オーメン(2006)のレビュー・感想・評価
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やっぱり怖い
悪魔はどこにいるのか――『オーメン666』と現代社会の黙示録
1976年の『オーメン』が世界に与えた恐怖は、単なる悪魔の子の物語ではなかった。
それは「神」と「悪魔」という二項対立の中で、人間の無力さと、抗いがたい運命の重さを突きつける寓話だった。
2006年のリメイク『オーメン666』は、その構造をなぞりながら、時代の空気を巧みに取り込んでいる。
携帯電話、監視カメラ、ネットワーク――悪魔の力は、もはや超自然的なものではなく、
私たちが日々触れている「システム」として、静かに、しかし確実に世界を覆い尽くしている。
父ロバートの葛藤は、旧約聖書のアブラハムとイサクの物語を思い起こさせる。
神に命じられ、愛する息子を生贄に捧げようとするアブラハム。
だが『オーメン』では、その命令を下すのは神ではなく、悪魔だ。
父は「殺すべきか、守るべきか」という究極の選択を迫られ、
その決断の遅れが、破滅を呼び寄せる。
この「逆アブラハム物語」は、宗教的な恐怖を超えて、
現代社会に生きる私たち自身の姿を映し出している。
企業のトップが政治を動かし、法律は「彼ら」のために作られる。
顔認証カメラが街を監視し、AIが人間の行動を予測し、
ネットワークは知らぬ間に私たちを包囲している。
「悪魔」とは、もはや異界の存在ではない。
それは、私たちが自ら築き上げた巨大なシステム、
管理社会そのものなのかもしれない。
ロバートは、息子の正体に気づきながらも、
愛情や常識、キャリアに縛られ、決断を先延ばしにする。
それは、社会の矛盾や危機に気づきながらも、
何もできずに流されていく現代人の姿そのものだ。
「気づいたときにはもう遅い」――
この絶望感こそが、『オーメン666』の本質的な恐怖なのだろう。
ヨハネの黙示録に描かれた「終末の預言」は、
もはや遠い未来の神話ではない。
預金口座が突然凍結されるように、
ある日突然、「何か」が始まるかもしれない。
私たちはまだ、そのネットワークの正体が「悪魔」だと気づいていない。
だが、映画の中のロバートのように、
気づいたときには、もう逃れられない場所にいるのかもしれない。
良質なホラー
偶然か本当に悪魔の子か
悪魔の子ダミアン
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