劇場公開日 2024年12月27日

神は銃弾 : 映画評論・批評

2024年12月24日更新

2024年12月27日より新宿バルト9ほかにてロードショー

カルト、惨殺、少女拉致。現代社会の闇にいざなう傑作ミステリーを過激に映画化

万人向けの映画とは言えない。2時間半を超える本編には過激な暴力描写が多く含まれ、映倫区分はR15+。あるいは苦行に似た鑑賞体験になるかもしれない。だが、信じることの危うさと尊さ、人間が示し得る邪悪さと勇気に感情を揺さぶられた先に、一筋の光が差すような救いを見出す観客もきっといるはずだ。

原作は、米国の覆面作家ボストン・テランが1999年に発表したデビュー作「God Is a Bullet」。短文を連ねてたたみかける文体、独特の比喩、容赦のないバイオレンス描写、犯罪ノワールと冒険小説と文芸を混ぜたような作品世界が話題を呼び、本国だけでなく英国と日本でも多くの小説賞の受賞やノミネートを果たした。映画化を担ったのは、巨匠ジョン・カサベテスの息子としても知られるニック・カサベテス監督。「きみに読む物語」「私の中のあなた」といった感動作から「ジョンQ 最後の決断」のような社会派サスペンスまで幅広いジャンルを手がけるが、脚本も兼ねた本作「神は銃弾」では約550ページにも及ぶ長編小説の筋を効果的に刈り込んで構成しつつ、映画独自のエピソードと描写を添えて作家性を加味している。

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事務方の刑事ボブ(ニコライ・コスター=ワルドー)の元妻とその夫が惨殺され、娘のギャビが行方不明に。事件を報道で知った女性ケイス(マイカ・モンロー)がボブに連絡をとる。ケイスはかつて自分を拉致した悪魔崇拝カルト「左手の小径」の仕業だと告げ、娘を生還させたいなら司法に頼らず2人で教団とその教祖サイラスを追うしかないと断言。ケイスに導かれるまま、ボブは暴力、ドラッグ、異常な儀式がはびこる闇の領域へ踏みこんでいく。

原作にはチャールズ・マンソンと彼が率いた狂信的カルト集団マンソン・ファミリーへの言及があり、彼らが起こしたシャロン・テート殺害事件を序盤の惨劇で引用したのは明らか。なお、映画冒頭で「実話に基づく」とテロップが入るが、これは原作者テランの公式サイトで説明された、「暴力的なカルトから逃れた少女を探すため著者がメキシコを旅した」体験が小説の背景になったことを指すと思われる(ただし作家は本名も素性も明かしていないので、この“体験談”が手の込んだマーケティング、つまり創作の可能性もあるが)。

拉致された娘(またはそれに近い存在)をシニアの主人公が命懸けで救い出そうとする映画としては、まずリーアム・ニーソン主演作「96時間」が思い浮かぶが、過激な暴力描写の点ではシルベスター・スタローン主演作「ランボー ラスト・ブラッド」のほうが近い。ただし2作に比べて、若い女性が捜索と救出の旅を先導するだけでなく、敵の集団と対決する際のバディとしても大いに活躍する点で、より現代的な展開になっている。マイカ・モンローは初主演作のホラー「イット・フォローズ」で陰のあるヒロインの資質をすでに示していたが、本作では顔や首、腕などにタトゥーをまとい危険な雰囲気を醸し、脆さと強さという矛盾した面を抱えつつ忌まわしい過去と決別しようと戦うケイスを説得力十分に表現し、実質的なヒーローと呼んでも過言ではないほどの存在感を残している。

暴力シーンについて原作と比較すると、映画版「神は銃弾」ではいわゆるゴア描写と評されるような、殴打や銃撃による人体の傷や損壊をリアルに(時には誇張気味に)提示してみせる映像が強烈だ。そのうちいくつかには原作にはない殺傷シーンまで含まれ、おそらくカサベテス監督の嗜好も影響しているのだろう。そうした要素の忌避も一因なのか、一部の国では30分以上カットされて2時間で上映された。もともと大長編の小説を凝縮した映画化なので、人物らの過去の関わりといった背景が割愛され説明不足のきらいがあるのに、さらに5分の1も削られたら脈絡が怪しい部分もきっと出てくるはず。その点で日本の観客は恵まれている。ともあれ、翻訳ミステリーのファンにはすでにお馴染みの存在だった新世代のノワールの語り手、ボストン・テランの名を映画ファンに広める契機としても本邦公開は意義深いと言えよう。

高森郁哉

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