HERO(2002) : 特集
日本で本作を配給するワーナー・ブラザース曰く、<2003年公開の目玉映画は西の「マトリックス」、東の「HERO」>。この発言は、見込まれる興行収益を意味する発言だったかもしれないが、たしかにこの2作品には、並べて「対」にして見たくなるところがある。それは何故か? 「マトリックス」と「HERO」の対比を整理してみた。(文・構成:編集部)
「HERO」は“東のマトリックス”だ
この2作の共通点は多い。壮大な物語/カンフー/ワイヤーワーク/VFXと、基本構成要素は同じ。だが、なにより大きな共通点は、「マトリックス」が実現した<カンフー・アクションとVFXの融合>を、この「HERO」も試みていること。それはスタッフの人選からも明らかだ。「HERO」の武術監督トニー・チン・シウトンは、「サイキックSFX/魔界戦士」(85)、「スウォーズマン/剣士列伝」(90)で香港金像賞アクション振付け賞を受賞した名手。また、ILM出身のエレン・プール率いる「マトリックス」のCGIチームが水滴などのVFXを担当しているのだ。この双方の名手を揃えたところが「マトリックス」と同じなのだ。
そして、もうひとつの大きな共通点が「スタイルは意味である」の実践を試みたこと。「マトリックス」にとっては視覚表現自体がドラマであり、それは「リローデッド」のポスターでも、顔を排して装束だけでキャラクターを表現する、というデザインによって宣言されていた。「HERO」の監督チャン・イーモウがコンセプトとして発言しているのは「ストーリーを色彩で語る」こと。これはウォシャウスキー兄弟の発想に近い。
もともとチャン・イーモウ監督は、デビュー作「紅いコーリャン」から、色彩感覚と様式美の作家。撮影にウォン・カーウァイ監督作で香港の現在の色彩をフィルムに定着させた、クリストファー・ドイルを起用したのも、このコンセプトの実現のためだろう。
この2作を対比してみたくなるのは、この2大ポイントが共通しているからなのだ。そして、比べてみると見えてくるのは、映像を貫く美学。これはまったく対極にある。「マトリックス」が極論すれば日本製アニメの美学なのに対し、「HERO」は東洋の花鳥風月の美学。「マトリックス」はデジタルの美学で、「HERO」は自然の美学。「マトリックス」が実現したのは重力から解放されることの歓喜だったが、「HERO」が見せてくれるのは重力に身を任せることで生じる快楽なのだ。