時々、私は考える

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時々、私は考える

解説

「スター・ウォーズ」シリーズのデイジー・リドリーが主演・プロデュースを手がけ、不器用な女性が恋や仕事仲間との交流をきっかけに生きることの愛おしさを知っていく姿を描いたヒューマンドラマ。

映画「グーニーズ」の舞台としても知られるオレゴン州アストリアの閑散とした港町。人付き合いが苦手な女性フランは、職場と自宅を往復するだけの平穏な日々を過ごしていた。友人も恋人もいない彼女にとって唯一の楽しみは、幻想的な“死”の空想にふけること。そんな彼女の日常が、フレンドリーな新しい同僚ロバートとのささやかな交流をきっかけに、ゆっくりと動きはじめる。ロバートと順調にデートを重ねるフランだったが、心の足かせは外れないままで……。

2023年インディワイヤー誌の「注目の女性監督28人」に選出されたレイチェル・ランバート監督が、ステファニー・アベル・ホロウィッツ監督による19年製作の同名短編映画を長編映画化した。

2023年製作/93分/G/アメリカ
原題または英題:Sometimes I Think About Dying
配給:樂舎
劇場公開日:2024年7月26日

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映画レビュー

3.5小舟のようにゆったりとたゆたう

2024年7月25日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

まるで写し鏡のような映画だ。ここに刻まれた93分間の軌跡を、取るに足らない時間と捉える人もいるだろうし、逆に自分の内面を見透かされたようなハッとした気持ちになる人だっているはず。どちらの反応があったっていい。いずれにせよ、本作はゆっくりとした時間の流れと、美しい日常の景色で浸されている。デイジー・リドリー演じる主人公は他人と交わろうとはしないし、職場の皆も彼女の人柄に理解を示しているかのよう。だが、そこに新たな同僚が投入されることで化学反応が生じる。相手へのささやかな関心。二人の間で築かれる交流。海に浮かぶ小舟のような日々が、やがて流れ着く岸辺。みんな何かを抱えて生きている。そんな中で相手を思いやり、ふと想いをかたちにすることの難しさと尊さ。それは何かを変えるかもしれないし、変えないかもしれない。が、少なくとも誰かのことを大切に想った事実に変わりはない。その愛おしさを噛みしめたくなる一作。

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牛津厚信

3.5Bittersweet Office Romance

2024年7月3日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

単純

Dying is deadpan drama about the lull of solitude in singlehood in the 30's and beyond. Ridley takes on a serious role of a pessimistic secretary running through the everyday hoops of white-collar suburban life, and comedian Merheje plays a co-worker who tries to sweep her off her feet, despite having his own skepticism about the verity of romance. You might as well soak it in if you need to.

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Dan Knighton

3.5邦題が酷い。

2024年10月17日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

監督で言うとハネケとリンチとコッポラの娘と山田太一を混ぜたような感じかな。 今まて繊細な白人女性のモノローグ的作品って退屈な印象あったけど、これはけっこう面白かった。 日本人にも多くいそうな内向的だけど社会にギリ対応してる主人公だからでしょう。 原題のdeath を無視した邦題は、またぞろ酷いタイトルつけて映画への興味を毀損してしまった。 この邦題でよくオリジナルの制作者に許可取れたなぁ

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Koh18

1.5デイジー・リドリーはもっといい映画出て欲しい。

2024年10月6日
iPhoneアプリから投稿

原題は「時々、私は死ぬことを考える」で、邦題のように「死ぬこと」を抜いたらわけわかんなくなっちゃうと思うんだけど。 まあしかし原題のとおり「死ぬこと」が加わったところで、大して意味のあるものになってるとも思いませんでしたが。 主人公は自分の死ぬ場面を時々理由もなく考える癖があるんですが(その想像のシーンは美しくてなかなかのものですが)、、そんなこと考える暇があったら何かもっと他にやることあるんじゃないかなーという気がしました。 猫でも飼えばいいんじゃないの? とりあえず申し分なく生活はできてるが、なんとなく居心地悪くてもやもやしてる独身女性(独身男性のパターンでもいいけど)が、なんとなく適当に出会いとか周囲に変化があったりとかして、なんとなくこれでいいんだ的なぼんやりした結論に落ち着く話、日本にも時々あるような気がするけど、これは日本に限らずそこそこニーズがあるってことなんでしょうかね。 そんなところに救いはないよ、と言いたいですけどね。 もっと本気でかからないと、灰色のの靄のかかったような毎日は、ずっと灰色のままですよ。 別にそれはそれで、そんなに悪いことでもない。 とりあえず生きていけてんのなら。 それに甘んじるのが嫌で、かといって真剣に何かに向き合うこともせず、なんか適当にふらふら立ち回ってるうちに自分の本当の場所見つかりました、みたいな都合のいい話は自分は嫌いだし、共感できないですね。 この映画の主人公の場合、職場の男性とのあれこれが話のメインになってるんだけど、これがまあ、魅力の乏しい男で。 映画の重要な役回りだったら、もう少し魅力ある人物であって欲しいよ。 ルックスも言動もまるきりイケてるところがなくて、ほんっとどうでもいいキャラクターでした。 こいつが何言おうが何しようが、まるで興味が持てないなーと思いながら見てました。 イケてないのはその男だけではなくて、主人公がなんか職場の人に呼ばれてホームパーティーに行って、即興ストーリーつきのかくれんぼみたいなゲームするんですけど、あれ面白いですかね? まあ暇つぶしにやる分には文句はないけど、そこに映画のエピソードとして意味を持たせるのは、なんかこう、寒い。 そんな感じのぬるいというか寒いというかどうでもいいというか、そんなことしか起こらないまま、なんとなく主人公がちょっと積極的に周囲と関わり始めたところで終わりになります。 まあこういう映画の結論はこんなもんでしょう。 上にも書いたように、そんなとこに答はないと思うし、あたかも答があるように語る話はインチキくさくて嫌いです。 じゃあ自分がその答の在処を知ってるかと言われると、甚だ自信がないんですけども。 結局もがき方が違うだけで、同じ沼につかってる同類を見てやいのやいの言いたいだけなのかもしれないですが・・・。

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sokenbitea