エコール : 映画評論・批評
2006年10月31日更新
2006年11月4日よりシネマライズほかにてロードショー
不穏な空気が張りつめる少女たちの世界
これはいわゆる耽美な少女の世界ではない。映画に張りつめる不穏な空気は、観客を甘美な陶酔に浸らせてはくれない。
なるほど「パンドラの箱」の19世紀のドイツ作家フランク・ベデキントの原作小説に基づく設定は、正攻法の耽美仕様だ。深い森の奥、高い塀に閉ざされた6歳から12歳の少女の寄宿学校、2人の美しい女性教師、“脱走を試みたものは一生ここで暮らすことになる”という噂――少女の白い制服も、長い髪を飾る大きなリボンもこの設定に相応しい。。
けれども、画面には常にこのイメージを裏切る何かが、かすかに、しかし歴然と映っている。ある少女の眉の付け根に入りすぎた力。ブラウスの襟のわずかなめくれ上がり。少女の伏せた目蓋の影に欲望が、微笑みの形に曲げた唇の端に計算が、あからさまにその姿を現わす。映画はこれらを積み重ねて、物語を紋切り型の暗喩から救い出す。少女はイノセントの同義語ではなく、少女であるということは楽園でもなければ牢獄でもない。
監督は「カルネ」のギャスパー・ノエの公私に渡るパートナー、ルシーア・アザリロビック。かつて少女だったことのある監督だけが描けたに違いない少女達がここにいる。
(平沢薫)