メゾン・ド・ヒミコのレビュー・感想・評価
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よかった。けど少し難解。
まずはオダギリジョーと柴咲コウ。
演技すご過ぎ。お二人の印象がガラリと変わりました。
自分自身偏見がないので、ただその人の好き嫌いの感情表現に感情移入して見てました。
以下、勝手な解釈です。
この映画の問題(内容の)は大きく3つ。
一つ目は性の問題。
柴咲コウ(以下さおり)とオダギリジョー(以下はるひこ)は、2人共がお互いに気持ちが通じ合わせていくも、性の不一致は壁となって、心だけを通わせてるって感じなのかなと思いました。
他の利用者も同じ。
異性との行為に良くない思いのある人、子どもがいても自分の性自認に抗えなかった人、様々です。
はるひこはさおりと行為こそできませんでしたがさおりが好きです。さおりが他の男性と関係を持ったことに、その男性に対して羨ましさまでも感じるほどに。
最後さおりははるひこ達がいる場所へ戻ってきました。2人はきっと紆余曲折あるかもしれませんが結ばれるだろうなと思います。ただ、はるひこは性に奔放な一面が見受けられたので、心で繋がる関係になるのでは、と。
2つ目は偏見。
ホームの壁の落書き、さおりの言葉。クラブでも容赦なく暴言を浴びせられるシーンがありました。
中でも印象的なのははるひこに水風船をぶつけた少年。彼ははるひこに惹かれて手伝いをかって出たのかなと思いました。
友達には、友達をやめてもいいとまで言って老人ホームの住人達と付き合っていきます。
この少年のように理解を持つ人が増えれば、と心から思いました。この少年の演技もすごくて、住人達と付き合うようになってからの晴れやかな演技は良かったです。
最後は、老い。
人は最後まで人の力を借りなければ生きていけません。だからこそこのゲイのための老人ホームに人は集まってきたのでしょう。
はるひこは若くしてこの老人ホームの管理者となり、どうにか存続させようと奔走していました。ここが居場所と言っているシーンもありました。
なりふり構わない姿に、さおりとの関係は子をなすことだけが目的なのではないかと疑ったほどです。
クラブで罵倒された住人のために激怒し叫ぶさおり。そんなさおりを見て惹かれたんだと思いたいけど、それだけでキスをして行為に至ろうとするだろうか?さおりの父を愛しているからここにいて、自分の体を差し出してまでどうにかホームを立て直そうとしているのに?
深読みしてしまうとかなりドロドロとしてしまい、本心が描かれてない以上勝手な解釈でしかありません。
はるひこのキャラクターは見る人によって変わると思います。個人的には一途で残酷、そして意志の強い人だと思いました。
さおりははるひこに、どうせ次の男ができるでしょと言いました。
きっとできると思います。
でも、自分の目的に利用価値のある人間を選ぶんじゃないかなと。
この先もさおりの父だけを愛し、自分の居場所であるホームを守るために生きていくと、そんな気がします。
さおりはもちろん特別な存在です。名前をつけられないほど。でも、愛とは違う何かな気がして、経験が少なくこれ以上はわかりませんが、心はさおりに向いていくと思います。思いたい。
たくさんの人に理解を求める内容にすることもできただろうに、リアルな描写が多く、その後を描かずブツ、ブツとシーンを切り替えていったのは、メッセージではなく実情を伝えるためだったのかなと思います。
個人的に最後はこれでよかったんだと思わせられたので、よかったと思います。
La Maison de HIMIKO
ゲイの卑弥呼( 田中泯さん )の恋人春彦を、オダギリジョーさんが魅力的に演じる。物憂げな表情、口付けを交わすシーンが美しい … いや、美し過ぎる。
卑弥呼の娘で塗装会社のOL沙織を、柴咲コウさんが演じる。率直な物言いをする姿が、NHK大河ドラマ『 おんな城主直虎 』の井伊直虎役と重なる。
西島秀俊さんが塗装会社専務の薄っぺらい男を演じる。真面目な役しか見た事がありませんでしたが、案外似合っていました(笑)
春彦の言葉に、思わず涙する沙織の心情か切ない。
ー 欲望が欲しいんだ
ー お前が … じゃなくて
BS松竹東急を録画にて鑑賞
性をゆがめて描くことで、芸術性を高めているのか
嫌いな作風です。
こんな、共感を否定するような映画、見る気にもなれないのですが、たまたまTVつけっぱなしでやっていたので、見てしまいました。
「このバスに乗ったら思っているところにたどり着けない」感じていた不安が的中しました。
ただ、柴咲コウと、オダギリジョーの芝居のうまさにはあらためて見とれてしまいました。
それと、時々はさみ込まれる音楽やニュース映像などの作りこみが、ムダにちから入っていて、リアルでした。その分本編でがんばれよ。30秒程度のCMなんかが得意なんでしょうね。この監督さんって。
理想の世界
あの!美人の代名詞のような柴崎コウが不細工な役という画期的な配役。
かも。
正直今まで彼女を侮っておりましたが見る目を改めました。
意外と良かったです。
映画はひとことでいうなら頑なな娘がゲイのみなさんとのふれあいで心を開いて
父との雪解けに向かう話。
いいお話です。
ひねくれ者なので、ちょっとキレイにまとまりすぎてる気もしました。
♪人は~悲しみが~多い~ほど~♪
そういう目線から人々を描いてあるように思います。
【世界に名だたる田中泯さんが、前作までの孤高の剣士役から気品あるゲイを見事に演じた作品。今作は、猥雑感が全くない劇場公開レベルの邦画のLBGTQの先端を突破した記念碑的作品である。】
■ある事情で借金を抱える沙織(柴咲コウ)の元に、幼い頃に自分と母親を捨てていった父親(卑弥呼)の恋人という美青年(オダギリジョー)が現れる。
その青年・春彦から父親が末期がんで余命幾ばくもないと聞いた沙織は、父親が創設したというゲイのための老人ホームの仕事を嫌々ながらも手伝い始める。
◆感想
・今作は、家庭を捨てゲイの道に入った卑弥呼を演じる田中泯さんの気品ある姿に尽きる作品である。
・若きオダギリジョーさんや柴咲コウも熱演であるが、田中泯さんの存在感には圧倒されている。
ー 故に、憎んでいた父が主である”メゾン・ド・ヒミコ”で働き始める沙織の姿にリアリティ感があるのである。
・髪の長い細川専務を演じた西島秀俊さんの姿も、今にしてみると何だか可笑しい。
<若き、柴咲コウが仏頂面のヒロインを演じ、オダギリジョーが彼女の父親である卑弥呼の恋人でゲイの青年を演じているが、今作は、猥雑感が全くない劇場公開レベルの邦画のLBGTQの先端を突破した記念碑的作品である。>
期待しすぎたのだろうか、頭の中に残ったのは「ピキピキピッキー」だけだった。
これが「ポキポキポッキー」だったらお菓子のCMになっちゃうし、「コトコトコットン」だとファミレドシドレミファになってしまいます。そんなこんなでルビィ(歌澤寅右衛門)に最も親近感を抱いていたのに、途中から山崎さん(青山吉良)への想いへと変わり、最終的には中学生の少年に熱いエールを送ってしまう自分がいました。ヒミコ(田中泯)や春彦(オダギリジョー)の演技がとてもよかったのに、彼らに感情移入できず、ちょっと冷めた目で観てしまいました。
ゲイの映画はかなり観ているような気もするのですが、海外の作品に比べると、ひたむきな愛が足りないように思えたのです。特に春彦は死期が迫ってるヒミコへの愛情を残しつつ、若き欲望のためか次の愛人を探す。ヒミコにしてもパトロンと春彦を巧みに利用する。純愛よりも性愛がベースとなっており、日本のオカマバーやニューハーフショーに代表されるファッションとしてのホモセクシャルが強く印象に残りました。
それにしても野菜がいっぱい出てきました。スイカやトマトを投げるシーン、ナスとキュウリの性的イメージのあるところ。大学のゲイサークルの名前が“ナッツ”だったのも面白い。
【2005年10月映画館にて】
田中泯
本当に綺麗だ。。てゆーかここに出てくるゲイはみんな綺麗だ。ノンケは皆醜い。ダンスの件と男の子が実はゲイだったという件は要らないと思った。子を産むためにゲイは結婚するのか。女を抱くのか。それができないゲイもいる。どうせ無理ならなぜまた会うのか。最後は残酷だと思った。
革新的意欲作
10年前にこんなスゴイ映画があったとわ!
ずっと気になっていて、好評なのも聞いていて、
漸く観て、犬童監督だと思い出し、
「ジョゼと虎と魚たち」は好きだった事も思い出し、
(内容はほとんど覚えていない事も思い出し)
その頃から抜きん出ていたオダギリと、
今をときめく田中泯が、揃っておかま役。
ほとんど主役の柴咲コウも攻めた演技してるし、
西島秀俊は意外と地味で嫌な役だし、
(西島がおかま役でも違和感ないと思う)
(ていうか西島って元々地味じゃない?)
今TVっておかまばっかりじゃないですか、
この映画を今やっても便乗にしか思われないだろうし、
いろいろ感心する作品だし、
台詞も(特に柴咲の)グサグサ来ました。
取り留めもなく書き過ぎましたが、革新的な作品。
ベッドシーンも斬新。
「触りたいところないんでしょ」(柴咲)
設定から台詞から深過ぎる。
ゲイ、おかまが幸せになる為のグループホームで、
仲間が増えたり減ったり。
数少ない分かち合える価値観の友人だが、
老いには勝てない。
看取られる家族はいなくても、人生に後悔はない。
そこまで言い切れる人生でありたい。
ラストも良かった、あの落書き。涙は無いが感動。
それだけに斬新なベッドシーンが意味不明で残念。
エロいだけに残念。
今ならもう一回リメイクしても良くない?
続編でも良いと思う。
未来
家族、友人、ジェンダー、老い、そして有限である自分の人生をどう全うできるかということを考えてしまいました。素敵な住まいに、気の置けない仲間たち。でも、皆んなどこか孤独なのかも。それは、ストレートな人でも同じで、感じるか感じないかだけの差。
ゲイの老人ホームという設定でしたが、決してゲイだけの話ではなくて、私の未来を見ている様な作品でした。老後は三浦半島に住もうっと。オダギリジョーが、スタイル良くて妖麗でした。
Als die alte Mutter mich noch lehrte singen
パッケージ開けてないDVDの中から…満を持して観た
分かっていたつもりだったけど、ものすごーく美しい作品だった
ラブホテルを買い取って開設したゲイ専老人ホーム
美しいゲイ達、ラブホのなごりのインテリアも海辺の景色もすべてが美しい
衣装さん、美術さん、そして振り付けさん、照明さん、カメラさんの技術の結晶…
特にお盆の一日は本当に見たこともないほど幻想的に美しい
目当ての田中泯氏は末期ガン役のためほぼベットに横たわり
その立ち居振る舞いはあまり拝めなかったけど
チラ見せの肉体と存在感はいくつになっても素晴らしい
今、一晩で二度観ました~マ
あたしの好きなセンス、ジョゼ虎の犬童監督
挿入歌:『Songs My Mother Taught Me』母が教えてくれた歌(ドヴォルザーク・ジプシー歌曲)
オダギリジョーが素晴らしい。あとは生ぬるい
自分と母親を捨ててゲイとして生きることを決めた父親を、母親の死後もずっと恨んでいる沙織。
そんな沙織の元へ、父の恋人という若くて美しい男、春彦(オダギリジョー)がやってくる。
春彦は、沙織の父が末期の癌で死が近いことを伝え、彼らが経営するゲイ専門の老人ホームの手伝いに来てくれないかと依頼する。
父とは会いたくないが、借金返済のために渋々了承した沙織。
通い始めた老人ホームの人々や、嫌悪していた父親とも僅かながら会話の機会ができたことで、沙織の心境に少しずつ変化が訪れる。
・・・少しずつ変化が訪れる系の映画はもう飽きたんだった。やってもたー
「ベロニカは死ぬことにした」の二の舞、ってか個人的な印象としては完全に一致。笑
でもオダギリジョーがすごく良かった。
ゲイとかストレートとか男とか女とかそういう境界を全て超越する中性的な神々しさがあった。
ニキ・ド・サンファル的な?美輪明宏的な?(なんか違う
ゲイとオカマって違うんだね。
春彦と元教員の政木さんはゲイで、それ以外の人たちはオカマ、って感じ。
この映画において、その違いに何か意味はあるんでしょうかね。
最近はLGBTのカテゴリーが複雑になりすぎて、きちんと理解できてない。
そういうことには敏感でありたいと思っているんだけどね。
ただ、これは性に関することだけに限らずだけど、「こういうふうには言っちゃいけない」っていう理性的な正論が自分の中で増え過ぎると、言葉を発する前に考える時間が長くなりすぎて、もう何も言えなくなってしまう。
そして、そういうタブーによって「傷付いてしまうかもしれない相手」を意識し過ぎると、映画も小説も音楽も何も生み出せないのかも知れないと思う。
でも気にしなくていいわけじゃない。それじゃただの無神経。
たぶん、タブーに切り込みっぱなしの、例えば「コドモのコドモ」とか「愛の渦」みたいな映画は駄作だと思うし、切り込んだ問題を丁寧にフォローしている、せめてしようと努力している作品には価値が生まれるんじゃないかなぁと思う。
「シンドラーのリスト」とか、ドラマだけど「フジコ」とかは辛いテーマだけど好きな作品。
これはどっちだろう。
生暖かくて、あんまりタブーに「切り込んだ」という気がしなかった、って感じだな。
全体の雰囲気はほっこりしていて嫌いじゃない。でも特に印象には残らない。
あ、でも尾崎紀世彦のシーンは好きだったな。
そもそもあの歌が好きなの。
ディスコってみんなあんなんだったの?
振り付けが決まってたり、みんなで輪になって手と手を取り合って踊ったり。
なんかパラパラみたいだな。
あぁなんか園子温が恋しくなった。
そうそう、これってそういう感じの映画なの。笑
「愛のむきだし」もう一回観ようかなー。
悲しくない
中学生の時に、1回観たことがあったけど
そのあとにすぐに観た
「リリィシュシュのすべて」に
全てを取られてしまって、
何の感想も無かった作品。
5年の歳月が経ち、なんか観たいなあって思って
借りてきました。
老人ホームを題材にしているけど
不思議と「死ぬ」ことが悲しくないと思った。
ところどころ笑えて、楽しかった。
私は同性愛者です。だから、
ディスコで元部下にバレてしまうシーンは
ムカムカ来たし、涙が出ました。
私もこういうふうなことを言われる時が来るかもしれない、と。
オダギリジョーがとてつもなくかっこよかった。
同性愛者を理解していく過程
同性愛者への差別って、同性に襲われる恐怖や相方を同性に奪われたら嫌だろうなという想像が主な原因で故に存在を認めたくないという感情が湧く。実際には好みが有って同性なら誰にでも手を出すわけじゃないし、同性愛者=略奪愛を志向している訳でもないので、ほぼ思い込みによる差別と言える。ほぼって書いたのは、実際問題同性愛者は少数しかいないので、ノンケへの開拓精神は旺盛であるのは事実だから。
同性愛者への差別の多くは家族から始まる。身内に同性愛者がいるなんて恥ずかしい。友人に同僚にからかわれるから嫌。友人や同僚に同性愛者は特別なことじゃない差別するな、と言えない。だって自分でも認めてないから。
本作でもサオリは、父に対し同性愛者に成り下がってと表現した。まさに同性愛者は↓にある存在と思っている。そんな事を言われても父は動じない、もう長年言われ続けて慣れている貫禄。そこから次第にサオリが変化して、同性愛者を理解していく様が嬉しい。ああ、父は娘の理解を得てから旅立てた。
でも、並行して描かれたオダギリと柴崎コウの関係はもうちょっと濃くても良かったかなと思う。物足りなかった。
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