ハイパーボリア人

劇場公開日:

ハイパーボリア人

解説・あらすじ

「オオカミの家」で世界的に注目を集めたチリの監督コンビ、クリストバル・レオン&ホアキン・コシーニャの長編第2作。主演俳優アントーニア・ギーセンやパペット姿のレオン&コシーニャ監督が実名で登場し、チリ現代史の暗部やナチスドイツをモチーフに、実写やコマ撮りなどさまざまな手法を駆使して描きだす。

女優で臨床心理学者のアントーニア(アント)・ギーセンは、幻聴に悩まされているというゲーム好きの患者を診察する。アントからその話を聞かされた友人の映画監督レオン&コシーニャは、幻聴の内容が実在したチリの外交官・詩人でヒトラーの信奉者でもあったミゲル・セラーノの言葉だと気づき、これをもとにアントの主演映画を撮ろうと提案。アントはセラーノの人生を振り返る映画の撮影を始めるが、いつしか謎の階層に迷い込み、チリの政治家ハイメ・グスマンから、国を揺るがすほどの脅威が記録された映画フィルムを探すよう命じられる。

レオン&コシーニャ監督による2023年製作の短編「名前のノート」が同時上映。

2024年製作/71分/G/チリ
原題または英題:The Hyperboreans
配給:ザジフィルムズ、WOWOWプラス
劇場公開日:2025年2月8日

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(C)Leon & Cocina Films, Globo Rojo Films

映画レビュー

4.0観客を選ぶ作品ではあるが、イマジネーションの渦に圧倒された

2025年2月24日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

『オオカミの家』を体験済みの人ならば免疫があろうが、そうでない人に対し本作をどんなものと形容する術を僕は知らない。だから得てして、メリエル、シュヴァンクマイエル、パイソン時代のギリアム、あるいはゴンドリーなどを彷彿とさせるなどと口にしそうになるが、頭をよぎった瞬間、いやそのどれとも違うなと躊躇ってしまう。手狭な倉庫内における、手作り感に満ちたセットや小道具の中で展開する”ほぼ一人芝居”。でありつつ、ファンタジーであり、SFでもあり、さらに核心にはチリという国の歴史がある。これはこの国が逃れることのできない過去の記憶や傷を、突飛なジャンルや創造力を借りて現代人が「追想する」という極めて画期的で斬新な手法ではないだろうか。そうやって「私ではない何者か」を演じるうちに、役柄には「私自身」がにわかに滲み出していくかのよう。何がなんだかわからないが、その洪水の中でずっと絶え間なく興奮が渦巻き続けた。

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牛津厚信

3.5実験的アート映画の手法で、チリの過去と今を見つめ直す試み

2025年2月10日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

2023年に日本公開されたチリ発のストップモーションアニメ映画「オオカミの家」を興味深く鑑賞できた方なら、クリストバル・レオン&ホアキン・コシーニャ監督コンビの長編第2作「ハイパーボリア人」の独特な世界観や作風を楽しめる可能性は大いにある。もし前作を未見であったり、自分に合わない感じを受けた方なら、予告編などの事前情報をチェックしてから鑑賞するかどうかを判断したほうがいいだろう。

虚実入り混じったストーリーだが、序盤で語られる「ハイパーボリア人」の元の映像素材が盗まれて行方不明になった、というのは実話のようだ。それで諦めないどころか、新たな創作スタイルで作り直すのが監督コンビの見上げたところ。主人公で語り手の女優アントーニア・ギーセンに等身大の操り人形を相手に芝居をさせたり、飛び出す絵本や動く紙芝居を大きくしたような質感と動作のセットとストップモーションアニメを組み合わせるなどして、映画とインスタレーションとパフォーミングアートを融合させた実験的作品に仕上がっている。

ストーリーの理解に役立つ予備知識を仕入れたい向きには、チリの元外交官でヒトラーを崇拝したミゲル・セラーノについてネット検索などで調べておくのがおすすめ。Wikipediaでは、日本語版の項目「超教義的ナチズム」の中で短く紹介されているほか、英語版の「Miguel Serrano」の項でその生涯や思想が詳しく説明されている。

一義的にはチリの過去と今を見つめ直す試みだろうが、ユニークな抽象化の手法によって他国の観客の興味や想像をかき立てる普遍性を獲得しているように思う。

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高森 郁哉

3.0ムイビエン♪ムイビエン♪

2025年3月7日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

コラージュとかノイズとか
インスタレーション的なフィルム大好きだから
全く抵抗ないというかよく出来てると思った
プランやデザインに加え緻密なこだわり趣味嗜好に
グッと来た
前作の「オオカミの家」にも美的センス感じてて
スクリーンで芸術を体験した(座ってて観れて楽)

「○○さん(あたしのこと)の好きそうなやつだったからぜひ観てきてー」と
最近チリのドキュメントにハマっている映画好きの若い同僚が紹介してくれたので話のタネに行くことにした
せっかくなのできちんと予習して
前作の「オオカミの家」も配信で見てから行ったので
何を表現したいのかは想像する事ができて楽しめた

だいたいタイトル聞いた時にギャグ映画ですか?
と思ったし
よその国の過去の歴史をあたしが真剣に考えてもなんだし
現在の世界がもう大国のボス達がトチ狂っているので
このところ過去も未来も何も考えたくない老人になった
いい歳のおばさんはテイストを楽しむだけで充分だった
ぱっと見古いフィルムを見ているようで
アナログ手法の斬新さがとても楽しかった
紹介してくれた同僚に感謝♡

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mamagamasako2

4.5理解できないことのリアリティ

2025年3月3日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

好きか嫌いか、お勧めするかしないか、そうした基準の一切を跳ね除ける作品。

見たあとしばらくの間、理解もできなければ、言葉にもならず。
ただこの作品を見た、という体験だけが内側に残った。

体感的には、「川辺を散歩していてなんとなく川の水を触った」とか「真上を飛行機が飛んで空を見上げた」とかと似た体感。
感情を大きく揺さぶられるというよりは、目の前に流れた出来事に、意味や理解を求めると困惑する、という感じ。

映画を見て2日経ち、身体の内側にいたハイパーボリア人の記憶と少し話ができるようになってきた感覚があり、記述してみている。

今日は予想外な出来事に遭遇して、怒ったり悲しんだりグラグラと気分も混乱していた。
一息つくと、ふとハイパーボリア人の映像の断片が思い浮かんでくる。
私が混乱している状況の中、意外なことに親しみを感じたのがこの映画だった。

その要素

わけが分からぬままにポンと混沌とした状況に投げ込まれる

自分の身の回りの大半は、自分の考えや予想に反して展開している

自分自身すら辻褄の合わない要素をあわせ持つ

愛する人が何を考え・信じているのかも到底理解できない

ある時180°人や物事の見え方が変貌する

ありがちな非現実的な感動ポルノに心揺さぶられる

作り込みリアリティを求めるほどにリアリティが遠ざかる

取り組んでいるうちに段々と理解を超える次元に到達し、ただ続けている

これらの断片について思うことは、映画なのに、とても自分の現実に近しいもののような感覚だった。
混沌としていて、そこには一貫した筋道は見えず、ただあちこちに巻き込まれていく。

自分で意味を見つけて、理解しようとすることで自分が保たれる。
自分が保たれる一方で、流したこと、忘れたこと、整理されていないこと、辻褄の合っていないことを抱えていることも確か。

チリの監督ということもあって、ホドロフスキーも思い浮かぶ。
映画監督でもあり、演者でもあり、サイコマジックで人をケアする者でもある…複雑な肩書きのあるホドロフスキーも、時折り主演の人物と重なって見えた。

この作品を通して、映画自体が期待されていることや映画が果たす機能を、解体・拡張しようと実験しているかのような。

オオカミの家でも感じた、身体の内側に残る感覚が、より理解とは遠い場所で生じる作品をみた。

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sumu