってしまう。
でも現実には無理なのだろう、だってコイツは駄目な男が好きなだけなのだから。
普通に生活力のある平凡な男じゃ、退屈して松子の方から去って行くのだろう。
それにしても中谷美紀はまさしくハマり役だったと思う。
その体当たりの演技に好感が持てた。
この人、普通の女優なら敬遠しがちな恥ずかしい役でも受ける。
柴崎コウなんかもそうやが、そのプロ根性には頭が下がる。
基本的に悲劇なんやが、コメディタッチな部分もあってそんなに重くない。
また風俗・殺人といった重苦しいはずのキャラにも関わらず、
共感することが出来るし、可愛らしくさえ感じる。
それは彼女の生き方に嘘がないからなのだろう。
アホやし愚かやけど、人間的には間違えているとは思わない。
普通にサラリーマンやOLとして小器用に生きるのが正しいってわけではない。
不器用ではあるが真実の人である。社会はこのような人にとっては生きにくい。
神になぞらえるシーンがあったが、わかるような気がした。
いつくしみ深き友なるイエスは
団塊の世代の松子さんは世紀をまたげずに、この世から去ることになった。
この世代がみんな天国に召されれば、日本はどんな国になるのだろう。
生きている66歳として、
ご冥福をお祈りします。
追記
りゅう君は今年66歳になる。あと8年すれば、松子さんに会えるよ。
追追記
讃美歌『いつくしみ深き友なるイエスは』がこの映画の主題だ。僕もこの歌を合唱で歌った。当時は『輝く星座』とか題していたと記憶する。もっとも、先生は優しかったが、大正生まれのお婆さん先生だった。でも、数少ない良い先生で、僕は暫く合唱に凝っていた。
どうしようもない人生の救い
父親との愛着障害を持った女性が、父親の承認を求めてろくでもない男に一生引きずり回される。最期もどうしようもない死に方。
過酷な人生だが、明るい演出のおかげで笑い泣きしながら見れた。
親に認められたいと思ったことがある人が観ると、思い当たる節がありすぎて辛すぎる。途中で観るのをやめようかと思うくらいキツかった。
でもラストでそんな松子をみんなが思い出しているのを見ると、人生生きる意味も意外とあるのかもしれない。
この作品が好きならこのレビューはパスしてください
星は5つつけましたが、実はあんまり松子好きになれないんだなあ。
映画のせいとかいうことでなく、原作の時点でそうなので映画の評価とはちとズレますね。
一言で言えば、松子はだめんずウォーカーじゃないですか。
その手の話はまったくの笑いネタとして聞く分には楽しいけれど、当事者の視線に立つとなると全くその素養が無いもので、共感しにくいのです。
松子をすごく持ち上げているけれど神様までいうのはどうかなってところもあり。
松子は確かにそのときそのとき一生懸命だとは思う。
彼女は究極の幸福を求めて100%愛な瞬間を短くとも味わって、またそれを求めてのさすらいであるわけだ。
その分不幸も激しい。
でも松子自身も言ってるように幸せなんでしょう。
はたから見てどうかはまた次元の違う話。
しかしねえ、松子の周りの人はどうでしょう?
例えば弟。父。
そりゃあ松子に比べれば地味で面白みのない人生のようではある。
が、彼らだってMAX80%くらいであっても幸せ感じることもあるだろうし辛いこともそれなりにあってみんな、松子だけでなく、頑張って生きてるじゃん!?
松子と他は、針の触れ幅が違うだけではないか。
どちらも正負はプラマイ0じゃないかなあ。
それを、神様って…。
あくまで映画の人物がそう感じた、で終わればいいがなあ。
松子が自分の周りにいたら?
あんまり友達にもなりたくねえっす。
彼のため、愛のため、そう自分では言ってるけれども
それが相手にどう影響するかとか
重荷じゃないかとか、相手の気持ちあんま考えてない。
松子は実は「愛のためにがんばってる私」が一番好きなナルシストじゃないかなあ。
ひねくれて受け取りすぎかしら。
映画化する前に原作は読んでました。
原作段階で「なんやかや言っても不幸好きな女の話」て気がして
あんまり好きではなかった。
中島監督は「あんまりにも不幸すぎて逆に笑ってしまった」と
原作について言っている。
その感覚が私は凄く好きで、
映画もいったいどんなふうになるのかとワクワクした。
映画は想像以上だった。
どよんとしたドドメ色みたいな松子の話が
こんなにもセンチメンタルで
ビビッドで笑い泣きにまみれた
ワールドになるなんて!
ブラボウ!
こんな映画になって、松子は幸せもんである。
結局松子を応援しようって気持ちが生まれちゃうからな。
くやしいことに、やはり☆5つ!
この監督さん好きだなあ
主演の女優さんがどの年代でも本当にその歳に見えるのが凄い。ことごとく男運が無いし男よりも大事にすべき物を見失うのが上手すぎる。このとことん鬱な展開も松子によって喜劇にされている。1番好きなシーンは男と薬で心中しようとしたのに「無理だ」って吐いちゃうシーン笑ってしまった。そういうクスッとする要素が多い鬱なのに笑ってしまう映画。最期の終わりはそれが1番幸せだったんだろうなって終わり方。人生を狂わされるきっかけの相手とまた会ってそれまた狂わされてる安っぽい運命だよ本当に笑
これをきっかけにこの監督さんは覚えたし他の作品をもっとみたいとおもった。
涙が止まりませんでした。
最初から最後まで涙が止まりませんでした。
心苦しくなる作品でした。
嫌われ松子の一生、悲しすぎます。。。
かわいそうと同時に、ただただ素直に生きていただけだった松子。
お父さんが大好きだった松子。
いつも空回りしてしまう松子。
波乱万丈な生活に涙涙です。
自分自身と重ね合わせてしまうところもあり、共感されるところもどことなくありました。
作品の中で、「人の価値とは、人に何をしてあげられたか?」というメッセージがあります。誰かに支えられてると同時に私は誰かに何かしてあげられてるかな、なんて‥考えさせられました。生きてるうちに誰かの役に立てるような人間になることは、一生の課題ですね。。。
なんといっても中島監督の作品は、色鮮やかというか、、心にまっす突き刺さる作品ですね。
中島監督の作品 が好きな方は、
「パコと魔法の絵本」「告白」「渇き」もオススメです!!
こういう転落人生は実際ある。そして這い上がることなく死を迎える。
演技はもとより、音楽や衣装、時代背景、映像の使い方等細部までよく練られた作品だと思った。昭和の時代のカルチャーや出来事が随所に登場し、日本の近代史を見ているような感覚でもあった。
内容に関しては、こういう転落人生は実際あるのだと思う。その人の根本が悪くなくとも運や成り行きで人生や家族との関係は崩れることはある。そして人生は一度転落すると上がってこられないことが大半だと思う。誰かと映画館に行って気持ちよくエンディングを迎えられるような映画ではないが、人生について多くのことを考えさせられる映画であることは間違いない。
より細かいところでは、松子は誰かを愛するのだが、愛する男のめぐり合わせが悪いということもあるように思う。ダメ男を好きになる傾向という点では必然なのかもしれないが、そういう男運のない女性も実際いるし、そんな人にとっては遠い世界の話ではないのかもしれない。
うまく言えないが、他の多くの映画とは、何か異質なものを感じる映画であったが、忘れられない強いインパクトが残る映画でした。
川尻松子(1947-2001)の一生
ミュージカル仕立ての一代記。
平成13年7月10日(逝去)
午後三時の
渋谷 スカウトマンと女子高生
幕張 ジムで汗を流す女?
新宿 バーで飲んだくれる男
荒川 土手で倒れている女
荻窪 居酒屋で飲んだくれているカップル
原作読んでないのでなぜこういう構成なのかわからないが、こういう感じで映画は始まる。非常にスピーディな、的確かつ短いショットでたたみこむ。
松子が実家の川尻家を出て30年。WEB資料によると中学校教師であった期間はわずか一年半。小説家の卵との同棲を経て、トルコ嬢になりヒモ殺しで女子刑務所に服役するまで二年弱。刑務所が八年。8歳年下のもと生徒の龍洋一と運命の再会するもヤクザになっていた洋一との暮らしは短く、荒川土手のアパートで12年間一人暮らし。光GENJIのファンであったらしい。この間ほぼ、引きこもり。
キャストが多い。松子の一生に関わる重要人物が
それぞれ濃いキャラ作りをしてきているので、画面はものすごく濃いのだ。
製作 東宝、アミューズ、TBS、幻冬社、博報堂MP
監督 中島哲也
原作 山田宗樹
主演 中谷美紀
奥ノ矢佳奈、柄本明、市川実日子
香川照之、木村緑子、濱田マリ
瑛太
黒沢あすか
BONNIE PINK
木村カエラ
土屋アンナ
蒼井そら
柴咲コウ
片平なぎさ
大久保佳代子
山田花子
あき竹城
木野花
谷原章介
カンニング竹山
宮藤官九郎
劇団ひとり
谷中敦
武田真治
荒川良々
伊勢谷友介
ゴリ
本田博太郎
田中要次
マギー
角野卓造
甲本雅裕
嶋田久作
木下ほうか
美しさと切なさと楽しさと悲しさの間
当時の流行りと公開当初2006年の流行りを上手く織り混ぜ、映像の色彩、音楽、歌声がとにかく美しくて見せ方が上手い映画だった。
切なくて、涙が出そうになるシーンがちょくちょくあるが、ミュージカル要素で楽しく打ち消して上手いこと泣かせてくれない。
でも、ラストで今まで溜めていたものが一気に溢れだす。涙が止まらなかった。
自分がそう感じただけかもしれないが、ラストで観ている側の感情を爆発させるような意図で制作しているのであれば凄いと思う。
ボロボロの姿ではなく、輝いていた時の姿で逝けてよかったね。妹にもお父さんにも会えてよかったね。
本当にあの世があるかなんて分からないけど、もしあるとするなら幸せに暮らしてほしい。
数年後また観返したい映画。
日本映画の新たなる金字塔
父親からの愛を受けたい為の努力。
唄を歌っていればみんなが振り向いてくれる。
ひとりぼっちにはなりたくない、家庭の温もりが欲しい。
そんな松子の想いとは裏腹に神様は彼女に人生の試練を与え、‘自分の為に生きる’事より“人の為に役立つ”事に気付いた時に、それまで必死になって靴を鳴らそうとしても鳴らなかった、届かなかった[荒川=筑後川]へもやっと帰る事が出来た。
それはまるで《虹に乗った》【ドロシー】の様に。
一見やり過ぎな所も見受けられる映像の数々、出演者達にも力量不足と思える人もいる。しかしながら当時の時代背景を巧みに取り入れ、独特なセンスとノリの画面の連続にはついつい嵌ってしまう事でしょう。
これは平成の『西鶴一代女』と言っても過言ではないと思います。
「ただいま」
そして…。
「お帰りなさい」
素晴らしい日本映画の名作の誕生に拍手を贈りたいと思います。
(2006年5月27日TOHOシネマズ錦糸町No.6スクリーン)
凄い!!!!!!
『仁-JIN-』の野風の熱演が記憶に新しい中谷美紀さん。その中谷さんが「この役をやるために女優をやってきた」とも「撮影がきつすぎて女優を辞めようかと思った」とも言っていたりだとか、脇を固めてる俳優さんもビジュアルが好きだったり演技が好きだったりキャラクターが好きだったり気になる人ばっかり出演されてて、最近になって観たい観たい病にかかった作品w
ホントに観てよかった!制作に関わった人全員に拍手を贈りたくなるような作品でした。妥協や手抜きが一瞬も見当たらない力強さを感じる映画です。
中島監督は『下妻』も『パコ』も『告白』もすごく良かった(『告白』は系統が違うけど)ので期待はしてましたが、期待以上。
この監督さんの映像美は見てるだけで本当に楽しい。今作もつかみからいい感じですぐ見入ってしまって、最後のEDのメドレーまでずっと釘付けでした。叶わない夢だけど中島監督が撮ったディズニーの実写とか観たいなあ。。
画が映画映画してるというか骨や皮まで美味しく頂ける感じが大好きで。その分撮影が本当に大変だけど、ここまでしてくれると観客冥利に尽きるし、役者冥利にもそして監督冥利にも尽きると思います。そんな全力がこちらにも届いて心から「いいものを観た!」と思わせてくれます。
語り手の切り替え方も凄く心地好くて、時間が経てば経つほどあ〜終わってほしくないなあと思っていました。
ただ原作は未読なのですがWikiの【原作との違い】を見ると変えない方が良かったのに〜ってことも結構あったので原作も読んでみたくなりました。
そしてなんといっても中谷さん。
キーポイントになっている“変顔”ですが(柄本さんの表情素敵すぎ)、中谷美紀のあんな顔初めて見た!wと驚いてるのもつかの間、本当に本当に女優魂を感じさせてくれました。
まずどんな髪型もメイクも服も似合ってしまうというか自分のものにしてしまってるのが凄い。ダッッサい時wもやっぱり綺麗で。でも“嫌われ松子”時代(晩年になってからのあだ名だったのは意外でした)は特殊メイクもさることながら動きまで中谷美紀って信じられないくらいの怪演!
上記の発言の理由がダイレクトに伝わってくる、本当に心と体を削っただろう素晴らしい演技でした。
中谷さんだけじゃなく、大好きな人から気になる人からノーマークだった人までこの役はこの人じゃないとダメ!!って配役ばっかり。
全部見終わって思い返してみるとクドカンさんが特に印象的だったなあ(皆さん良すぎていちいち書いてたらきりがないのでw)。本当に殴る蹴るしてそうなリアルさと最後の笑顔が忘れられません。
ここから更に内容についてネタバレしまくりますw
そこは重要ではないものの松子が誰に殺されたかはやっぱりずっと気になってたんですが、見ず知らずの中学生だったとは…“松子”の人生の結末としては全然意外ではないんだけどなんか「…」を入れたい余韻が残りました。
松子の一生は中学生の出来心を機に変わり(自業自得な面も大いにあるけど)中学生の手で終わるとは皮肉めいてて切ないです。
ただいまとおかえりを言い合えるような人が1人でもいたらそれは凄く素晴らしいことなんですよね。松子にも家族やめぐみ(友情には思わず涙)や洋一がいたのに、生きてる間はそれぞれの「愛してる」「愛されたい」のすれ違いによってなかなか気付けない。虚無感、孤独感、防衛本能なんかが色んなものを見えなくする。人と人、生きていくことって複雑です。
ちょっと余談ですが松子を見て改めてやっぱり幼少期の家族からの愛情ってその後の人格に大きく影響するなあと思いました。
お話の中の人だけど決して特別じゃなく、愛されてない、寂しいと感じてると大人になってから異性関係が荒れる人って多い気がします。人生を決めるのはもちろん自分の責任ですが。
「時代遅れでも生きてかなきゃならない」
「それでも私の体は生きようとしていました」
なんかズドンとくる本質ですよね。
松子の人生は何回も“終わった”けれど、松子に限らず不公平な世の中でも皆“人生は一度でたくさん”なことは平等に与えられてて、人生は悪いもんじゃない。
今日すれ違った誰かのこれまでのドラマを感じさせてくれるような物語でした。
「嫌われ松子の一生」は市民ケーンの狸御殿風味
土曜の渋谷昼下がりというある意味チャレンジャーなチョイスで「嫌われ松子の一生」を見に行った。
パルコパート3は閑散としていて、あれ楽勝ぢゃないですかこりゃなどと思いきや、当日券買って並ばされた列が半端じゃなかった。長蛇もいいとこで、8階から4階まで階段にて鈴なりとなっておりました。客層は20~30代前半が多く、中には『中高年』の『高』の比重が高そうな二人連れも。渋谷という土地柄かはたまた映画がよんだのか、ユナイテッドアローズの服が好きそうな人が多かった。
「嫌われ松子の一生」は、『下妻物語』で知られるあのサッポロの山崎努と豊川悦司の温泉卓球CMを作った才人中島哲也氏が監督脚本の、女の一代記的映画である。松子は荒川土手付近の草むらに突っ伏して死んでいた。父親から命じられて会ったこともない松子の後始末をしにきた甥っ子が様々な出会いを通して松子の過ごしてきた時間を知る…というのが大まかなストーリー。CGと歌謡曲、昭和が確かに息づいている画面が異色というか出色。だいたい21世紀にもなって光GENJIを墓場から引きずり出してもなお、あそこまで説得力が出せるとは並みの力量ではない。ちゃんとソープ嬢じゃなくてトルコ嬢って言ってるあたりにこの作品への気合いの度合いをみた思いがする。
そんなトリッキーなつくりではあるけれども、某歌手の旦那である紀里谷何某やPVのクロサワ(笑)といわれたらしい中野何某とかいう他映像業種参入監督とは違い、実に脚本構成とも基本に忠実である。話の流れなんて市民ケーンと同じで(いわゆるコード進行が同じってところか)「ローズバット」が「松子は誰がころしたのか」に変わっているだけ、といえなくもない。CGやところどころでミュージカルになったりするのは、監督のテレというか目くらましに感じた。(市川準といい、CM出身の監督は実にオーソドックスかつ斬新なつくりをする。PV出身監督で目立つのがダメなお二方だけだとは思うが、しかしあの二人とこの二人のこの差はなぜか。元から有名なものをどう料理するかというのがミュージック系PVとするならば無名なものを有名に仕立て上げるのがCMなのか。その差だろうか)
構成がオーソドックスなら配役はその分かっ飛ばしている……かのように見せかけつつ、その実、びたびたっとはまった役者を配置しているのがすさまじい。主人公である甥っ子が人生を投げかけるたびにテレビをつければ片平なぎさが2時間ドラマをやっていて「まだやりなおせるわ!!」と岸壁に追い詰めた犯人に語りかけるなど、パロディと真面目と狂気の境目を紙一重で潜り抜けているような抜群のスピード感覚に脱帽。歴代の男たち、あるいは松子を取り巻く家族知人友人を演じた役者たちは申し分なくこれ以上何も足せないし何もひけないだろうと思わせるものがある。特に作家崩れのDV男(ダザイはん)役の宮藤官九郎がモノカキが宿命的に抱える内なる狂気を爆発させていてきちんと境界線にたっていたし、松子の重要なキーパーソンとなる教え子『龍』を演じた伊勢谷友介が真田広之のような正統派美男子然としてよかった。(ちゃんとディスコグラフィーに「CASSHERN」をいれている。いいやつだなあ)BONNIE PINKがソープ嬢役をやるなんてたぶんもうないだろうし。谷中敦がそのまんまの感じでしかもカタにはまっているという離れ業を演じていた。
だが疑問なのは松子:中谷美紀、弟の嫁(主人公である甥の母):浜田マリ、甥っ子の彼女:柴咲コウ、というように重要な女性陣が同じ系統の顔である、ということ。ここで母親が梶芽衣子だったりすると収拾がつかなくなるのだが、やはりというかなんというか彼女らとは違うかなり影の薄い存在として描かれている。どうもそのあたりの統一性は蛇足という気がしないでもない。ここは多少足が「はみ出ている」感がした。
とまれ、中谷美紀は素晴らしい。おしむらくは老け役がまったくあってなく、おいても若くても「中谷美紀」であったことか。このあたりはあえて超越的存在として描くという監督の意思があったのかもしれないが。まあ確かに中谷美紀がデ・ニーロ的アプローチなんぞした日には、この映画の持つ御伽噺、あるいは昭和歌謡的雰囲気が、まんま実録女ののど自慢は突撃!隣のばんごはんだったということになる恐れがあるのでこれはこれでいい。松子を殺害した犯人の顔は見えない。ゆえに松子は大衆の悪意によって殺された殉教者とも考えられる。笑ってしまうぐらい不幸だが、かなしいひとではないから救われる。愛に殉じた、などと紋切り型のレッテルを貼られかねない物語だからこそ、監督は笑い飛ばすかのように挑発的にストーリーを展開させる。
「ただいま」と「おかえり」はこの映画の重要なテーマであったが気づいたのは最後のほうだった。松子は誰からも「おかえり」とはいわれない。望みながらもかなわない。彼女に「おかえり」というのは、劇中ただひとりだ。あのシーンはある種の「泣かせ」ポイントではある。それはわかっている。だがそんな仕組みにもかかわらず思わず涙してしまったのは、あそこで映画的調和と中谷美紀の女優力の見事な融合が、あざとさ以上の稀有な輝きでもってこちらに撃ち込んでくるからである。泣いたが泣き終わった後にどこか爽快になるような、カタストロフィとして昇華できる清清しさを与えてくれる映画だった。
この映画を見た、と知人に言うと「つらくなかった?」と無闇に心配された。私のオフィシャルイメージって松子なんか?といささかがっくりしながらも、どちらかというと「龍」に感情移入していた。私はああいう風に「男」を捨てたことが何度かある。武田真治のようなポン引きに騙されて酷い目にあったこともあるし、宮藤官九郎に殴られたのは一昨日?昨日?テキトウにやり過ごそうとしたことが後々重要なキーポイントだったことに気づかされることもあった。あの立ち見が出そうなほど満員だった劇場には人数分の松子がいた。その中で一体どれだけの人が、まげてのばしてお星さまを掴んだもしくは掴めるのだろうか。私はただ笑って死にたい。
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