Black Box Diaries

劇場公開日:2025年12月12日

解説・あらすじ

映像ジャーナリストの伊藤詩織が長編初監督を務め、自身の受けた性暴力について調査に乗りだす姿を記録したドキュメンタリー。

2017年に伊藤監督が元テレビ局員の記者からの性的暴行被害を訴えた記者会見の直後から、延べ8年をかけて製作。スマートフォンに残していた当時の思いなどをもとに構成し、日本社会が抱える数々の問題を浮き彫りにしていく。「新聞記者」「月」などの映画製作会社スターサンズが製作を手がけ、イギリス・アメリカとの共同製作により完成させた。

サンダンス映画祭の国際長編ドキュメンタリーコンペティション部門への出品をはじめ、世界各地の50以上の映画祭で上映され18の賞を受賞。ドキュメンタリー界のアカデミー賞と言われるIDAドキュメンタリー賞にて新人監督賞を受賞した。2025年・第97回アカデミー賞で、日本人監督として初めて長編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされた。日本では、当事者から指摘を受けたところなど一部表現を修正したバージョンの「日本公開版」として劇場公開。

2024年製作/102分/G/イギリス・アメリカ・日本合作
原題または英題:Black Box Diaries
配給:スターサンズ、東映エージエンシー
劇場公開日:2025年12月12日

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第97回 アカデミー賞(2025年)

ノミネート

長編ドキュメンタリー賞  
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(C)Star Sands , Cineric Creative , Hanashi Films

映画レビュー

5.0 あなたの目で見て、心で受け止めてほしい「小さな超大作」

2025年12月13日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

悲しい

斬新

米アカデミー賞(2025年)に日本人初ノミネートされた話題のドキュメンタリー作品であるにもかかわらず、たった1館の上映館(T・ジョイPRINCE品川)でスタートする"小さな超大作"。

そんな小品にもかかわらず、初日舞台あいさつには大勢のマスコミが殺到。この矛盾した状況そのものが日本社会の「忖度の象徴」だ。すべての映画館が「危うきに近づかず」。こういった作品群で問題提起し続けるスターサンズの姿勢と、上映に踏み切ったT・ジョイの英断に敬意を表する。

その出来栄えは、百聞は一見にしかず。言葉では代えることのできない苦しみの数々を目の当たりにし、作品の圧倒的なパワーに押し切られる。

当事者本人が監督を務めるのは、SNS動画があふれる時代を背景に近年のドキュメンタリー作品の主流になりつつあるタイプで、伊藤詩織が自ら受けた性暴力について、ジャーナリストとして自ら調査・取材する姿をそのまま記録している。

映像や音声の使用許諾については、立場によって異なる見解なので、そういう意味では未解決である。ただし今回の「日本公開版」は、裁判用に提供された素材を無断使用した初期オリジナル版とは異なり、タクシー運転手の許諾を得るとともに、ホテルの証拠映像を元にしたリアルな再現映像を作るという手法で修正されている。

現時点で理解の一助となるのは、作品公開日に出された「伊藤詩織ホームページ」の4つのステートメントを参照してほしい。とはいっても、映画作品を観てからのほうがいい。作品を見ずにステートメントだけで先行判断するのは、当事者の状況を知らずに誹謗中傷だけするダークサイドにおちいる可能性を排除できない。

事件の2年半後(2017年)に発売された伊藤詩織氏の著書「Black Box」(文藝春秋)を既読の方もいるだろうが、本作の原作ではない。なにより”裁判前”と”裁判後”という時間経過があることと、前者は”ジャーナリスト”伊藤詩織が取材したもので、映画は"ドキュメンタリー監督"伊藤詩織が当事者事件として編集している。

「映像報道」(ジャーナリズム)が客観報道の原則を守り、特定の意見や思想に偏らない中立性を保つことが強く求められるのに対して、「ドキュメンタリー」は同じ現実の出来事や人物を題材としながら、制作者の主観や世界観を表出する社会メッセージである。本作はドキュメンタリー映画であり、しかも世界中の映画祭で評価された完成度である。

事件は2015年、日本公開は2025年。10年という時間が、20代だった当事者にとってどれほど大きな時間かは言わずもがな。当事者の涙の訴えをあなたの目で見て、心で受け止めてほしい。そして忖度ではなく、自らの意思で上映を決断する映画館が増えてほしい。

(2025/12/12/T・ジョイPRINCE品川/Screen3/H-15/ビスタ、1部スマホ画角)

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Naguy

5.0 ジャーナリストであり被害者、そしてサバイバー

日本社会からの大きな反発・吹き荒れる逆風にもめげず、赤裸々に正義を追い求め続ける伊藤詩織さんの勇敢さは本当にすごい。個人の体験から社会全体が見て見ぬふりする「ブラックボックス」へと挑み、またその過程で彼女も自身の体験と向き合う真に勇敢なドキュメンタリー映画であり、まさしく表現の責務と可能性

もしかしたら伊藤詩織さんという海外の目・価値観を持ち合わせた方だからこそ、日本固有の気持ち悪い空気や根強く間違った家父長制・男尊女卑にも口をつぐむことなく、世界目線からおかしいことをおかしいと立ち向かえた部分もあるかもしれない(無論それによって個人にかかる苦しさが何か変わるわけではなく、どれほどの覚悟やエネルギーが必要だったろうか?)。そうやってもたらされた気づき、やっと日の目を見た根深い図式をぼくらはどうすべきだろうか?ただ、伊藤さん本人も言っていたように一つの例というか、日本中、世界中にはそうやって、被害に遭ったのに声を上げられない、どうにか上げられてもかき消される、傷やトラウマと向き合いながら生きている人達がたくさんいるということ。自ら命を絶った人達も…。
被害者は、"被害者"らしく大人しくしていなければいけないのか?シャツのボタンを一番上まで閉めるのでなく、逆に少し開けたような着こなしだったり派手な服装だったら、被害者じゃないのか?「どうせ誘ったんだろ」と性暴力の被害に遭っても当然なのか?声を上げたら目立ちたがり屋とバッシングされていいのか?そんなわけないだろ!!性暴力の96%が起訴にも至らないで被害者が声を上げられない、こんな息苦しく間違い腐った島国でいいのか?そんな負の遺産に満ちた未来を子どもたち、次の世代へと託していくのか?

本と互いに補完し合うような作品のように感じた。つまり、本作だけでは事件の詳細など描かれていない部分、見えない部分もあるのだけど、それでいいと思った。映画・映像作品におけるレイプ・性暴力シーンとは、言葉を選ばずに言えば一種"娯楽"(客寄せパンダ)のようになっている部分もあると感じるから。その点、本作はあくまで事件後の伊藤詩織さん自身(山口氏との関係などではない)にスポットを当てている生々しさがあった。本を読んでいてもエグいなと思った警察などの二次レイプにつながるような言動も、実際の音声で聞くとよりツラかったし憤りを感じた。
捜査官Aも確かに悪い人ではないのだろうけど、日本人のリアルだなと思った。あくまで個人の意見だが、組織に属している以上行動できなくて、また世代のせいもあってかセクハラ発言のように取れる瞬間もあった。それでも、その他大勢のことなかれ主義で官僚主義的な対応から一歩踏み出すようなスタンスは貴重なのかもしれないけど、逆に言えば本心からすると「いや、それくらい全警察官が最低限すべきラインだろ」とも思ってしまった。自分は、(今日同じ上映回を観ていたという)ドアマンのようでありたい。ドアマンのシーンでは、号泣してしまった。実際居合わせたら難しいのかもしれないけど、その場で止めたり、もっと早く名乗り出られたらいいなとも思う。自分と話し(電話し)た後に、当惑や困惑させるのでなく、希望や世の中捨てたものじゃないと思ってもらえる人でありたい。

「ハニートラップ」「アイドル気取り」心無い言葉が飛び交い、風当たり強く批判される中でのこの10年間、どれだけしんどかったろう、大変だったろう。作中の涙にも表れている(奇しくもその多くの場面での雨な天気の多さにも)。男の自分なんかが到底想像できないくらい壮絶な道程だったに違いなのに、あの作品の随所や舞台挨拶などで見せた明るい振る舞いやビッグスマイル!ブランケットをかける代わりに、お疲れ様でした。そして、生きていてくれて、元気な顔を見せてくださって、本当にありがとうと言いたい(←言えるチャンスがあったのになぜ言わなかったのか、自分!バカ)。代わりにと言ったらなんだが、伊藤詩織さん本人に「ブラックボックスを開ける側になる、開けられる人間でありたい」と約束した。
本作が日本公開されない間、ずっと観たいと思っていたのに、いざ公開が近づくと怖かったけど、結果観てよかった。今年ずっと待っていた作品がどうにかやっと日本公開を迎えたけど、大手シネコンなどは買い付けることなく、公開規模の小ささこそ"ブラックボックス"ではないか?

Dedicated to all survivors

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とぽとぽ2(仮)@元アカウント入れるようになるまで

5.0 停滞した日本に華の10年を蝕まれるも生き続ける

2025年12月12日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

2025年劇場鑑賞101本目 名作 80点

日本一般公開初日の一番早い時間に舞台挨拶付きで鑑賞

当方僭越ながらここ7年ほど劇場鑑賞した作品を順位付けしており、今年も"WHO?"や"揺さぶられる正義"など例年通りドキュメンタリー作品が個人的ランキング上位に躍り出るなか、年末公開待機作で一番期待していた作品である

いざ公開日が迫ってもなかなか情報が公にされず、唯一の公開館のT·ジョイPRINCE品川のwebサイトでも一向に購入情報が反映されず、突如としてチケットぴあにて公開初日から3日間各2上映の計6回分の舞台挨拶付きチケットの販売が告知され、webサイトで以降の日程が更新されないことから、3日間限定の公開なのではとあたふたしたのも今や懐かしく思えるほど凝視した2時間半であった

まず10年もの月日が経っていることに衝撃が走る、つい3年ほど前の話しだと記憶していた

勿論彼女を応援しているし、山口氏を擁護するつもりはないが、いちドキュメンタリー作品としてなるべく公平な目線で見ようと勤めたが、被害者当人が監督を勤め、彼女を中心とした10年間の一部始終を映像化しているので、事件性や作風からまず上記の様な視点で鑑賞することは難しいが、それでもジャーナリストとしてではなく監督として今作を手掛けた当人が我々観客を味方に付けようといういやらしい演出や贔屓は感じなかったし、なにより彼女の涙に嘘を感じなかった

物語冒頭に車に乗車しトンネル内を走行している時に電話で証拠がないからどうしようもないとやや高圧的にあるいは電話越しの男性が手を差し伸べたいけど力及ばず無力さにやや怒り奮闘な声にそれを受けた彼女のやるせなさ、権力にひれ伏せ闇に葬りさせられる心情を、抜けることない暗闇という暗示でトンネルの描写であったり、尽力してくれていた捜査官Aと急に音沙汰なくなり、それを後に話すに逮捕一歩手前のところで食い止められ、不可解に彼のポジションを異動させられる羽目になったと告白。目障りと思った権力者が彼の行動にストップをかけたことに彼自身尽力したい気持ち半分、組織に属する以上権力に抗えず、彼もまた彼の人生を生きないといけない苦渋の選択に、彼女もかける言葉を見つからないがかといって屈してる訳にはいかないと奮起するその構図が雑草魂じゃないけど、それを示唆する様にその会話中写し出されたのが道の脇に生い茂り雑草であったり、選挙立候補してみないかという誘いに有利に働く側面と一方で自民党が勝ったら相当戦況は悪くなると忠告を受けた中、固唾を飲んでテレビの前で当選発表を見守るも、結果は自民党の圧勝。それを受けて下っていくエレベーターの中で自分の影を見つめるようにうつむく姿も、この先が思いやられることを下っていくエレベーターの中にいる私という構図が衰退していく日本の渦中の私といわんばかりの構図など、映画として、映像としての比喩表現もちゃんと組み込まれていたのが好印象であった

この事件に至った根元は、女性の社会進出に対してその懸念を払拭する土俵がなってないことだと当方は考える

彼女のもとに送られてきた匿名のメールの言い分や物語終盤に裁判所前に出向いたアイドル気取りが!と言いはなった人の逆説もわからなくはない

報道当時もハニートラップだの冤罪だのあることないこと飛び交ってたし、前述の通り山口氏を擁護するわけではないが、もう上記の様なことだったらそれはそれで世間の風評は後を経たないだろうが、今作をみた多くの人は1.3億の慰謝料請求や控訴や記者会見での供述もどの面下げてそんな大喪なこといえるなぁと思ってしまうほどに無心で2時間鑑賞した

25歳から33歳とあえていうが女性の華の期間を沈黙することなく矢面にたって屈しなかった10年間とこれからを応援したい

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サスペンス西島