「真実はどこにある?」マリウポリの20日間 稲浦悠馬 いなうらゆうまさんの映画レビュー(感想・評価)
真実はどこにある?
この映画は、まるで映画のような始まり方をする。フィクションなのに映画みたいだ。
「まるで現実かと思わせるぐらいリアルな演出の映画」とうものが世の中にはあるが、この作品は「まるで現実かと思わせるぐらいリアルな演出の映画かのように思わせるノンフィクション・フィルム」だ。
緊急事態、揺れるカメラワークの中で、兵士が喋り、ロシア軍の「Z」と書かれた戦車がやってくる。一見まるでゲームのCALL OF DUTYの世界かのようだ。
サッカーで遊んでいる途中にロシアの爆撃によって足が吹き飛ばされた子供がいた。
その子供の隣で嘆き悲しむ父親がいた。
産婦人科も爆撃され妊婦とその子供が亡くなった。
ロシア軍は相手が民間人だろうと容赦なく殺しまくる。そして国際社会に向けては「民間への攻撃はしていない」と嘯くのだった。なんと厚顔無恥な。
たった数十日間の間にウクライナの都市であるマリウポリはロシア軍に制圧され数万人が死亡した。
あまりにも短い間に自分たちの生活が根底から瓦解して戸惑い絶望する人々。その姿をカメラマンは克明に記録し続ける。
今までウクライナのニュースを耳にして「知らなければいけない」と思いながらも、特に積極的に何をするでもなく過ごしていた自分だが、この映画がようやく向き合うきっかけとなった。
これは映画であり記録フィルムなので、僕は日本の安全な映画館でぬくぬくと映像を観ることが出来る。このフィルムと現地の隔たりがある限りは、結局は対岸の火事に過ぎないのだ。ではこの映画を観る意味は果たしてあるのか。
映像中の現実は涙なくしては見られない。だが多少の涙を流したからと言って一体何の意味があるのか。日本で何百万の涙が流れようともウクライナの現実は変わらない。
だがこのフィルム中では現地のウクライナ人が「事実を世界に向けて発信してくれ」と願うシーンが出てくる。ということは、つまりこうやって事実を知ること自体にも意味はあるのではないかと思わされる。
この映画で映し出される現実の悲惨さのせいか、カメラワークの揺れが多かったせいか、映画館を出る頃にはなかなか気分が悪くなっていた。
僕は映画館を出ると本屋に向かい、ウクライナ戦争関係の書籍を探した。たくさんあってどれを選んだら良いのか分からない。
特にサイバー戦争、情報戦について書かれている本が気になった。
今回、自分は映画でウクライナの惨状をリアルに知った気になっているが、この映画自体が丸ごとフェイクである可能性だって否めない。特に政治や戦争においては真実を見極めることが非常に難しく、まさかの嘘が隠されている可能性は常にある。
この映画中にもロシアがウクライナの惨状の映像を「フェイクだ」と決めつけるシーンが出てきており「真実をフェイクだと見せかける情報操作」が腹立たしかった。だがそれと同時にこの映画によって観客である自分が情報操作されている可能歳だってあるのだ。
なので大事なのはまずは真実を知ること。だがこのように多くの本が並んでいると書籍から真実を突き止めるということ自体が難しくも思えてくる。世の中、常にただひとつの真実が提示されているとは限らない。
なお日本語版Wikipediaにもこの件についてまとめられている。2022年の出来事だったらしい。