劇場公開日 2025年9月12日

ブラック・ショーマン : インタビュー

2025年9月4日更新

福山雅治、自問自答し続ける「エンターテイナーとしての常識」

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シンガーソングライターで俳優の福山雅治が、東野圭吾氏の人気小説を映画化する「ブラック・ショーマン」で元マジシャン役に挑み、新境地を開拓している。今作でダークヒーローとして生きた福山が、自らの矜持ともいえる「エンターテイナーの常識」をつまびらかにしてくれた。(取材・文/大塚史貴、写真/根田拓也)

福山はこれまでに硬軟織り交ぜた役どころを演じてきたが、ラスベガスで名を馳せるほどの卓越したマジックと巧みな人間観察能力を持ちながら、金にシビアで息を吐くように嘘をつくという個性的な主人公・神尾武史と向き合った。原作は、東野氏の「ブラック・ショーマンと名もなき町の殺人」(光文社文庫刊)。活気を失った地方都市を舞台に、元中学校教師だった兄が殺された事件を、残された姪の真世(有村架純)とタッグを組んで解決していく姿を描く。

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■マジックに苦戦「『無理です』と言われると燃える」

洋画でマジシャンが登場する映画は、「グランド・イリュージョン」「プレステージ」「マジック・イン・ムーンライト」など幾つかタイトルが出て来るが、日本映画でと考えると劇団ひとり監督作「青天の霹靂」くらいしか思い浮かばない。筆者は長野県上田市で行われていた「青天の霹靂」の撮影現場を取材しており、マジシャン役に悪戦苦闘する主演・大泉洋の姿を容易に思い出すことができた。

控室でも常にカードとコインを手放すことがなく、「手元のテクニックが必要なので嫌になる。もう底なしですよ」とぼやいていた大泉。福山も神尾武史という人物に肉付けしていくうえで、マジックには相当手を焼いたようだ。

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「本当に大変でした。マジック監修のKiLaさんに『コインロールを40代以降でやるのは無理です。福山さん、お幾つですか? 無理です。でも頑張りましょう!』って言われたんです。『無理です』と言われると燃えるものですから、あえてそう言ってくださったんだろうと前向きに解釈しましたが(笑)、ま……大変でしたね。

俳優というのはこの年齢になると、出会う役は達人の役が多いので、達人の雰囲気を纏えるまで染み込ませる。今作は大掛かりなマジック、というかイリュージョンショーを披露するのは冒頭のみです。ですが佇まいから元マジシャンとしてのムードを醸し出さなければいけない。そのためには実際に何ができるのかという「手技」が大事になってくるのでその練習を重ねてきました。日本語で『手品』って書くと手と口が3つですよね。手技と併せて、相手を翻弄させるだけの話術もなければならない。役を作っていくうえで、このバランスを大事にしたいと考えました」

■神尾武史という役が持つポテンシャル

2025年の下半期は、福山ファンにとって少なくとも2度は劇場に足を運ぶことになるのではないだろうか。9月公開の今作と、12月に封切りを控える「映画ラストマン FIRST LOVE」。福山が出演する複数作品が同一年度に公開されるのは、「真夏の方程式」と「そして父になる」が大ヒットした13年以来、実に12年ぶりとなる(14年の「るろうに剣心」2作は同じ役のため除外)。

俳優としてのアプローチもアップデートを重ねていくなかで、これまでにない要素が多分に含まれた神尾武史という役が持つポテンシャルを、福山がどのように感じ取っていたのか知りたくなった。

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「先ほどおっしゃられたように、マジシャンの映画ってあまりないなと思ったので、原作を読ませていただいた時に挑み甲斐がある役だと思いました。大きな器というか、色々な要素を盛り込める仕組みになっている点も、僕はエンタメ作品として懐の深さを感じています。

今回は実の兄であり、姪っ子にとっては父親が殺害された話ですが、原作はもう1作品あります。そちらはまた全然違う内容になっているので、元マジシャンで『トラップハンド』というバーを経営しているという設定こそが、色々な要素を絡めてエンタメ映像化できる可能性があるんじゃないかと思ってワクワクしています」

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強い眼差しからは、飽くなき探求心が見え隠れする。前述した13年、筆者は「真夏の方程式」のアジアキャンペーンで福山に同行し、香港と台湾で密着取材を敢行しているが、その時の眼差しと何も変わらない。ちょうど干支がひと回りしたなかで、俳優・福山が見渡す光景に変化は生じているのか聞いてみた。

「2025年現在、エンタメの最前線で活躍していらっしゃる表に出る方も、クリエイターと呼ばれる方も、熱量がより高くなっているのかなと感じています。また、頑張り方のフォーカスが合っている。最速最短で自己実現に到達できているように見えます。

つまり、自分がやりたいビジョンであったり、こういうエンタメがやりたいんだ、こういう風に見せたいんだ……という自分が表現したいものに対するフォーカスが、僕の時代の人よりも合っていると思います。だから、この人が何をやりたいのが歌であれ、芝居であれ、ファッションであれ、世に出てくる人は概ねセルフプロデュースやセルフディレクションができている。目標へのフォーカスと行動へのディレクションが合っている表現者の方が多くなったなという印象を覚えます」

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■「世にも奇妙な物語」のタモリ、「古畑任三郎」の田村正和さんのように……

本編中、福山が「It's showtime!」と口にするセリフがあるが、文字で目にするのと映像として目にするのでは、言葉の持つ意味合いと理解度が全く異なってくる。

「神尾武史という人間と、小説を読まれる方にとっては小説との距離、映画を観てくださる方には、スクリーンから客席へ直接語りかけるセリフだと僕は解釈しています。送り手側と受け取る側の“あいだ”に立つセリフと言いましょうか……。

憚りながらですが、『世にも奇妙な物語』のタモリさんや、田村正和さんが演じられた『古畑任三郎』のような立ち位置。突然カメラの前で『さて、今回の事件ですが…』っていう展開、ありますよね。『It's showtime!』は、あの瞬間のようになったらいいなと思っています。姪の真世に言っているようで、真世を飛び越えて映画館に来てくださる方々に語り掛けているイメージなんです」

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では、「It's showtime!」という言葉を福山本人に当てはめてみるとどうだろうか。エンタメ業界で30年以上もスターの道を歩んできた福山が、「It's showtime!」と口に出したくなるほど心が沸き立つような高揚感を覚える瞬間は、どのような瞬間であったかについて話し始めた。

「それはやはり、ライブのオープニングの時ですね。そして、撮影の初日。ものすごく集中しなければならないし、興奮もしている。けれど、仮病を使って帰りたいなと思うくらい緊張して精神的に追い込まれています。作品のクオリティや数字という結果も全て背負うプレッシャーも感じている。その全てが、エンタメが持つ魔法なんだろうなと思います。

決して自信満々でそこに立っているわけではないんです。もちろん、しっかり準備はしていますが、恐怖感は常にありますから。そういったものが同居していることこそが、エンタメの魅力だと思います」

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■「常に自分を疑い、突き放しています」

また、福山が息吹を注いだ神尾武史を象徴するセリフに、「手の内を隠すのはエンターテイナーの常識だ」というものがある。これは昨年のライブフィルムの監督業にしろ、是枝裕和監督、ジョン・ウー監督、大根仁監督らとタッグを組んだ作品選びにしろ、簡単に手の内を明かしてはくれない福山の真理を如実に物語っているように見て取れることができる。福山自身の矜持ともいえる「エンターテイナーの常識」が、いかなるものか真っ直ぐにこちらを見据えて話してくれた。

「予想は裏切るけど、期待は裏切らない。まず、これがひとつ。あとは虚像と実像のあいだを行ったり来たり。言葉にするのが難しいのですが、常識を逸脱するというと語弊がありますが常識を超える、超えない、のあいだを探っていくということ。

人が人に関心を持つ、そこに時間とお金を使う。これって、当たり前じゃないと思うんです。皆が大谷翔平さんに関心を持つのは、『また打った!? 嘘だろう?』という異次元のパフォーマンスに対してですよね。それは努力で得られる部分もあるし、努力では到底たどり着けない部分もある。『人であって人ではない何か』。それがエンターテイナーであり、スーパースターなのではと。それでも、血の滲むような練習や積み重ねという努力は続けなければならない。

いつも『人に関心を持ってもらえるだけのものが、自分にはどれくらいあるんだろう?』と自問自答しながらやっています。そこに自問自答し続けるということが、僕にとっての矜持なのでは。『俺は普通じゃないからエンターテイナーなんだよ』とは到底思えない。常に自分を疑っています。よく自分を突き放しています。人に関心を持ってもらうために、常に自分に問い続け、自分を疑っています」

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