戦雲(いくさふむ)のレビュー・感想・評価
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歌や祈りだけでは平和は成り立たないが
「沖縄 x 基地」と言うと真っ先に頭に浮かぶのは「辺野古・普天間の米軍基地」問題でしょう。しかし現実には、沖縄本島よりさらに南西300~500 km に位置する宮古・石垣・与那国などの先島諸島では、自衛隊による基地化・ミサイル配備が着々と大規模に進行しています。しかも、それはマスコミでもあまり報じられていません。本作は、本土に蹂躙されて来た沖縄の歴史と現在を発信し続けて来た三上智恵監督による「知られざる基地問題」のドキュメンタリーです。
「離島の要塞化、そして、島民の切り捨てが既にここまで進んでいるのか」
「島民を守る為にのお題目で配備された自衛隊基地は、実際には『本土を守るための多少の犠牲』の橋頭保なんだろうな。80年前の沖縄と何も変わっていない」
という事を思い知らされ慄然とします。しかも、辺野古ほどニュースとして取り上げられてもいません。でも、本作を観終えて僕の心に湧き上がった「戦雲」はその現実故だけではありません。
三上監督の作品は、『戦場ぬ止み』『標的の島』『沖縄スパイ戦史』とこれまで続けて観て来ました。少なくとも僕が観た回はどの作品もかなりのお客さんが入っていました。本作も、公開から1週間ですが満席でした。しかし、これまでと同じく今回も観客は殆どが年配の方ばかりで、平均年齢は60歳程度だったでしょう。日曜日なのに、40代の方すら殆どおられなかったと思います。
これが、日本のドキュメンタリー映画の現実であり、そのまま沖縄問題の現実と言えないでしょうか。元々関心のある人が視線を向けるだけなのです。この様な作品に若い人を呼び込めるようになった時、基地の問題も押し戻せるのではないでしょうか。でも、それにはどうしたらよいのか、情けないですが僕にはさっぱり分かりません。
作中で山里節子さんが仰っていた
「歌や祈りだけでは平和は成り立たないけど、それがなければ成り立たない」
の言葉にすがるしかないのでしょうか。
堅苦しい作品ではなくて、見やすかった
ちょっと失礼な感想かもしれないけど、沖縄に修学旅行に行くような感じ。
沖縄の過去と今を学べるほかに、家畜や海とともにある人々の暮らしが見れたり、運動会のような迫力あるお祭りの様子を結構長尺で見れたり。
そんな暮らしの中を戦車が通っていったり、自然の中に人工的な施設(の計画)があったり、それに必死の思いで抗う人々の声があったり、、広くいろいろ見ることができる映画でした。
この映画を観る機会があるのに観ない(=無知を貫いて生きる)のは罪なような気がして、重い気持ちで観に行ったけど、海やお祭りのシーンも長めにあって結構観やすかったです。
再び捨て石にされる沖縄
青く澄み渡る空、太陽の光を反射して輝くエメラルドの海、日本が誇る緑の楽園たる南西諸島の島々。
そこがいま軍事拠点として次々と要塞化されている。緑の大地が切り裂かれ物々しい火薬庫やミサイル基地として整備されつつある。昔これらの島々を旅した身としてはその有様に愕然とさせられる。そしてそこに住む住民の方々のつらさはいかほどか、想像に難くない。
島嶼防衛のためと与那国島に警備隊を常駐させたのを皮切りにあれよあれよと自衛隊基地を建設、そしてミサイルの搬入まで、住民たちの理解を得ぬままに事が進められてきた。
島嶼防衛などとただの口実に過ぎない。これだけ島々に散らばった島民たちを守るなど不可能に近いからだ。目的は他にあった。そう、今何かと叫ばれている「台湾有事は日本有事」だ。
与那国島は台湾から111キロの地点。そしてこの島からなる南西諸島一帯を対中国攻撃の拠点として南西シフトを作り上げるためだ。
防衛のためではなく軍事拠点として利用するためにミサイル基地としたのだ。多くの住民が居住するにもかかわらず。
「台湾有事は日本有事」、この言葉を散々聞かされてきた国民はああ、そうなのかと何の疑問も抱いてないのではないだろうか。
これを言い出したのはすでにこの世を去った元首相である。彼は台湾が与那国から近いという理由で中国が台湾に武力攻撃を始めれば、日本も巻き込まれるからとこれを言い出した。しかし日本から近距離で行われた朝鮮戦争で日本が巻き込まれた事実はない。
そもそも1972年の日中国交正常化で日本は国としての台湾とは国交を断絶し、現在は非政府間での交流をしているに過ぎない。日本にとっては台湾は国ではなく中国の一部なのだ。アメリカも中国は一つとして台湾の独立に対しては消極的姿勢を見せている。台湾と中国の問題について首を突っ込むことは内政干渉になりかねない。ではなぜ台湾有事は日本有事なのか。その理由はアメリカの対中政策にある。
アメリカはアフガンイラク戦争で多額の戦費を使ったため議会から軍事費削減を求められており、東アジア地域での軍事活動は制限されている。そのために対中戦略に関して日本を利用したいのだ。アメリカが軍事費削減を余儀なくされる中、その分日本に負担してもらおうというわけである。アメリカのための戦争に日本が利用されているだけのなのだ。
同盟国のアメリカが行う戦争に加担するということ。専守防衛しか認めていない日本国憲法の下ではけして認められるものではない。
安倍政権下で閣議決定のみで憲法解釈が捻じ曲げられて集団的自衛権が認められた。その解釈変更に基づいて政権は既成事実を作ろうとしているが、現在日本全国ではこの安保法制に対して違憲訴訟が提起されている。歴代の内閣法制局長官をつとめた人々も明らかに違憲だと述べている。
そもそもが憲法解釈を閣議決定のみで決めてしまうというのは民主国家ではあるまじきことだ。国会で過半数の議席を有しているから最終的には多数決で決せられるという理由で国会での審議を省略したといいたいのだろう。しかし、密室で行う閣議決定と国会で審議を行うこととはまるで違うのだ。国会での審議は国民をもその議論に巻き込むことができる。憲法解釈変更は世論を巻き込んでその是非が問われるべきものなのだから。
まさに今この国は民主国家として危機に瀕している。これら重要法案が閣議決定のみで次々と決められ、そして沖縄をはじめとする南西諸島の人々の民意を無視し続け、有無を言わさぬ基地建設で人々の生活を破壊している。
基地誘致の賛成反対で住人たちが分断され地域社会が破壊されてゆく様は原発誘致の問題とまさしく同じだ。
だがそれもこれも日本が戦後アメリカの傀儡国家として歩んできた当然の成り行きなのかもしれない。いまの日本はとても主権国家とは呼べない。まさにアメリカの51番目の州なのだ。軍事同盟だけではない。今までも年次改革要望書の通りに日本はアメリカの草刈り場として国を売り渡してきた。
現在の少子化による人口減少などはお隣の韓国同様アメリカからの要望通りに規制緩和をしてアメリカに対して市場開放してきた結果なのだ。結果韓国も日本も人口減少は止まらない。このままアメリカに骨の髄まで食い尽くされてしまうんだろうか。
今は沖縄の人々が目に見えて被害を被ってはいるが、本土の人間たちも同じ末路をたどることになるやもしれない。現に今行われている辺野古基地建設は現代の土木技術では不可能な埋め立て工事だ。すでに当初予算の全部をつぎ込んで20%しか工事は進んでいない。まさにサクラダファミリアのようにいつ終わるとも知れない公共工事に国民の血税が延々と注ぎ込まれる。しかしいくら注いだところでこのマヨネーズ地盤を埋め立てることは困難だ。
沖縄は第二次大戦末期、本土決戦に備えるための時間稼ぎとして持久戦を強いられた。まさに捨て石にされたのだ。
亡くなったのは民間人12万人、兵士9万人とも言われている。しかし多くは生きて虜囚の辱しめを受けずの戦陣訓通り自害を強いられたり、米軍のスパイという容疑をかけられ日本兵に殺された者も多かった。ひめゆり学徒隊の悲劇も忘れられない。
まさにこの世の地獄を体験した沖縄の人々に今もあの時と同じような試練を与えようとする国家とはいったい何なのだろうか。
今、若い自衛隊員の中にはアニメを見てあこがれから入隊したとか、まさに前述の台湾有事は日本有事を信じて入隊するものが多い。日本の過去の大戦の歴史もよく知らないのだろう。
そんな彼らに向かって戦争体験者のおばあさんは言う、平和への道をふさいだのは誰かと。
なし崩し的に基地がつくられる
なんとなく、あらすじを読んで
沖縄の米軍基地問題の内容かと思ったら
沖縄本島のさらに西にある与那国島、石垣島、宮古島に
自衛隊のミサイル基地ができていく2016年あたりから2023年までの様子が描かれている
自衛隊を国防のために島にうけいれる
しかし、そこからなし崩し的に
ミサイル基地、弾薬庫などもできてきた
当然、島の住民は反対運動をする
住民投票までした島のあった
しかし、その努力もむなしく淡々を基地がつくられてくる
初期には自衛隊が島にくることによっての経済効果も期待した人がいるが
結果として経済効果なんてなかったとされる
逆に基地がつくられることによって
人が島からでていったりして人口が減って
過疎化がさらに進むのではないかと感じてしまう
反対運動をする住民の矢面に立たされるのは
何の権限もない自衛隊隊員である
仮にミサイル基地が必要だとしても
このような分断の状況で任務が遂行できると思えない
ハーリーという伝統漁船で自衛隊隊員が参加をして
そこではみんな一緒にやっていた
本人たちもいがみ合いたくはないらしい
だから、結局「今の与党政治家はダメ」に落ち着くのか?
本作は防衛政策の是非を問うわけではない
だから、本作を観ても「ミサイル基地が必要だ」と考える人もいると思う
しかし、説明不足で住民の意志を無視した形でこのようなことをしていいのか
とどうしても感じてしまう
最後で漁師の川田さんが
足を負傷したリベンジを果たすことが救いか
ドキュメンタリー映画だが
ハーリーとかちょっと長々しいと感じたし
「中国が攻めてくるから基地が必要だ」と考える
基地賛成派を覆すほどのロジックはあまりない
住民と話し合うことなく、自衛隊ミサイル部隊や弾薬庫がどんどん建設さ...
住民と話し合うことなく、自衛隊ミサイル部隊や弾薬庫がどんどん建設され、戦争が始まれば、標的になる。島のおだやかな暮らしが脅かされ、沖縄を二度と戦場にしないという人々の声は無視され、一方的に示された全島民避難計画は、住民の暮らしを無視している。
けれども住民はあきらめず、今日も自衛隊員や推進する側に話しかけ、問いかける。
与那国島、宮古島、石垣島、奄美大島、沖縄本島、美しい海と自然、人々の暮らし、古来から外部者に搾取されてきた過酷な歴史もていねいに描かれ、胸にせまる。
沖縄で起きていることは、日本各地に広がりつつある。多くの人に見てほしい。
この作品以上に観るべき映画が思いつかない
『国防』をうたい棄民亡国へ進む人々へ
三上智恵監督、渾身のドキュメンタリー。南西諸島の急速な軍事要塞化の現状、豊かな自然とそこで暮らす人々のかけがえのない暮らしが描かれた。
与那国島、宮古島、石垣島、沖縄本島、2015年からの8年間で撮られた現実。強い衝撃を受けた。
南西諸島を主戦場とする防衛計画。
反対する住民の声は無視された。
ミサイル基地ができなければ、弾薬庫ができなければ、大量の武器が運びこまれなければ、この島々がターゲットになることはない。
着々と進む戦争の準備。もちろんこれは南西諸島に住む人々だけの問題ではない。本土で何も知らずに、何も考えずに暮らす我々への警鐘として重く受け止めた。
そう、知らないことばかりだった。2019年に娘の結婚式で訪れた宮古島にミサイル基地ができたなんて知らなかった。
知ることから始めたい
日本の最西端に位置する与那国島から始まり、石垣島、宮古島、そして沖縄本島、これらの島が台湾有事、つまり中国の脅威に対抗するため急速な軍事要塞化している現状。そして、対比するように島々の暮らしや祭りの様子を追ったドキュメンタリー。
自衛隊が八重山諸島でミサイル部隊の配備を進めている事は知っていたし、台湾有事を想定した日米共同軍事演習を行った事も知っていたが、あんなに地元で反対運動が起きているとは知らなかった。
三上監督が2015年から8年間にわたり与那国島、石垣島、宮古島、沖縄本島、などをめぐって取材をされたそうで、知らなかったことを教えてもらえた事に敬意を評したい。
今すぐ自分に何かできるか、と言われれば、何も出来ないだろうが、まず現状を知ることから始めたい、と思った。
ウクライナなどを見てると、何もなければ平和、とは思わないが、島の人達が言ってたように、戦争の脅威が迫ってるとも感じた。
第二次世界大戦の沖縄戦で過酷な歴史を経験した人たちの話、豊かな自然と島の人々の暮らし、そして祭りなど、対比させて描いてるのも良かったと思う。
最後に、あの巨大なカジキマグロ、一本いくらで売れたのだろうと興味が有った。
ドクターコトーの時にも思ったが、いつか日本最西端の与那国まで行ってみたい、とまた思った。
知らぬ間に
台湾有事の為に南西諸島を守るという大義でミサイル配置 最初は旨いことを言っておきながら、火薬を配置、軍事練習等あれよあれよと言う間に軍事島になってしまっている恐ろしさ 世間では物価高で苦しんでいるというのに、法律を変更するとかいつもと大違いの国の鮮やかな手腕にも驚かされた 多分施設は何十億とかそういう単位だと思う 島の人々が言うようにいざ本番となれば命は無いだろうし、あんなに軍事施設を整備したら却って攻撃の対象になるんじゃないかと そういえば戦争を体験した人が言っていた、あっという間に戦争に突き進んでいったと こと戦争に関しては民意など考慮されないのかと無力感を感じてしまった 南西諸島は災害にも備えるのが喫緊の課題だと思うのだけれども
自分の無知を恥じました。
沖縄の島々に対して、日本政府がこのようなことをしているなんて、知らなかった。
推し活している場合じゃないなと真剣に思った。
家の近所の道路を戦車が走るなんて、想像もできない。
日本はアメリカのいいなりで、市長も、町長も、議員も政府の言いなりで、泣きを見るのは普通の島民の人たち。
民主主義国家ではない、かの国のような島民の意思を踏みにじるあまたの所業。
言葉にならない苦い現実に思わず顔をしかめた。
この映画を観て、主権在民と感じる日本人はひとりもいないだろう。
ウクライナや中東の今は、私たちにとって決して他人事ではない。
20代の息子たちにこの映画を勧めよう。
日本を変えるか、日本を捨てるか、それは彼らに委ねようと思う。
分断と対話から求められる戦果
与那国島でミサイル配備に反対し、座り込みを続け、自衛隊員に語り続ける。瀕死の状態から助かった子牛が、ミルクを与える人間を親と思い込んでついて回り、親牛との関係が切れてしまった状態もあれば、子山羊は人間の家に上がり込んでしまうけれど、親山羊が縁側から上がらずに呼び続ける。若者も住民投票請求署名運動に取り組んで必要数を上回る署名を提出するけれども、市議会が否決してしまう。市議会議員になって意見書を提出しても、壁は厚いが諦めない。地元民の祭りに自衛隊員親子も溶け込み、地元への受入れも進む一方で、地元民の哀歓も守ってくれるのかどうか。説明会で自衛隊責任者は、沖縄戦の轍は踏まないと誠意ありげな発言もある。水中撮影もついた旗魚漁に挑む漁師が度々失敗し、最後に成功して戦果を誇っていた。分断と対話から、より良い戦果を勝ち得てほしい。
カジキと闘うおじいちゃん
が主役とすれば、鳥取から来た少年が準主役?
ちょっとの出番で全てをもっていきました。
前半をガバッと削って90分程度なら、さらによかった。
(もしも、興味がある方がおられましたら、「いちご白書」のレビューの第一段落(だけ)を読んでいただけたら幸いです(それ以降の内容は本作品とはまったく無関係です))
ヤギの子どもが可愛かった
愛する島の中で慎ましく生活している人達の心を、「国防」という大義名分の元にかき乱していく政府。
ミサイルのない美しい島を守ろうとする大人達の思いが、下の世代に受け継がれていく姿に希望が持てた。
構造的暴力の中を生きる人たち
日本政府は沖縄県民を差別しているつもりはないだろう。ただ米国の東アジア戦略の中で求められる役割を忠実に果たそうとしているだけのように感じられた。
「監視のため」と言って自衛隊を駐屯させ、いつの間にかミサイル基地を造り、ミサイルを配備する。この間、施政者に〝沖縄を踏みにじってやる〟〝遅れた考えの島民の意向を聞いてもしょうがない〟といった傲慢な態度は全く見えない。ただ粛々と無表情で事を進めていくだけだ。
日本政府は端的に与那国島、石垣島、宮古島の人たちを相手にしていないだけだ。日本政府が、その意向を聞くのは米国だけだ。強者・米国に従属し、沖縄の人々のことなど考える気はない。映画は、この構造の中を生きる沖縄の様々な人々の嘆き、怒り、諦め、無関心を映し出す。もちろん、日本政府が米国従属体制を敷く中で、相手にしないのは沖縄県民だけでなく、日本国民全体でもある。その意味では、基地反対の訴えを無視され続ける島民の姿は、自国政府に軽く扱われ続ける日本国民の姿そのものと言える。
こうした事に気付いたのは、基地反対の運動を続ける島民の方々が根気強く目の前の自衛隊員に語りかけていたからだ。「日本政府はあなた方の命も軽く扱っているんだよ」と。それは、〝あなたもこちら側の人間なんだよ〟と語っているようだった。
島外の活動家は映さず、島民を前面にだし、観る人の共感を得ることに成...
島外の活動家は映さず、島民を前面にだし、観る人の共感を得ることに成功している。
確かに、目の前に基地があり、演習の音が聞こえれば、いつ中国が攻めて来るか不安になる。基地が無ければ、意識せず平穏に暮らせるという気持ちは理解できる。
ただ、ならず者国家と接する場所、基地がなければ、あっという間に占領される。反対のある中、政府は防衛体制を着実に築いている事に安堵した。
焦燥感
初日にポレポレ東中野で、三上監督の舞台挨拶を兼ねて観ました。
胸を抉られるように、突き上げるように、泣いた映画は初めてです。
途中で隣の男性の嗚咽や、落胆や、ため息も聞こえてきました。
事前に三上監督や山里さんのインタビューをYouTubeで拝見して、少し著書も読んで予備知識はあったのですが衝撃が大きくて、帰り道は気持ちフラフラで焦っていました。
世論に何ができるのか?この思いは権力者に潰されないのか?
共犯者であり、目撃者であり、傍観者ではいられない。
そんな思いで今に至っています。
すばらしい映画を作って下さりありがとうございます。
そして今とても、おばあ(山里節子さん)に会いたいです。
今そこにある危機
三上智恵監督の共犯者になるために朝からポレポレ東中野に行って来た。
共犯者とはドキュメンタリー映画をすすんで観る人間は造った側と共犯関係にあるとの監督の言葉をお借りした。
この映画の元と言える監督の著書「戦雲」単行本は先に読んでいたが、映像で見る石垣島、宮古島、与那国島の軍事要塞化には暗澹たる気持ちにされた。
「また戦雲が湧き出してくるよ、恐ろしくて眠れない」石垣島の山里節子さんの歌から始まる映画は、宮古島に造られていく弾薬庫を備えた保良訓練場、石垣島に造られるミサイル基地、与那国島に運びこまれる地対空誘導PAC3と止められない、僕らはよく知らない事実を突きつけてくる。
三上監督は、そんな中でも与那国島のハーリーという船レースの勇猛さと楽しさ、そこに参加する笑顔の自衛隊員と島人の交流やカジキに足を射ぬかれ仇を取ることに執念を燃やす元気で明るい川田のおじい等南の島らしい生活も写し出していく。
宮古島の楚南有香子さんが弾薬庫の前で訴える「多少の犠牲は仕方がないさというときの多少の中に私たちが入っているよね?」という言葉が忘れられない。
「国を守る」とは何なんだろう、そこに僕らは入っているのか?「台湾有事の危険は沖縄に押し付けておけばいいのだろう」いやいや、「沖縄が要塞化されているのすら知らない」でいいのだろうか?
安倍政権が成立させた安全保障関連法で集団的自衛権が容認され戦争をしない出来ない国から戦争が出来る国になりアメリカの戦争は日本の戦争になった。さらに岸田政権で敵基地攻撃能力を保有し戦争をする国になってしまった。台湾有事は日本の有事という政治家がいる時代、沖縄の問題は僕らの問題なのだ、国を守る時に僕らは守られない。
間違いなく、今そこにある危機だけど、戦争になっても「へそ天で寝ている猫のように」ナマケモノになっていよう。
戦雲とは
私たちはどこへ向かっているのか。
誰の意図でこのようなことが秘密裏に成されているのか。
どうして報道されないのか。
たくさんの人に知ってほしい。
沖縄で起こっていることを。
暗く厚い「戦雲」が立ちこめても、その上には太陽もあって、一条の光もさす。
風が吹けば雲も散る。
映画を見て、共に「目撃者」となった一人一人が、暗雲を、戦雲を、吹き払ってほしい。
そんな願いを込めたとの三上智恵監督の言葉だった。
1人でも多くの方と、共に「目撃者」となりたい。
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