紅の豚のレビュー・感想・評価
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飛行艇パイロットの豚の物語
初めての鑑賞
ジブリ作品はよく見ないと理解できないと思う
良い映画と思うが、自分にはイマイチよくわからなかった
(完璧に理解しようと肩に力を入れすぎる自分が悪いのかもしれない)
不思議な魔法で豚の姿になった飛空艇パイロット
賞金稼ぎを生業にしていた
対立する空賊が雇ったパイロットの攻撃を受けて
撃墜されてしまう
愛機の修理に訪れた修理工場で職人の孫娘と出会う
フィオの修理で復活した愛機とフィオと行動を共にする物語
なぜ豚になったのか
ラストは人間の顔に戻ったのか
みなさんのレビューを見てもとくに気にしていないようなので
追及する必要ない部分なのだろう
ちなみに、ネタバレサイトを見たら、管理人によって解釈が違っていた
飛ばねぇ豚はただの豚
「中身が大事」
日テレの昔のキャラクターの注意書きから始まる
金曜ロードショーで視聴。
宮崎駿監督原作脚本。このパンチライン
「飛ばねぇ豚はただの豚」このセリフはよーく聞いたことある。
そもそもフォルムが人間で顔だけ豚って•••
と思っていたが 中身イケメンのモテる豚だった
イタリア男性は女性に弱い。
わかる。 てか男は女に弱い
1990年代前半にしては、女性が活躍する映画。
マダムジーナがかっこいい
ピッコロはかわいい 次第に認めていくとこも良い。
イタリアの綺麗な海の景色なども出てくるので日常生活で疲れた私の体には染みる。
空を飛ぶって本当に気持ちよさそう。
コミカルなシーンもあるので全世代対象でいけると感じる。
戦争はしてはいけない 争いはよくないと宮崎駿からのメッセージが込められた作品
鼻と耳
懐かしいが新鮮な紅の豚
こんなに面白い映画だったんだ
ジブリ映画の中では、それほど好きな作品ではありませんでした。トトロや魔女の宅急便とは異なり、おじさんの豚が出てくるちょっと大人な雰囲気の近寄りがたい映画という印象があったと思います。
先日録画しておいたのをなんとなく観始めたら冒頭から惹き込まれました。隠れ家的な浜辺。明るい太陽の光。陽気な海と空の色。ラジオから流れる音楽。そんな中でグテ~っと寝そべる丸っこいポルコ。中々の癒やしで思わず口元がゆるんでしまいました。
戦争や恐慌による厳しい時代背景、空賊がのさばる物騒な状況なはずなのに、それをほとんど感じさせない。間抜けな空賊や、活き活きと働く女性達からは明るく、力強く、微笑ましい雰囲気が溢れていて心が和みました。ポルコの立ち位置やジーナの魅力、二人の微妙な距離感も大人になった今だからこそ感じられるのかもしれません。
ヒーローでも悪党でもない、どこにも属さない自由人。
女性に弱くてキザで、ぷにぷにとした可愛らしいおじさん。
過去の哀しみと絶望から自らに魔法をかけた世捨て人。
昔は渋いおじさんというイメージしかありませんでしたが、今になってようやくポルコの奥深さがわかってきたような気がします。
監督の懐旧と理想、願望を描いた宮崎版「草枕」
1)ストーリーの背景を掘り下げてみると
1914年に始まる第1次世界大戦の頃、マルコ・パゴット大尉はイタリア空軍のエースパイロットとして鳴らし、同僚にはピッコロ、ベルリーニらが在籍した。
戦時中ではあったが同僚ベルリーニが結婚することになり、マルコは2人の婚礼を取り持ってやる。その足でベルリーニとともに部隊に復帰して警戒飛行に出たところ、敵の戦闘機隊に遭遇。多勢に無勢で友軍機は全部撃墜され、マルコ機のみほとんど意識もないまま海面すれすれを飛行して助かる。
その間、マルコは高空に1本かかる川のような雲の中に、友軍機が1機また1機と飲み込まれていくのを目撃し、一人だけ除外された自分は死ぬまで孤独に生きろと神に宣告されたと信じる。おそらくはこの瞬間に、マルコは戦争に明け暮れる現実と決別し、ポルコ・ロッソなる豚に変身したのだった。
時は移り、1930年代後半のイタリア。米国発の恐慌は世界を覆いつくすが、ここイタリアは第1次大戦後から経済混乱が長く続いており、皮肉にも恐慌のダメージを受けない珍しい国だった。それだけ元から不況がひどかったのである。1922年に発足して20年以上続くことになるムッソリーニのファシズム政権はローマ帝国の再建を叫ぶものの、現実には国民が豊かになるチャンスは他国へ移民することくらいしかなかった。
ポルコは戦争もファシズム国家も嫌い、軍や警察からお尋ね者とされていたため、その監視の目が及ばないアドリア海の離れ小島に隠棲し、空賊を退治する賞金稼ぎとして暮らしていた。
気が向けばベルリーニと死別したジーナの経営するレストラン・バーで食事し、愛機が故障すればピッコロの父親が経営する飛行機会社に修理を依頼する。そこには同僚の娘フィオが設計主任として働いている。
2)ストーリーの骨格
1)の背景はいかにも大がかりな反戦映画でもできそうなのだが、お話しの骨格は小学生くらいの悪ガキグループの喧嘩そのものだ。
ポルコはやたら喧嘩の強い男の子A。相手方の空賊たちは、たくさんいるが皆弱っちいので徒党を組んでいる悪ガキグループB。Bは何かと自分たちの悪事の邪魔をするAが憎くてたまらず、ことあるごとに彼と喧嘩している。
そこに腕っぷしの強い男の子Cが隣町からやってきたので、Bはこれ幸いとCに頼んでAと戦わせる。一度目は幸運もありCの勝利。そこでAはリターンマッチに打って出る。
そこに悪ガキ全員のアイドルの上級生の女の子や、転校してきた可愛い下級生が絡んで、さあこの喧嘩と幼い恋愛はどうなりますか…てな内容で、まあどこにでもありそうな、いたって単純すぎるストーリー。
それを宮崎は空賊なる架空のギャング団対賞金稼ぎとの戦いに仕立て上げたのである。
3)作品の中核~宮崎監督の「草枕」
1)の反戦思想と2)のガキの喧嘩がどうつながるかといえば…実はつながらないw 宮崎監督は例によって何やら過剰に意味付与する解説を語っているが、そのどれひとつとしてピンとこない。
そこで作品から受け取る印象そのものをたどって、何が描かれているかを再構成してみると、これは全部宮崎監督の懐旧と過去から現在にわたる理想や願望そのものなのだと気づかされる。
悪ガキ連中との悪意のない喧嘩、憧れの上級生マドンナ、生意気だが可愛い下級生の女の子、格好は良くないが2人から好かれる自分、自分が教室の隅から羨望のまなざしで見ていた不良連中の恰好づけとそこから姿を変えたダンディズム、サヨク思想を通じて知った反戦思想とパルチザン、思春期に抱いた時代にあらがう夢、男の身勝手な夢を微笑みながら許してくれる優しく包容力のある女性たち、そして子供のころからずっと抱き続けた飛行の夢……これらはすべて監督の幼少期のノスタルジーであり、思春期の理想であり、現在も抱く願望ではないか。
夏目漱石は「草枕」で自分の理想郷を描いた。宮崎はここで自分の桃源郷、「草枕」を描いたのだ。反戦思想がどうしたこうしたと、ことさらしち難しそうな解説をしたがるのは、それがバレてしまっては恥ずかしいからに決まっているのである。
かなり多くの女性が本作を「バカオヤジの身勝手な妄想」と小馬鹿にするのが目に見える気もする。スマン、小生はこの妄想組の一員なのであったw
一つだけケチをつけさせてもらえば、せっかくイタリア満艦飾にしたくせに、ジーナが店で歌う曲はカンツォーネならぬシャンソンなのが、ダンディズムの風上にも置けないなぁ。
マルコがカッコいい。
おっさん愛にあふれてるよな
カッコいいとは、こういうことさ!!!
カッコいいとは、こういうことさ。 かつての「熱風」をもう一度!
舞台は世界恐慌真っ只中のイタリア。かつては英雄と呼ばれ、今は賞金稼ぎとして活躍している飛行艇乗りのポルコ・ロッソと、アメリカから名声を求めてやって来た若き水上機乗りドナルド・カーティスの名誉をかけた戦いを描く航空ロマン映画。
監督/原作/脚本は『となりのトトロ』『魔女の宅急便』の、生きるレジェンド宮崎駿。
子供の頃から何度となく観ている作品。
やっぱりジブリではこの作品が一番好きかも💕
一般受けする作品はほかに沢山あるし、本作の人気が比較的低いというのもよくわかる。
でも、「アニメ」ってこんなに面白いものなんだ!と気付かせてくれたこの作品よりも好きなアニメ映画は多分存在しない。
物事の考え方とか価値観とかを、この作品によって植え付けられた気がする🙄
1930年代初頭のイタリア。それは第一次世界大戦の傷跡が未だ深く残っており、戦勝国でありながら失業や不況に苦しんでいた🌫
戦後頭角を現したムッソリーニが政権を掌握し、ファシズムの動きが加速。暗い時代の到来がすぐそこまで迫っていた。
戦争で活躍していた飛行機乗りたちも職にあぶれ、空賊に身を落としていた🏴☠️
そんなかつての同業者たちを飯の種にしているのがポルコ・ロッソ(紅の豚)!🐷
アドリア海のエースと呼ばれた英雄マルコ・パゴット大尉その人である。
かつては軍人として活躍した彼だが、戦争により人間に失望し自らの顔を呪いで豚へと変えた。
ファシストを嫌い、国家や民族に縛られず、自らの名誉の為だけに空を駆ける彼の名声は遠いアメリカの地にも届いており、ドナルド・カーティスという若き天才パイロットが彼を倒し名声を手に入れようと、イタリアへとやって来る🐍
そこで切られる戦いの火蓋💥
名誉と金と女をかけた男と男の決闘!くぅ〜、堪らん世界観!
この作品はとにかく説明が少ない。
いちいち時代背景について説明しないし、豚へと姿を変えられた理由も殆ど説明がないため、子供の頃はよく理解できなかった。
でも、この視聴者を突き放すスタンスが本作の魅力となっている、と思う。
この作品の魅力はとにかく楽しいドタバタ空中アクション!…ではない。コメディ要素満載な物語の裏にある、寂寥感にこそある。
本来語るべき物語は、この映画で描かれている時代よりも前に存在している。
幼なじみジーナへの淡い恋心と失恋。親友とジーナの結婚。愛機サボイアとの出会い。戦争と別れ。人間への失望。豚への呪い…。
こういったドラマチックなストーリーがあるにも拘らず、それらは物語の裏側に追いやられている。
実際に描かれるのは前述した事柄に比べれば取るに足らない小競り合い。
社会は窮屈さを増し、かつての若者たちは歳を取り、「熱風」のような時代は過去のものへと過ぎ去った…。
もはや語るべき物語は存在していないのだ。
この寂しさや斜陽感が、ドタバタコメディの合間からふと顔を出すため、より一層悲しみが胸を締め付ける。ジーナさんが登場するだけで泣いてます😢
しかし、フィオやカーティスといった新しい時代の若者たちは、オヤジ達の燻りなど知ったこっちゃねえ!と言わんばかりに、「熱風」を背にそれぞれの情熱を燃やす🔥
そんな彼らに影響されて、ポルコもまた再び情熱を取り戻す。
中年を描いた作品だが、その本質は新しい時代を生きる若者たちへのエール。
だからこそ、この物語は全てが終わった(…とオヤジ達が思い込んでいる)時代が舞台なんだろう。
ポルコやジーナが失ってきたものを思い涙を流し、新しい時代への希望に胸を躍らすことが出来る、真に大人の為のアニメ。
糸井重里がつけたキャッチコピーは「カッコいいとは、こういうことさ。」
これはポルコの生き様のことを表していると思っていたが、そうではなかった。
ポルコの社会に迎合しない生き様も、ジーナの飛行艇乗り達に対する無償の愛も、カーティスの野心も、フィオの道を切り開こうとする情熱も、フェラーリンの軍人としての責任感も、空賊達の愚直な人生も、みんなみんなカッコいいのだ。自分の信念に従って生きている人間はそれだけでカッコいい。
そんな人間達が一生懸命に戦うからこそ、『紅の豚』の世界はフィオの言う通り「本当に綺麗」なのだ。
ピッコロ社で埃をかぶっていたエンジンに刻まれていた文字は「GHIBLI」=「熱風」。
宮崎駿が世界中にその名を轟かすのは、本作の少し後のことである…。
ジーナは賭けに勝ったのか?それは…内緒🤫
※
製作費:9億円
興行収入:54億円
=大ヒット!
名言の宝庫
(圧巻のオールドジブリ④)定番ですが?レビュータイトルは?→飛べない豚はただの豚だ!と〜
〜と、させて頂いた。
いや、言うまでも無い、まごう事無き名作!!!
空と海とを駆ける飛行艇。
そんな、飛行艇乗り達の物語。
主人公ポルコロッソの声を森山周一郎さんが。
他にも?重厚な声優陣が!!!
不景気に喘ぐイタリア。
産業の無い南の海(と空)では?
客船を襲う空賊と?その空賊を襲う賞金稼ぎの飛行艇乗りとの争い?が日々重ねられていた。。。
ーーーーー
良いんですよねぇ。。。
ウチ的に?オールドジブリ一番の名作。
無頼派?一匹狼?ポルコロッソは、本当に憧れる。
自身の圧倒的なスキルを誇り、でも周りには優しく。
群れず、貫く。
子供には優しく。
女性にも優しく。
戦いは正々堂々!
古き良き日本?古き良き時代?が、画面の中に有りました。
92年?の作品。
のんびりと、ワインなり紅茶なり、チーズなりシフォンケーキなり、をツマミに?
ゆっくりのんびり落ち着いた状態で見て欲しいですかね(もはや定番の映画ですが)。
工場長の桂三枝さんがお上手度】☆⑤
工場姪のフィオは今や麦わら海賊団のナミ度】☆④
アメリカのカーチスはソロモンの悪夢度】☆④
オールドジブリお馴染み上條恒彦さんはやはり重厚度】☆④
時代が変わり、様々な物や事が移ろっていく。
野村克也氏(ノムさん)は言った。
どんな才覚有る者でも敵わない物が二つ有る。
年齢と時代だ!
飛行艇乗り達の?古き良き時代は、確実に終わりつつあった。
それでも?変わらない事を選んで、自分を貫いたポルコ。
空と海に愛された飛行艇乗り達は気持ちの良い男達だ!
大らかに優しく、俺もかく有りたい!と思ったんよねぇ?
(*今は、こんな大人になりましたが・・)
人に優しく有りたいですな。。。
当時アルシオーネに乗ってた
映画館で観た。渋い決め台詞がいっぱいあって覚えきれなかった。「ファシストになるより豚の方がいい」てのが好きかなぁ。どうせならもっと大人の恋愛を描き、戦争反対を堂々と謳うものでもよかった。テーマとしてはかなり中途半端。
船の名前がアルシオーネ。これでスバル車を買った。フェラーリなんて名前もあったが、これは手が出ない。飛行機はアドリアーネ。ジーナはマレーネ・ディートリッヒを意識してあるのかなぁ。リリー・マルレーンを歌った加藤登紀子が声だし。
宮崎アニメとしては珍しくヒロインがジーナとフィオの2人。大人の男性向けを意識したけど、それだけでは物足りないと思ったのでしょうかね。
〈1992年7月映画館にて〉
豚という色眼鏡
この作品の最も謎はポルコがなぜ豚か。
悪い魔法使いに魔法をかけられたとか、
お姫様のキスで魔法が解けるとか、劇中でところどころでてくるものの、みんな気になりながらも自然と慣れていき、気づいたら美しい世界と、熱い男たちのぶつかり合いと、猛烈な女の闘いに引き込まれてどうでも良くなっていく。
でもそれがおそらく正解で、ポルコは本当に豚なのか。
豚から解けたと思わせる瞬間が2箇所ある。
フィオナが寝ながら横顔を見ていた時と、カーチスと殴りあった後。
これが意味するのは、別にポルコは豚の顔をしてるわけじゃないんじゃないかと。
英雄だったポルコが戦線から逃げ帰ったことで、おそらく彼は非常に非難を受けた。軍からも備考され、彼は豚の烙印を押されたのだろう。
それが魔女の魔法か。
あるいは、彼が豚であると魔法をかけられたのは周囲の人間たちか。
でも若い世代のカーチスやフィオナはそういう評判を知りつつも、彼と殴り合ったり、恋をしたり、それ以上の関係になっていた。だから、色眼鏡を外して彼の本当の顔が見られたのではないか。
そう考えると、その2人以上近いところにいて彼の理解者であったはずのジーナにも豚の顔に見えていたことが腑に落ちないところもあるけど、彼女の大切な人を失ったことや、それを深く後悔して罪を感じているポルコの間が少しあるのもわからないでもない。
周りの評価ではなく、実際に恋をしたり殴り合ったりしないとその人が見えてこないよなと感じさせてくれた素敵な作品である。
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