25時のレビュー・感想・評価
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何回観ても良い、もう最高
キャスト、ストーリー、音楽、台詞、ロケーション、カメラアングル、何回観ても全て完璧だと思う。 エドワードノートンはやっぱり最高。本当はナイーブなのに成り行きでクズ野郎になってしまい人生を台無しにしたやるせなさが、猫背の後ろ姿から漂う。 死にかけの犬を高級車に乗せて助けちゃうぐらい良い奴で、奨学金をもらえるぐらい賢い。若気の至りで始めたドラッグビジネスがどんどん深みにハマっても、極悪ロシアマフィアとつるんでいても、彼の本質的な部分は変わっていない。そのことは、モンティがこの最後の24時間で自らの人生を振り返る中で、私たち観客だけでなく彼自身が最も強く痛感する。だからこそ、犯した過ちを悔いずにはいられない。 鏡のシーンはやっぱり何回観ても大好き。本当に最高。英語わからんけど、台詞のリズムとかエドワードノートンの表情とか、もうありがとうとしか言いようのないぐらい最高に完璧。 他人への怒りは全て、自分自身への怒りの裏返し。この鏡のシーンが、最後のドライブシーンの中で時間差で効いてくるのも、すごく良い。人生の愛おしさ、ありふれた日常のかけがえのなさを感じて泣きそうになる。 あと、ロザリオドーソンも最高。タレ込んだのお前やろ?金目当てのビッチか?など暴言を吐かれても絶対にモンティへの愛を曲げない。いつも玄関の外でモンティを待っていてくれるから、7年後もきっと待っていてくれるのではと思いたくなる。2人の出会いのシーンも瑞々しくて最高なんだよな。真っ昼間の公園で、まだ女子高生のナチュレルは煙草をスパスパ吸っているのになぜか初々しくてめちゃくちゃ可愛い。これはナンパするわ。女子高生ナチュレルと現在の大人ナチュレルとの対比があって、モンティとの日々はそのまま彼女の青春だったんだな、かけがえのない人だったんだろうなと思って、悲しくなる。 バリーペッパーも良い。モンティに会うまでは冷たいことばかり言ってカッコつけてたくせに、お前なかなか友情に熱い男やんけ。最後の頼み事のシーン、本当に切ない。 今は亡きフィリップシーモアホフマンも良い。地味キャラやけど、ストーリーにコミカルなテイストを加えてくれて安心する。ワンちゃんもきっと大事にしてもらえるだろう。 とはいえ、やっぱり最後のドライブシーンなんだよなあ。ここに全てがぎゅっと詰まっている。父親の優しい語り口調が心に沁みる…… めちゃくちゃ長くなってしまったけど、それぐらいこの映画が好きなんだよなあ。もう本当に良いよね…
お似合い
エドワード・ノートン、バリーペッパー、フィリップ・シーモア・ホフマンの3人組よかった。 ノートンはこういう映画が似合う!最高! 最初のドイル(ピットブル)を助けたシーン、「生きようと必死になっている奴は殺さない」かっこよかった。 9.11の後のNYが舞台いうことで、跡地(グラウンド・ゼロ)が見えるシーンがある。 くだらない人生は送らないようにしよう。と思った。 殺人とかではない知能犯は裁判で判決が出てから収監されるまで自由な過ごせるらしい。 その最後の1日に焦点を当てた映画。 彼女が密告したように仕向けられたせいで、最後の日なのに冷たい態度を取ってしまったことを7年間後悔するんだろうなぁと思ったら心が痛くなった、、。 彼女良い人でよかった。幼馴染2人も良い人たちだった。 最後自殺するからそれの手助けをフランクにお願いしたのかなと思ったら、まさかの二枚目の顔を醜くしてくれというお願いだった。 オチ(?)としては弱いなぁと思ったけど、バリーペッパーの演技も素晴らしくて殴り合いのシーンは泣けた。 お父さん役の人素晴らしい。中盤の2人でのランチのシーン、最後の刑務所まで向かうシーンどちらも感動した。 親の子供を思う気持ちは、子供が思ってるよりも大きい。 今後一生会えなくても、子供が元気に暮らせてたらそっちの方が良いと思えるのがすごい。 逃げるエンドではなくてちゃんと刑務所エンドでよかった。 フィリップ・シーモア・ホフマン見るだけで泣きそうになる。あの女の子の本心が気になる。教師は続けられたのだろうか、、。
スパイク・リー節全開の
映画だと思い見てました。 ただ、ちょっと物珍しく感じたのは アイルランド人が主人公だったって事 しかし、社会的な堕落感や行為自体はやはりスパイク・リー仕立て 特に 全人種を敵に回す様な暴言のシーンは 見ているこちらがニヤツイてしまう始末。 ほんとスパイク・リーはどこまで言っても泥臭い。 最後の仮想の話しは正直いまいちな終わり方だったな… って思うのですが それでも十分に考えてしまうテーマがここには有ります。
エドワード・ノートンは知性的で好きな俳優だ
レンタル ドラマコーナーで見つけてジャケ借り おすすめシールが貼ってあったような ちょい長めなので5回に分けて鑑賞 収監前の男の1日が丹念に描かれている エドワード・ノートンは知性的で好きな俳優だ 父親 妻 友人 犬のエピソードが謎めいているような そうでもないような あぁ あとは9.11のことも描かれていたかと まぁオラとしてはラストが全てかな レビューを読みます 佳作
人は砂漠で生きられない
トイレの鏡に書き込まれた「FUCK YOU」の落書き。モンティはその中に自分自身の憤激を見出そうとする。
ろくに英語も喋れない果物屋の韓国人、バスケしか能がない黒人、ずる賢いユダヤ人、貧乏なラテンアメリカ系移民、エルメスのスカーフを棚引かせるいけ好かない金持ち、友人、父親、彼女、その他諸々。みんなまとめてFUCK YOU!彼は自分を構成している要素以外のすべてを憎むことで、なんとか敵を作ろうとした。
なぜかって、彼は数十時間後に7年間の禁錮刑を科されるのだ。それは途轍もない不条理である。しかもその不条理が他ならぬ自分自身の不道徳によって招かれたものであるという事実を受け入れるのはかなり辛い。だから人のせいにする。周囲の関係すべてを憎み、外部化し、仮想敵化する。
しかしそんな彼の企てを拒むように、ニューヨークの街は彼の心の中に不可逆的に染み込んでくる。金持ちでユダヤ人の親友、貧乏でオタクの親友、ラテンアメリカ系の彼女。みんな彼のことを心配している。残された最後の数十時間をできるだけ一緒に過ごそうとしてくれる。モンティが何より憎もうとしたはずのものたちだ。
アメリカには徹底的な外部というものが存在しないんじゃないかと思う。たとえば日本にいる私が「黒人は嫌いだ」と言ったところで、何が起きるかといえば、せいぜい知識人各位の顰蹙を買うくらいのことだ。「黒人」は我々にとってまだまだあまりにも遠い。
しかしアメリカでは同じことを言えば、たぶん、というか絶対、ぶん殴られる。「黒人」だけではない。「韓国人が嫌いだ」「金持ちが嫌いだ」「ラテンアメリカ系移民が嫌いだ」何でもいい。とにかくそういうことを言えば、実際に拳が飛んでくる。
なぜならアメリカという国がそれらの多様性をあまねく包括したうえで成り立っている共同体だから。つまりアメリカにおいて特定の何かを嫌ったり排除したりしようとすることは、無意味な自己否定とほとんど同義だと思う。アメリカには外側がない。あるいは外側だと思っていても、それはすでに内側として存在している。
徹底的な外部が存在しないことは絶望であると同時に希望でもある。モンティはどこにも敵を作ることができない。敵だと思っていたものは全て自分と繋がっているのだから。したがって麻薬密売という途方もない罪を、彼は自分一人の存在だけで引き受けなければならない。
しかし一方で、あらゆる関係が内部であったために、彼は仲間たちの好意や計らいに支えられ、自殺や逃亡といった悪手に手を染めることなく最後の数十時間を円満に過ごすことができた。
刑務所までの道のりを父親の車で過ごすモンティの頭の中にはとりとめもない幻想が浮かび上がる。自分たちの乗る車が進行方向を変え、そのまま遥か西に向かっていくという幻想だ。
モンティは西方の小さな街で車を降りる。父親は彼に「もう二度と俺たちに連絡してくるな」という餞別を残して走り去っていく。モンティはその小さな街で小さな生活を送る。数年後にはニューヨークから彼の彼女もやってくる。やがて子供が産まれる。
この幻想はとても滑稽だ。西方の小さな街という空間はまさに徹底的な外部のアレゴリーだ。それなのに、結局モンティはそこにおいて再び関係性のネットワークを構築してしまっている。またしても外部が内部になってしまっている。
つまりどこへ行っても変わらないのだ。たとえ地の果てまで逃げようと、アメリカという空間はあらゆるものを優しく、あるいは暴力的に包み込んでしまう。いや、何もこれは空間的な話ではないかもしれない。アメリカとはそこに住む人々の内面に抗い難く内面化されていくある種の気質のようなものなのではないか。
モンティの見た幻想の中に印象的なシーンがある。父親の車が西に向かう道中、ロングショットで砂漠が映し出されるシーンだ。
砂漠には何もない。動物も植物も人間もいない。おそらく、徹底的な外部が本当に可能になる場所があるとしたら、それはこの砂漠なのだと思う。
しかし人は砂漠で生きられない。そのような不毛地帯で人は生活を営んでいくことができない。モンティにもそれはよくわかっている。だから砂漠で車を降りずに、その先にある小さな街で車を降りた。
やがて幻想は終わる。結局のところ、逃げ場などどこにもないのだ。モンティは幻想を通じてその認識を完全に引き受けた。
彼は今まさに自分が刑務所行きの車に乗っていることを思い出すが、何も言わない。ただじっと目を閉じ、自分の運命を受け入れようとする。そうすべきだし、そうするしかないから。
音楽がとても良かった
瀕死の犬を助け、ドイルと名付けたモンティ。トイレで世の中の不満をぶちまけるシーンがすごかった。その後は友人たちとのお別れパーティになって、ジェイコブ(ホフマン)のエピソードが中心になるが、ラスト近くでの本音のぶつかりあいは見ごたえあり。 単純なクライム・ムービーになっていないところがすごいですね。人生を振り返り、未来を夢見る。罵倒してた人たちが暖かく見送ってくれるところなんか素敵だ。
仲間の倫理観は?
25時? そんな時間があったかと思って英題を見たら、二十五番目の時間なんだよね。ということは、この時間はもうないんだよ。二十四時間前の時間はもうやってこないということ。スパイク リーが一番最初に考えたのが主役として考えたのはエドワードノートンだったということ聞いた。なるほど。 七年間もいま存在している社会からいなくなるわけだから、ちょっと、想像がつかないが、自分の罪が七年間の代償になるとは。主人公モンティ(エドワード ノートン)を自分と置き換えて『自分だったらこの時間どう過ごすか』考えて見ているが、いい策がない。七年間は長いと思ってニューヨークの麻薬のディーラーの犯罪をみてみたが、罪が最も重くて(4-200 grams 5−99年だと。(2019年) 驚き!殺人も麻薬デーラーも似たような刑なんだなあと。(あくまでも私感) それに、モンティの父親、ガールフレンドの立場だったら? それもそうだが、友達の立場で、どうモンティのことを考えるだろう。3才からから一緒に遊んでいた仲間、一人は教師、ジェイコブにもう一人は株式の取引人、フランク。友達として、この一日をどう向き合っていくか考えられなかったとおもう。絶対、モンティを批判する言葉は言いたくなかったろうし、楽観的なことも言いたくなかったろうが、フランクは監獄をでて(38才)からなにかオプションがあるとは言った。人生はまださきがある一緒にやろうと。フランクは今までに約束を守らなことがあったかとモンティにいう。モンティには監獄なかのおそろしさを。 そして、フランクとモンティのガールフレンドがお互いに『なぜ、モンティに薬取引きをやめろと助言しなかった』と攻め合っている。 モンティ誰も責めない。 この作品がハリウッドの有名な作家の作品だとは知らなかった。『25時』というたった一日の自由な時間をどう過ごすかに焦点を当てているのはすばらしい。この一時間だけに焦点を当てるだけで、最後は刑務所に向かうわけだ。こういうことをテーマにする思いいつきに感激する。アイデア賞をあげたいね。 あと、他の人のレビューを読んでいると9.11の後にこの作品がでたとの話題が出ている。最後まで気がつかなかったけど、『今を生きる』なんだよね。この一日は二度と戻ってこない。七年間の監獄生活でモンティがどう変わるかもわからないし、友達もガールフレンドも父親も、この一日の状態であるわけないし、また、今まで過ごした暮らしではあるわけないんだよね。あっと、いう不慮の事故で(モンティの場合は深みにはまらず考えることのできたこと)全てが元に戻らない時もあるんだよね。今が大切なんだよね。 ところで、この映画の好きなとこはモンティは人を批判はしないところ。鏡の前で社会を批判 するけど、これはある意味で自分に対するスケープゴードだと思う. モンティはこの事実を自己消化できないんだよ。アル中で年老いた父親のまえで、泣けないんだよ。だから、鏡の前で自分を爆発させているんだよ。はっきり言って全く罪もない主に移民の人たちをね。 友達にもガールフレンドにも麻薬取引の恩恵を被ったくせにとはいってないし、 父親にも麻薬でもうけたお金貸したんだよと言ってないんだよ。ここで友達は、特にフランクは倫理的にストレスを抱えているのが良くわかる。 なにか問題を抱えた時、一般的に人をせめたくなるでしょ?! モンティは違うんだよ!それに、ガールフレンドにたいしても誤解していたよごめんねと謝っているんだよ。 私にとって、モンティへの感情移入は難しい。ニューヨークのマンハッタンのコベントリープリップスクールでバスケットをしていた。それもフレッシュマン(中学三年生)でバーシティー(最も強いチームで、主に高校2、3がプレイする)のチームに入って記録保持者だと。ここでチームを退部させられたらしい。その後は。。。。というからこの辺から自分を見失ったようだね。スポーツができたことをで懐かしんでいるように見える。もう二度とここにこられないかもしれないからね。 高校教師のジェイクの心情がモンティの心情と同じだと言える。ジェイクにモンティの二の前をするなと言いたかったけど。この映画でのモンティの過去、麻薬のデーラーとして何度も取引をするまえに、ジェイクと同じ心境があった。深みにはまったのがモンティで、ジェイクはその一歩手前、いいえ、未成年をバーにそれにキスを。。。モンティの犯罪に手を染めるまでの心境はこの高校教師、ジェイクの動きがよく表していると思う。女子高校生の誘惑にのった高校教師ジェイク、麻薬取引のマフィアの誘惑にのっとモンティ。ジェイクの先がここで見える。(モンティと同様に監獄に。州により違いがあるが、今なら、罰金ブラス監獄行き) 父親、友達、ガールフレンドなどがなんと言って最後の時を迎えるのだろう。正直言って怖かった。それは、痩せていて白人の31才の若造をいかにタフに見せることをフランクに頼んだ。このシーンには泣けた!フランクに同情していた。 蛇足 モンティの入る刑務所はマンハッタンからジョージワシントンブリッジを超え100キロちょっと北方にいった、The Federal Correctional Institution, Otisville というところだ。この刑務所は調べたところによるとユダヤ教のしきたり(過越の日など)を残している刑務所で、正統派のユダヤ教などはここをリクエストできるらしい。
久しぶりの鑑賞
以前も観たが再鑑賞
ヤクの売人の主人公の収監される前の25時間を描いている
自業自得じゃねーかと思いつつも話に引き込まれていく
週間を前に友達は元気づけようと飲みに誘ったり
彼女とは信頼関係が揺らぎ上手くいかなかったりする
結局、自分をタレ込んだ裏切り者もわかり
彼女とも和解するが時間切れ
収監の時となる
最後の父親が語る架空の世界、絵空事、しかし現実から逃避せずにはいられない
その言葉から愛情が感じられ、とても深く響く、もちろん収監から逃げる事はできない
犯罪に手を出す事の無意味さを感じさせてくれる
別の生き方を選べたのに失敗してしまったと
深く余韻を残すような映画だったな
救いのない内容
何が結末か、よくわからない。
彼女とのラブストーリーがオチならがっかりだ。恐らくはお父さんのあの長い語りだとは思うが、だからなんだよとしか思わなかった。
グッと来たのはフランク。彼が一人ただただ可哀想だった。良い人なのに余りに救いのない描かれ方をしている。
登場する人みんなすごい演技だった。特にフランク役の人は印象的。エドワードノートンは個人的ファンなので最高。
NYの空気感というか雰囲気みたいなものが、リアルを感じれて良かった。
瞬間的に同じシーンを繰り返す演出は集中を削がれるので嫌いでした。
収監されることが決まっている男が最後の日に、自分が選択してきた人生...
収監されることが決まっている男が最後の日に、自分が選択してきた人生と、選択したかもしれない人生に想いを馳せる。車で逃避行するような、どこか地に足の着いていない感覚で生きてきた男のロードムービーとして面白かった。ノートンら俳優陣の演技力に見とれてしまった。
後戻り出来ないソレが人生
9.11の跡地から移民、人種に対しての不平不満?と物語に関係ないようで相変わらずのS・リー節。 韓国人の青果店、スーパー経営ってS・リーの他の作品でも記憶にある。 幼馴染み三人の関係性が深いけれど浅くもあり曖昧な感じが悲しい。 刑務所に入ってからの過酷なことよりも出所してからの彼の人生を想像する方が自分に置き換えてみても恐ろしい。
ノートンの奥深さ
タイトルが気になって、購入。 この作品からノートンの虜になった。 人生の様々な選択肢をどう選ぶかで人生は変わる。選ぶことは出来るが、結局出来るのは結果論からの過去。 後悔をしないようにと思いながらも、そう簡単じゃない。そんな風に色々と考えさせられる。 しかし、友人、家族はいいなと。 ノートンの魅力たっぷりの良作。
エドワード・ノートン
エドワード・ノートンの演技が光る映画でした。 25時間後には刑務所。モンティはその運命を悔やみながらもその運命を受け入れる。もし自分がモンティだったらどうしていたか、考えさせられる映画でした。 2人の幼なじみ、恋人、父親様々な人に愛されながら自分の犯した犯罪を悔やむ。何とも救いようのない映画でしたが見ごたえのある素晴らしい映画でした。 ますますエドワード・ノートンのファンになりました。
映画の住人
エドワード・ノートン フィリップ・シーモア・ホフマン バリー・ペッパー 映画を愛する理由の一つとして、彼らのような俳優が挙げられる。 作品によって表情を変え、溶け込む。 "映画の住人" そして"作品に息を吹き込む職人"。 言葉ではうまく説明できないが、 計り知れない魅力を持っている。 安らかにお眠りください。 フィリップ・シーモア・ホフマン 映画界はまた、かけがえのない住人を失った。
生きようと必死になっている奴は殺さない
9.11後のニューヨークを舞台に、社会派監督スパイク・リーが「アメリカ」を見つめた作品です。25時間後に服役しなければならない麻薬ディーラーの主人公。刻々とタイムリミットが迫ってくる中で幼馴染みや恋人、実父と最後の時間を共有するのですが、実に登場人物それぞれの人物像が丁寧に作られているので、とてもリアルです。 7年も刑務所で生きていかなければならないモンティは自業自得とはいえ、確かに悲壮感も絶望感も諦念も感じるのですが、彼だけではなく、それぞれが今まで生きてきた中で「何かしらある」負の感情が沸々と見え隠れしています。「でも夜が必ず明けるように人は止まってはいられない、だから今ある現状の中で自分が出来ることに出来るだけ近づける努力をしよう。」 終盤の朝焼けの3人の格闘、そして実父の「西へ」の妄想、もう1つあったかもしれない人生の語りを見て、そんなメッセージを私的には受け取りました。主役のエドワード・ノートンが極まっています。彼のファンなら絶対外せない作品です。
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