顔を捨てた男

劇場公開日:2025年7月11日

解説・あらすじ

「サンダーボルツ*」「アプレンティス ドナルド・トランプの創り方」のセバスチャン・スタンが主演を務めた不条理スリラー。

顔に特異な形態的特徴を持ちながら俳優を目指すエドワードは、劇作家を目指す隣人イングリッドにひかれながらも、自分の気持ちを閉じ込めて生きていた。ある日、彼は外見を劇的に変える過激な治療を受け、念願の新しい顔を手に入れる。過去を捨て、別人として順風満帆な人生を歩みだすエドワードだったが、かつての自分の顔にそっくりな男オズワルドが現れたことで、運命の歯車が狂いはじめる。

容姿が変わっていく主人公エドワードの複雑な心情をセバスチャン・スタンが特殊メイクを施して熱演し、2024年・第74回ベルリン国際映画祭で最優秀主演俳優賞(銀熊賞)、2025年・第82回ゴールデングローブ賞のミュージカル・コメディ部門で最優秀主演男優賞を受賞。「わたしは最悪。」のレナーテ・レインスベがイングリッド、「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」のアダム・ピアソンがオズワルドを演じた。外見やアイデンティティをテーマにした作品を手がけてきたアーロン・シンバーグが監督・脚本を手がけ、全編16ミリフィルムでの撮影による独創的な世界観を作り上げた。

2023年製作/112分/PG12/アメリカ
原題または英題:A Different Man
配給:ハピネットファントム・スタジオ
劇場公開日:2025年7月11日

オフィシャルサイト

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第97回 アカデミー賞(2025年)

ノミネート

メイクアップ&ヘアスタイリング賞  

第82回 ゴールデングローブ賞(2025年)

受賞

最優秀主演男優賞(ミュージカル/コメディ) セバスチャン・スタン

第74回 ベルリン国際映画祭(2024年)

受賞

最優秀主演俳優賞(銀熊賞) セバスチャン・スタン

出品

コンペティション部門 出品作品 アーロン・シンバーグ
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映画レビュー

4.0現実の捉え方の違いで分かれた人生の明暗

2025年7月12日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
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ニコ

4.5不条理

2025年7月18日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

「パム&トミー」ではトミー・リー(モトリー・クルーのドラム)を、「アイ・トーニャ」ではトーニャ・ハーディングのバ◯亭主、「アプレンティス」では若きトランプを演じてきたセバスチャン・スタン

今作では、顔の病気を手術で直し人生の再起をかけて順調に進んでいたら、突然半端ない人間力をもった自分と同じ病気をもつ他者が現れたら、の「もしもシリーズ」

そりゃぁ、バッキー!?ではなくセバスチャン・スタン演じるエドワード、嫉妬もするし悩むよね!?

なかなか皮肉の効いたタイトルとなっておりました

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うんこたれぞう

4.0実は『アニー・ホール』のようにほろ苦くも愛おしいブラックコメディ

2025年7月18日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

奇しくも全米公開時期が重なった『サブスタンス』とは、ともにルッキズムをモチーフとしている点からも比較されやすい。その際、本作は「話のひねりやエンタメ性に欠け、地味に説教臭い」と言われることがどうも多いようだ。が、果たしてそうだろうか。

コラリー・ファルジャ監督の『サブスタンス』は、絶えず女性に若さと美を求めてくるようなクソ男性中心社会をぶった切って、ある意味とても教訓的な作品だった。対する本作は、「容姿の美醜」という厄介なモチーフを扱いながら、一種のブラックコメディという体裁をとって、ルッキズムの内面化がもたらすアイデンティティ・クライシスをカリカチュアしてみせる。

ここで注目すべきは、おそらく神経線維腫症と思われる病に罹った容貌を全面的に見せながら、それをことさら「特別扱い」しない点だ。ココは大いに共感を覚えたところでもある。
たとえば、主人公エドワード(セバスチャン・スタン)の周囲はごく普通に彼と接する様子が描かれる。同じ病気を患うオズワルド(アダム・ピアソン好演!)が登場してもそれは変わらない。各人の心の中はともかく、少なくとも彼らのことを当たり前に受け入れている。その顔に過剰反応して心無い言葉を浴びせたり、あるいは腫れ物に触るように気遣ったりしない。唯一そんな「特別扱い」が窺えるのは、主人公が自ら出演する企業内研修ビデオを見るシーンだろう(ビデオに描かれた内容は、まるでロベール・ブレッソン監督作『白夜』における劇中映画シーンのような空々しさだ笑)。

さて、そんな本作を観て真っ先に思い浮かべたのは、先に挙げた『サブスタンス』ではなく、1970年代のウディ・アレン監督作品、なかでも『アニー・ホール』『マンハッタン』の二作だった。やや唐突かもしれないが。

たしかに、主人公の男が極度に神経質だったり、天井の“穴”から何か落っこちてくるあたりは『ボーはおそれている』の不穏さを思わせるし、陰口叩いた理学療法士をいきなり包丁で刺すくだりはヨルゴス・ランティモス作品のような冷めた視線を感じさせる。

一方、本作とウディ・アレン作品の作風は一見似ても似つかない。では、どのあたりがそう感じさせるのか(※映画冒頭、アパートの住人が彼のことを「ウディ・アレンに似ている」と不意に言うセリフが出てくるので、これがヒントになったとはいえるかもしれない)。

まず最初に、他人から見れば自分の存在など大した問題ではないのに周囲の目を気にしすぎる主人公の性格は、ウディ・アレンが先の二作で演じた「神経症気味でプライドが高すぎる、冴えない風貌の主人公」とどこか一脈通じる。セバスチャン・スタンはイケメンだけど。
また映画前半の主人公の身なりは、前二作におけるウディ・アレンのファッションを想起させる。とくに終盤、プリーツ入りチノパンにタックインしたチェックシャツ、あのハットとメガネのセバスタはウディそっくり。そんな彼が複雑な笑みを浮かべるラストショットには、『マンハッタン』の最後に映し出されるウディの切ない笑顔のアップが重なってくる。

共演者たちについても同様のことがいえる。ヒロイン(レナーテ・レインスヴェ)のやや風変りだけどやっぱり俗人的というキャラは「アップデートされたダイアン・キートン」といった趣だし、“人たらし”でどこでも人気者のオズワルドは、『アニー・ホール』で常に高身長の女性をはべらせているポール・サイモンみたいだ。となれば本人役で登場するマイケル・シャノンは、さしずめ『アニー・ホール』に出演していた批評家マクルーハン本人といったところか。

さらに言うと、全編16mmフィルムで撮られたマンハッタンの街の風景はどこか懐かしさが滲む。またアパートの部屋、小劇場の舞台装置、バーの店内など一連のプロダクションデザインにも、70年代ウディ・アレン作品のもつ空気感、インディーズ映画的な匂いが感じられる。

これらから推察されるのは、本作が、「容姿は変わっても周囲の目を気にかける内向的な性格は変えられなかった者の悲劇」とか「自己肯定感の低いひとに対して外見より中身だよと諭す教訓譚」といったひとことで括れるような単純な構成をとっていないということだ。

現代的な「ルッキズム」をモチーフとした不条理系ブラックコメディの体裁をとりながら、その実、ウディ・アレン初期作品のようなほろ苦くも愛おしい小市民的ドラマを、ごく「普通」「当たり前」に描いてみせる——そんな離れ業のようなことを本作はやってのけてるのではないか。その点にもっとも心揺さぶられた。

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いたりきたり

2.0エレファントマン・トワイライトストーリー編

2025年7月17日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

難しい

作品の宣伝方法を失敗してしまった作品だと思います。
残念ですが、最近の鑑賞作品で5本の指に入る「眠くなる時間が多い」作品でした。

以下、作品の個人的評価を記したいと思います。

①邦題が誤解や先入観を与えた。
素直に、「ディファレントマン」で良かったと思う。
「捨てた」ことよりも、「違う(ディファレント)」ことがテーマの作風に見えた。

②セバスチャン・スタン製作総指揮の気持ちが注がれ過ぎた作品かも。
映像や物語構成が独特過ぎた。
個人的に、80年代頃のヨーロッパ作品のイメージが全体的に有ったので、この意図的な映像の見せ方はセバスチャン・スタンさんが個人的にやりたかったのではと思ったりした。
お若い俳優さんだが、そのご両親様か祖父母様もしくは恩師からか、影響を受けていたのかなと。
全体的に「エレファントマン」を最大にイメージさせた。
※エレファントマンはもっと古い時代の作品だが、映像具合は70年代~80年代頃のクラシックなイメージでした。

③導入や進行があまりにも滅裂。
不可解過ぎる行動、流れ、感情表現、急展開、登場人物の性格や対応、さらに鑑賞側が絶対求めていない意味のないヌード。
物語の構成も映像の引継ぎも滅裂が目立った。
※逆を言えば、クラシックな作品にはこのような滅裂と思える「画風」は多くあると思う。それがその時代の特徴だったとも思えます。

……つまり、最初の番宣映像や邦題において、その作品の「イメージ」を、もう少し違って(正確に)発信していれば、鑑賞に臨む時の気持ちも違ったと思えるので、最初に感じたのは「日本の配給会社のミス」でした。

テレビドラマですね。まさにトワイライトストーリーや世にも奇妙な物語のような、救えなく意味が分からない、怖い感じのドラマ。

良い点が無いわけではありません。
ダブル主演のアダム・ピアソンさんの好演技と映像の見せ方。

誤解してほしくないんですが、偏見から忖度しているわけではありません。

鑑賞中は、本当の神経線維腫症の方とは知りませんでしたので、鑑賞後に思ったのは演技が普通の健常者と全く同じプロの演技力があったことに称賛を送りたくなりました。
また、見た目の特殊な人物に対する周りの対応の観せ方も、ちょっとだけ驚く程度で普通の健常者同士レベルの感覚で描いておられたので、その自然な映像の見せ方は素敵だなと思いました。
※冒頭の地下鉄でジロジロ見たり嘲笑するような人物は、相手が超絶美形だろうが何だろうが変わらずいやな態度をする人々レベルなので。

時代的なコンプラ問題もあるかもしれませんが、虐待やいじめが表現されていない点も良かったです。

ですが申し訳ないのですが、今の時代に映画館で鑑賞するにはあまりにも全体構成が不可解なので低評価となりました。

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