ケスのレビュー・感想・評価
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踊れない『リトル・ダンサー』はこう言った人生が待っている。
『アルジャーノンに花束を』を読んでいた事と設定が『リトル・ダンサー』に似ているので、この映画が初見には思えなかった。ちょうど『小さな恋のメロディ』を見に行って、イギリスが『揺り籠から墓場まで』でない国だと気付き始めた頃の映画だ。
ところで、この映画の教師、かなりの暴君だが、僕の時代、こう言う教師は、日本にも沢山いた。
理由は色々あると思うが、戦勝国若しくは敗戦国であっても、中堅教師を30歳から35歳で計算すると、彼等や彼女達は戦争を経験している。つまり、教師が、まともな教育を受けていない。また、日本の教師は全く価値観が逆転をする。現在の日本人であっても付和雷同が多い。その国民性のDNAは、自由と民主主義しか知らない子供達を教える事なんか出来る訳がない。そして、この映画での英国人は戦勝国なので、さらにプライドが高い教師が多いと思う。但し、僕にはイギリス人の血の繋がった親戚がいないので、確信はない。
しかし、見事に何一つ救いのない映画だった。
もう一度言うが、高校までまともな教師は二人しかいなかった。勿論、僕の場合である。
そう言えば、リトル・ダンサーもビリーじゃなかったか?
【貧しい少年が、鷹の幼鳥を育て始め生き甲斐を感じ始めた時に起きた現実の非情さ。厳しい現実をリアリズム溢れるトーンで描くことを信条とするケン・ローチ監督の萌芽を感じさせる作品。】
ー ビリーは毎朝、6時に起き新聞配達をしながら、学校に通う。母も日々働き、兄ジャドも炭鉱夫として働く日々。そんな兄の唯一の愉しみは馬券を買う事だった・・。-
◆感想
・貧しい日々、周囲からも揶揄されながら学校生活を過ごすビリー。そんな彼が、ある日、偶然鷹の幼鳥を見つけ、古本屋から鷹の飼い方を記した本を万引きし、少年鷹匠の如く、ケスと名付けた鷹を飼育していく。
・ビリーが皆の前で、鷹の飼い方について説明するシーン。皆の知らない単語を黒板に書きながら、鷹の世話について生き生きと説明するビリーの表情。
- 一人の先生は、わざわざビリーがケスを飼っている小屋を訪れる。-
・ビリーの生きがいにもなっていたケス。だが、。ケスの食料を飼うために兄ジャドから渡された馬券のお金を使いこんでしまい・・。
<サッカー好きのケン・ローチならではの、サッカー好きの先生によるは”えこひいき”サッカーシーンは面白く。
そして、それまで学校の友達たちから揶揄されていた、やせっぽちのビリーが鷹の世話について淀みなく話すシーンから、友達たちのビリーを見る眼が変わるのであるが・・。
ビリーの愉しみが、一瞬にして消え去るシーンは切ない。
彼が、ケスを見つけ土に埋めるシーン。
厳しい現実をリアリズム溢れるシーンで描くことを信条とするケン・ローチの、その後の社会派作品の秀作を数々世に出してきた萌芽を感じさせる作品である。>
救いのない少年の姿にケン・ローチらしい社会の矛盾への強い怒りを感じる
映画
『ケス』
の感想をブログに上げました。
『巨匠を観る』企画、9作目(全27作)の映画です。
監督:ケン・ローチ
制作年:1969年
制作国:イギリス
【あらすじ】
イギリスの炭鉱町で暮らす少年(中学生?)ビリー。
家は貧しく、体も小さく身なりも汚い。
学校でも教師から疎まれる日々を送る中で、森の中でハヤブサのヒナと出会い育て始める。
ハヤブサと少年の交流を描きながら、大人へと成長していく少年の鬱屈した思いを描く。
【感想】
この当時のイギリスの労働者層の現実も描きながら、救いのない少年の姿にケン・ローチらしい社会の矛盾への強い怒りを感じる作品でした。
個人的に映画の中でケン・ローチの声を代弁する声が少年だとなかなか感情移入し辛く、他の作品ほど入れ込めなかったというのが少し残念でした。
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ブログの方では、ネタバレありで個人感想の詳細とネット上での評判等を纏めています。
興味を持って頂けたら、プロフィールから見て頂けると嬉しいです。
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やっと観られた
炭鉱の町のビリー
体操の服をビリーだけ持っていない。「どうせ卒業するのだから服は要らない」と答えるが、卒業までは4年ある・・・
年齢ごまかしたり、体育の先生に逆らったり、純粋な少年なのだが平気でウソをつく。淡々と進むストーリーの中にも同級生と先生のやりとりが非常に面白い。トリュフォーのように少年の心情にまで深く切りこまずに、幼い少年が就職しなければならない時代背景や寒々とした雰囲気が妙な気分にさせるテクニック。3人の教師それぞれがビリー少年に対する接し方が全く違うところも面白い。
鷹の飼育について教室で発表させたおかげで、ビリーは鼻高々にもなり、自分のやってきたことに自信を持ったのであろう。この先生もなかなかのものだ。
就職のための面談から現実に戻り、やがて鷹のケスがいなくなってしまうことの焦燥感と虚無感。兄の金を使いこんでしまったことから起こる悲劇。兄貴の残酷さにも怒りを覚えるが、それよりも就職しなければならない虚しさのほうが重くのしかかる。ペットなんていつかは死の悲しみを味わわなければならないし、現実に戻されて大人の道を進むこと、この冷たさのほうが記憶に残るかもしれない・・・とはいえ、次男坊の主人公ってもともと感情移入しにくい。
人間以外の友の大切さ。
自分も、人は裏切るから信用出来ず、飼っている猫だけが大事だから、主人公の男の子の気持ちは理解できる。
キャスパー君の通う学校の先生たちは今だったら、Twitterに映像拡散されそうな理不尽な扱いを子供相手にごく普通に行う。
「昔は良かった」って言う人が居るけれど、「昔」ってこういう「理不尽」って今以上に野放しだから、今みたいに過剰に神経質なのも、どうかと思うけれど。
キャスパー君は、家族関係も酷いしでも、新聞配達をやったり中々の「苦子供」(苦学生って年ですらない)
苛酷な環境下で、孤独な心を通い合わせる唯一の相手が鳥の「ケス」
ネタばれになるから無理だけれど、この「ケス」が終盤酷い扱いを。
しかし「ケスと少年のシーン」は映画的にとても、良かった。
孤独な心と過酷な環境、時代と地域が違っても人の心の苦しみは変わらない。
なぜこんなに強くなれるのだろう。
60年代の映画とは思わなかった。
この映画を見たのは96年くらいだったと思うが、60年代の映画とは思わなかった。
私の記憶が確かならば、六本木のシネヴィヴァンで見たように思う。
シネヴィヴァンでやる映画はとても魅力的で、一生懸命に学校をサボって出かけていたのを覚えている。
少年とハヤブサ(記憶では鷹だと思っていた)との交流を描いた作品で、ハヤブサの自由に緑の草原を飛ぶ姿やそこにいる少年の姿がとても昔のモノとは思えなかった。
現代でもイギリスという国は、もしかしたらこんなに素敵な場所なんじゃないかと思わせるほどの作品だった。
それですらもう20年近く前の話だ。この映画の生まれたのは69年。
それから25年前後前の話。
ケン・ローチという人の才能に舌を巻かざるを得ない。
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