ミスティック・リバーのレビュー・感想・評価
全64件中、21~40件目を表示
子供の頃の幸せと
まだコロナウイルスがおさまらない平日の昼間
どこかの家犬か朝から延々と吠え続けるそんな時に観る映画なのかも
出だしからドンよりと湿っぽく暗い感じで、それは終わることがなかった
1人は表の世界へ 1人は裏の世界へ
もう1人は闇の世界へ
私の妻は度々後ろ向きに生きているのかと思う時があります
不安でたまらずいろいろ悩み石橋を叩いてもなおかつその橋を渡らない、そして後ろを振り返っては後悔をする難儀な性格なのだ
どれだけ考えても答えは出ずどうしたら良いかも分からなければサイの目で決めてしまうのも一つの手じゃないかな
考えることは悪くないし何も考えないのはむしろ良くない、だからといって考えすぎるのはどうだろう
どうにもめんどくさく身動きが取れないしね
たとえどんなに後悔しても僅か1秒でも戻ることは不可能なのだから考えるなら今から先をどうするかが重要だとそう思うんです
有り余る怒りが滾った時はどうすればいいのだろう
それが正しいと誰が言えるのだろう
表と裏と闇にはそれぞれに向かう方向があって交わる部分よりもそうでないことの方が多いだろう
子供の時はそんなもの何も関係なしにただただ楽しく遊んでいたのに歳を重ねただけで何が変わっていくのか
学んで経験すればするほど悩みが増えるのかな
あぁ、まだ犬が吠え続けてる
さすがオスカー監督でした。
少女惨殺事件を背景に、少女の父親、捜査する刑事、彼等の幼馴染の男性が繰り広げる群像劇。
クリントイーストウッドが監督を務める秀作です。サスペンスとしても、人間ドラマとしても評価できる作品でした。
「娘を失った父親」、「恋人を失った少年」、「過去のトラウマから抜け出せず苦しむ男性」、そして「彼等の家族」。彼等の怒り、悲嘆、苦しみと愛情。それらの感情を、映画全体から感じることが出来ました。
サスペンスとしても秀でていると感じました。無理なトリックや設定はなく、でも意外性もあり、そして悲しい結末。
正直、私はクリントイーストウッドは俳優としては余り好きな俳優ではなかったので、監督作品も避けていたように思います。
ただ、この作品はもちろん、「15時17分、パリ行き」等を鑑賞すると「流石オスカー監督」だと感じざるを得ませんでした。
BS12字幕版鑑賞。 イーストウッド得意の後味悪い系ということで大...
引き込まれるペンさんの演技
救いのない話しで現実的だった。 終盤ジミー手下のバルとニックが大人...
救いのない話しで現実的だった。
終盤ジミー手下のバルとニックが大人デイヴに酒を誘う場面。車に乗り込み助手席の男が振り返るのは冒頭シーンの子供デイヴが車に乗り込み助手席の男が振り返るシーンと被ってる。
これは死んだな、とすぐ思った。
妻役のマーシャゲイハーディンの疑惑・怯え・嘘・後悔、ブレンダン役のトムグイリーの怒り・暴力の演技がリアルだった。
この腐った世界を告発する残酷な映画
クリントイーストウッドはグラントリノがまったく自分に合わず、苦手で食わず嫌いをしていた監督。
彼は愛国者でありリベラルな思想の持ち主との評判である。
映画をみるものとしても避けては通れない監督でもあり、見る必要があった。
そしてミスティックリバーである。
評判は良いが前情報はトレーラーのみで挑んだ。キャッチコピーは大人のスタンドバイミー。
さて、確かにいままで見たこともない映画を見せてくれるがなんともどういった感想を抱くのが正解なのか、非常に悩む映画体験となった。
これが自由の国、民主主義の国、キリスト教の国、銃の国、白人の国、犯罪大国アメリカ。
親友の3人組のうち偶然に1人が不幸にも性犯罪の犠牲者となり、他の2人も簡単に割り切れるものでもなく、それぞれ深いトラウマを背負うことになる。
事件をきっかけに3人の人生はもう交わることなく、トラウマを乗り越える機会を失った。
事件はそれぞれの生き方へ影響し、犠牲者は魂のないゾンビ、1人は犯罪の世界で生き、1人は町を離れ警察官となった。
過去の友人の肉親の死は、内在していた相互の感情を強く揺さぶりトラウマを再度眼前に呼び覚ます。
「もし自分が犠牲者だったなら」「もし自分でないものが犠牲者だったなら」、言いようのない感情が親友であったはずの友人への疑心暗鬼となる。
それぞれの生き方が不幸にも事件をきっかけに折り重なり、癒せなかったトラウマを強く呼び覚まし、過去の犠牲者の友人による殺害で幕を閉じる。
逃げられない「もし自分が犠牲者だったなら」「なぜ親友が犠牲者であったのか」という自責の混じった強迫的反芻により、人生を生きることができない友人2人の、河の底に流れていた「もし犠牲となった友人が死んでいたら」という悪魔的妄想がついに表出し、ある意味2人の共犯関係によって殺害されてしまう。友人の1人、しかも事件の被害者は殺そうとしている友人の前で、最後に「青春をみたから」と言った。それは残されることになる2人にも共通の妄想であったことだろう。
友人がさらわれた通りで残った2人が清々しい表情をして人生を歩み始める描写は、3人の救いようのない無意識なレベルまで到達する深く根ざした心的トラウマが、犠牲者が「最初からいなかったことにした」ことでしか癒されないものであったのだろう。
それぞれの妻の役割と男の関係も残酷である。
犠牲者は復讐の悪魔となり、妻に裏切られ悪魔に売られ、殺害者は悪魔である妻に許される。
警察官の妻ははたして悪魔かマリアか。
警察官は自らの生き方を選び「共犯者」を捕まえるのか。それとも悪魔の道を行くのか。自ら妻に謝った意味、口を聞かなかった妻が戻った意味は果たして。
この複雑な世界において犯罪者は犠牲者であり犠牲者は犯罪者である。
人が人を裁くとは本質的に悪魔的行為であるのか。
ただ遊んでいただけの子供たちの人生を、犯罪しかもそれが教会によると作中示唆させるほどの残酷さにより、修正不可能なまでに破壊させた、なんとも言い表せない社会の不条理、やるせなさ、切なさ、腐った世界。その子供たちは大人になったら悪魔であった。
最後のシーンでは警察官の生まれたばかりの子供だけが白く輝いていて希望を示唆する。
なんとも残酷な設定でこの腐った世界に生きる大人たちへの告発に満ちた映画である。
自分には釈然としない内容
アメリカでは、各登場人物の行動に一定の理解が出来る人が多いのだろう。理解があれば悲劇として観られる。教訓にもなる。
しかし自分からみると、偏見の塊のような連中が馬鹿な行動を重ねて酷い結末に帰結しただけに見える。
演技力演出力の高さ
三人の幼なじみと三組の夫婦の物語
見終わった後に残るこの圧倒的な重さ
良い映画を観た余韻がこのように重い映画は久しぶりだ
その重さは胸が張り裂けそうなくらいだ
自然と涙が一粒でた
三人の幼なじみ、25年の時の流れは三組の夫婦に変わる
一組は夫を理解出来ず信じず、夫は妻を頼ることをあきらめており互いに孤独
もう一組は、互いに弱った時には助けあい、致命的な間違いであっても動機が感情として納得できさえすればそれを許し肯定してあげられる本当の夫婦
最後の一組は妻が家出状態、意志疎通すらままならない
頼れる存在は妻ではなく仕事の相棒
結末だけでなく取り巻く人間関係の重さがそうさせるのだ
三組三様、誰しも自分のパートナーとの関係性を投影してそのシーンごとに彼らの痛みが共有されてしまう、本作の重さはその重さなのだ
出演者全員が素晴らしい名演で物凄い
その中でもショーンペンとティム・ロビンスの熱演は見物だ
演出もカメラが俯瞰して天から見下ろす視点が効果的に使われる
特にデイブが車で連れ去られる繰り返し は強烈な印象を残した
人生を半ばまで来て、パートナーと長く暮らしていてこそ本作の重さはより重くあなたの心に伝わるはずだ
一つひとつのことが
赦される罪
素晴らしく救いなく
10年前に観たはずなのに初見のように楽しめた。
ショーン・ペンの町のボスの大物感と足を洗ったと言いながら裏の世界に生きてる雰囲気と娘を失った喪失感と弱さの演技が素晴らしく、ティムロビンスの心にトラウマを抱え上手く生きられない感じが見てるだけで伝わって来て初めから辛かった。
ミステリーとしてもケビンベーコンの視点で順を追って答えに辿り着いて行くので分かりやすく引き込まれた。
何と言ってもクライマックスの演出がたまらない。
もう戻る事は出来ない追い詰められた雰囲気は胃がキリキリする思いだった。
過去からは逃れられないという事なのだろうか、人生の不条理さと罪を背負って生きて行く辛さは見終わっても胸が重くなる。
心が張り裂ける
全64件中、21~40件目を表示