A.I.のレビュー・感想・評価
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【心を持つ少年型ロボットの2000年を超えて母の愛を求めるSFファンタジー。切なくも美しい物語である。】
■近未来のアメリカが舞台。
病の実子マーティンを持つヘンリーとその妻モニカ。
夫妻は愛と言う感情をインプットされた高性能少年型ロボットのデイビッドを養子として迎える。
だがマーティンが不治の病から奇跡的に蘇生し、デイビッドは徐々に居場所を失い、熊型ロボットであるテディと共に捨てられる。
モニカに愛されたい彼は、人間になる方法を求めてテディと旅に出て様々な経験をする。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・序盤は、人間のエゴを描いているように見える。だが、ヘンリーとその妻モニカは決して悪人としては、描かれない。
只、実子マーティンはデイビッドをライバルとして見てしまい、様々な意地悪を彼にしてしまうのである。
例えば、デイビッドに眠っているモニカの髪を切らせるなど・・。
・その後にデイビッドが経験した事。
それは、セックス・ロボットであるジョー(ジュード・ロウ:若くてムッチャイケメンである。)との出会いと、彼と共に連れていかれたロボットを壊して楽しむ悪趣味なショー。だが、彼は窮地を脱し、ピノキオに出て来るブルーフェアリーを信じ続けるのである。
この辺りは、可なり露悪的なシーンから徐々に幻想的なシーンへの移行が上手く映されていると思う。
・そして2000年が過ぎ、人類が死に絶えた世界に現れた細長い形状の”生きもの”が現れ、テディのモフモフの毛の中に有ったモニカの髪を使って一日だけ、デイビッドの長年の願いを叶えてあげるのである。
<今作は、心を持つ少年型ロボットが母を愛する気持ちを、人間のエゴと近未来の風景を背景に描き出した作品である。
それにしても、劇中でモニカとデイビッドがカクレンボをして遊ぶシーンで、モニカがトイレに入っている箇所や、デイビッドが食事をしないのにマーティンと競って法蓮草を食べて体内をクリーニングされるシーンが面白く描かれるが、人間は食べて、排泄して、眠って、年を取って行くのである。
故に、ラストのシーンはデイビッドが願いを叶え、本当の人間になったように見えてしまうのである。>
悲劇の形を借りた哲学的な寓話。
公開当時より、変に主人公に感情移入してしまって「感動した」「涙が止まらなかった」との感想が聞かれたり、逆に「デイビッドの言動があまりにも不自然で感情移入できなかった」という真逆の感想が聞かれたりしていた。前者は主人公デイビッドを「人」と見做して感情移入しているに過ぎないが…実は後者の方の「不自然」という捉えかたの方が、この作品の伝えんとすることの方により近づいている。なんせ主人公は母親「だけ」を愛するようにプログラムされたロボットに過ぎず、どう足掻いても人にはなれないのだから(そういう意味では、これは一種の悲劇である)。当然、人として見たら不自然極まりないのであるが、ロボットとしてみれば当然。この辺りを捉え間違えて、感情移入する方に流されてしまうと、この物語の基本的な構造を見失ってしまう。これは、感情を揺さぶる感動のSFドラマなどではなく、大変に理知的で哲学的なテーマを持った作品である。このあたり、スピルバーグの描き方が優しいので、分かりにくくなったかも知れないが…もしかするとそんなことはお見通しで、そういう哲学的テーマを巧妙にベールに包むようにしたのかも…なんて思ったりもする。
この作品が本当に描かんとしているテーマが何なのかが明らかになるのは、物語も終盤、人類が絶滅した2000年後の世界を描くほんの数分間においてである。そこでは高度に進化したロボット(←これを宇宙人だと勘違いしている人がかなりいるようだ)が、「人間とは何であったのか?」と問い、研究している。無生物が人間を問うということは、敷衍して言えばこういうことではないか…「世界には人という複雑高度な種が存在しているが、それ以外の生物も、命のない無生物も存在している。そんな人以外の存在にとって、人とはどんな意味を持つのか?」
①家族に迎えられる→廃棄される、②ジャンク・フェアという狂騒、③出自を尋ねてのマン・ハッタンまでの旅、④2000年後…というのが全体の流れだが、④に当たるラストの数分をきちんと受け止めるならば、ラストに至ってから、これらの物語の大半の部分を振り返って考えないでいられなくなる。平たくまとめれば、デイビッドの辿った道は、明らかに「自分が無生物であり、ロボットでしかないことを知らしめられる道」ではないか。
そう理解すれば、やはり、これは悲劇の形を借りた哲学的な寓話と言っていいと思う。ハーレイ君の名演技と可愛らしさで観客を惹きつけておきながら、ある意味で非常に硬派でディープ問いを観客に叩きつけるのだから、スピルバーグはとんでもない二枚舌(←褒め言葉です)と言っていい。
AIは所詮AI
子供を主役にしている映画って、精神が成長していくのが醍醐味だと思っているんですが、主役はロボットなので何も成長しないよ!という意思を感じました。
主人公の心情に変化があったとすれば、「僕は特別じゃない」と気づいたこと。
自分とそっくりなロボットをぶっ壊す所はゾッとしました。人間なら、自分にそっくりな人間に攻撃するのはすこし躊躇する。でもロボットの彼は違う。
そのシーンでデイビットに寄り添えなくなりました。
彼は「母」という存在さえ居ればいい。他人の心配なんかしない。テディの心配もしない。ジゴロジョーの事も。
サイコパスロボットの出来上がり…怖…
なんか泣かせにきてるシーンとかあるけどツッコミ所があり過ぎて涙が引っ込む。
精神攻撃が強すぎて、個人的にトラウマ映画TOP10に入りました。
最後で人間とロボットの立場が逆になるのは面白いなと思いました。人間が、息子の代わりにロボットを作る。
ロボットが、愛した人間に会うために人間を作る(生き返らせる)
多分この映画は、何も考察せずに見た方が気が楽ですね。
僕の願いを叶えて
子供型ロボットのデイビッドを、無垢な美しい瞳のハーレイ・ジョエル・オスメントが見事な演技で魅せる。
ジゴロ・ロボットのジョーを、ジュード・ロウが美しく魅惑的に演じる。ジュード・ロウの美しい顔立ちが近未来感を加速させる。
ザラリとした感覚を覚えながら観ていたが、ジョーの助けを借りながら、デイビッドが願いを叶えるべく行動を始める中盤以降、小さな心を震わせるデイビッドの姿が胸に迫る。
スピルバーグの深く愛情深い眼差しと、人類の未来への警鐘と憧れを強烈に感じさせる秀作。
NHK-BSを録画にて鑑賞 (字幕版)
意外なスケール感
人の顔を映すときに、鏡や金属に反射したものを使うシーンが多く印象的でした。
物語が進むにつれて冒険感が強くなり、後半では空、海まで旅します。
終盤では宇宙人まで出てきてビックリです。最近の美麗CGに慣れてしまった身では、この作品のCGで描かれる想像上の宇宙人に説得力を感じませんでした。でもそれは過去の作品なので仕方ないです。
ラストも余韻を与えてくれる良いものでした。
想像していたよりも非現実的
いや、そりゃ人型ロボット云々の話だから、
もともと非現実的ではあるんだけど(笑)
もっとこう・・・家族愛というか、そういう話かと思ってた。
情がわいて、でも事情があって離れ離れになってとか、
壊れてしまって、でもやっぱり家族のことは覚えていたとか、
そういった類の話だと勝手に思っていたので、
割と序盤にポイ捨てされてビックリ。(笑)
後半は少年ロボットの冒険みたいな。
で、最後はひょろっと長い宇宙人が出てきてお母さんをよみがえらせてくれて
最終的には何故か少年も人間的になって永眠。
あんなに愛してた母親に捨てられて、それでも大好きで、
しかもよみがえった母親は大好きだった穏やかな母親。
なんだか複雑。
全く泣けない。
人間とロボットの境界を問い直す
無駄なシーンがひとつもない、全てが1つに繋がる素晴らしい映画だった。
まず第1幕と言ってもいい家庭のシーンでは、愛を持つロボットは可能かということについて考えさせられる。最初に提示されるのは「母性愛」をテーマに作られたA.I.の存在だ。はじめは拒否を示していた母親が、些細な触れ合いから心を許していく。
ディビットのあまりに人間的な母親への振る舞いに対して、次第に人間である母親がロボットに母性愛を抱き始めている姿が象徴的だった。ここにおいて、「ロボットは人を愛せるのか」から「人はロボットを愛せるのか」というテーマに変化しているように感じた。
泣く泣くディビットを捨てるシーンで、母親にすがる彼の姿に対して、それを見ている私たちの心が動いていることこそが、その答えであるような気もする。
ここまででも十分見応えがあるが、そこから場面は急展開を迎える。
次に登場するのは、冒頭で少しだけ触れられていたセックスロボットの存在だ。いわば「性愛」というまた別の愛を持つロボットである。巧みな言葉とグッドルッキング、機械であるが故に終わりのない交わりを想像させられる。と同時に、有限であるという制約をもつ我々は、彼らに嫉妬せざるを得ない。鑑賞しながらある種の嫌悪感を感じたのはそのためであろう。事実、妻を寝取られた男が、その妻を殺害してしまうという人間的なシーンを見せられる。
そこで鑑賞者に、ロボットやロボット社会に対する嫌悪感を抱かせつつ、次にロボットを破壊する場面に移行する。それに対して一方で残酷さを感じながらも、どこかでカタルシスを感じさせる見せ方が、いい意味でいやらしい。
ここでディビットは、その見た目故に救われることになる。つまり人間と見られるかロボットと見られるかは、中身ではなくて、結局は他者からの視線によって規定されてしまう。実は、ここにおいて、人間とロボットとの境界についての答えの1つが提示されている。
話はさらに進む。では、ロボット自身は人間になることができるか。自身は人間だと言えるのかを探究することになる。
ディビットは幼い頃に聞いたピノキオの話を手がかりに、自分を人間にしてくれるブルーフェアリーを探しにいく。しかし、彼がその行動を取ることこそが、ディビットの生みの親である製造者の目的であり、実験の最終目的であった。夢を持つこと、つまり人間と同じように自分で意思を持って自分のために行動することができるかどうかを試されていたのだ。自分をリアルな人間に変えてくれるブルーフェアリーがいると思っていたその場所に、自分の意思でたどり着いたこと。文字通りブルーフェアリーに会うという結果において、ディビットは人間になったと証明されたのだと思う。
一方で彼は、大量生産されている自分と自身の最初の記憶の場所である製造現場の景色を見てしまう。そして作り物でしかない自分に絶望して、自ら身を投げる。自分自身の存在意義について考える(そして絶望する)というのは、種の繁栄を目的とする人間以外の動物や、特定の目的のために作られたロボットにはない、というか必要のないものであり、あっても目的のためには邪魔なものである。自分の存在について考えることこそが、人間という存在にユニークさを与える所以なのだ。
つまり、自分が人間ではないことが分かり、その存在に絶望して行われたロボットであるディビットの自殺こそが、実は最も人間的な行為であったという最大の矛盾と、この映画の真のテーマを突きつける象徴的なシーンなのだと思う。
そして、この最も人間的な自殺行為こそが、ラストの奇跡につながっていく。ディビットが求めたものは、ロボットとしてのプログラムなのか、それとも人間の持つ愛なのか。あるいはそこに明確な差はあるのか。
母と息子が幸せそうに過ごす姿は、紛れもなく「人と人」との営みなのではないかと、私は感じた。
(我々鑑賞者は、「ロボットが人間になりうるか」というディビットの旅を通して、人間を人間たらしめる本質とは何か、人間とはどういう存在か、ということについて考えさせられるのだろう。意思を持ち、現在過去未来という時間感覚を持ち、そして自らの意思で望む世界を夢見ること。単体で目的を果たすロボットと違い、他者との関係の中で自己を規定すること。その能力が、人間としての「愛」を生み出す根源なのかもしれない。別れ際にジョーが放った、「女性に伝えてくれ」”I am”,”I was”という言葉もまた象徴的だった。)
良い意味で薄ら寒い
sfとしてすごい好き。愛や自我や人間の存在について色々考えさせられる。
ビジュアルや調度品も好き。
「お母さんにあいたい」「お母さん死んだら悲しい」ホモサピエンスの根源的な感情をツンツンしてくる作品。
キューブリックの荘厳さとスピルバーグの残虐さが良い具合に混ざってる。
個人的に残念でした。
近年話題になってるAIに関する内容だったので、
観てみましたが、正直、退屈でした。
誰に、どんなことを伝えたいストーリーなのかが
私にはわかりませんでした。
仮にAIも愛を感じることを伝えるために、
母親を追い求めるストーリーに設定したなら、
「宇宙人を登場させる必要はあるのか?」
と感じます。
また、この映画の内容にAIを絡めなくても
成り立つと思いました。
AIの道徳的・倫理的な問題点などを伝えたい映画を
期待している場合は、この映画は向いてません。
難解なデジタル童話
原作「スーパートイズ」の著者ブライアン・オールディス、デジタル時代のピノキオを描きたかった、スタンリー・キューブリック、遺志を継いだスティーブン・スピルバーグと3人の異才が絡んでいるから個性が衝突して味がわからなくなった。
子供向けと思ったら性処理ロボットが出てくる時点で観客除外、母からの承認欲求を最優先事項にプログラミングされた人型愛玩ロボットを商品化と考えた時点で病的感が漂う、その辺は鉄腕アトムの出生事由とは異なるでしょう。感情移入しようにも演じているのは生身の子供だから実写の限界、どうか子供を虐待しないでと願ってしまう。
唐突に2000年経過、最後は宇宙人だかアンドロイドだか曖昧な、くねくねUMAがデビッドの一抹の夢を叶えて終わる。難解さを好むキューブリックらしさ、一生懸命分かりやすいエピソードを挿入して娯楽性を補おうとするスピルバーグのサービス精神が涙ぐましく思える。
原作者のオールディス、キューブリック、スピルバーグたちがデジタル・ピノキオの物語に惹かれたのは何故なのだろう、単なるA.I.への興味とも思えない、親に愛されたい、認められたいという子の欲求は人に限らず根源的なもの、長ずるにつれ自立調和へ進むのだがフロイト流でいうトラウマでもひきずっていたのだろうか・・。
興味本位で
私はゲームが好きでよく実況を見たり自分でプレイしたりしています。この映画と同じAIをテーマにした某アンドロイドのストーリー系ゲームの話を友人にしたときにそういえばこんな映画あったんだよ~と言われ、気になったので見てみました。
結論から言うとめちゃめちゃ泣きました。
自分は普段から映画を見ていて感情移入してしまうことは多いのですが、ここまで泣いたのはグレイテストショーマン以来でした(なぜ泣いたのかは分かりませんが…)
最初の方のロボットの主人公と奇跡的に回復した実の息子との関係性や、母の愛を求めての嫉妬、感情を持ってまだ幾ばくかもたっていないが故に分かっているようで戸惑っているところなどよく出来ているなと思ってみていました。
映画中盤辺りのAIロボットに対する人間の怒りやそれに対するAI側の反応…実際にAIが普及したら本当に起こってしまいそうだと思いました。最後の方の氷河期が訪れ二千年経ち…のくだりは なんだ????? と混乱しながら見ていましたが、主人公が最後にやっと母の愛をその身いっぱいに受けて幸せそうにしていた所で涙腺が大決壊してしまいました。自分も知らない間に感情移入をしていたみたいです。
あとはジョーが 僕は生きた と言っていた所でもちょっと泣きそうでした。あのキャラはとてもいい味が出てて好きだったので…
見終わってからレビューを少し覗いたら賛否両論で、子供っぽすぎるという意見もありましたが私はそうは思いませんでした(まだ自分が子供だからかもしれませんが…)。いずれにせよ1度は見てみて欲しいなと思いました^^*
追加で一つだけ言うと二千年経ち、から宇宙人のくだりだけはよく分からなかったです。
人工知能いくない
ロボットに愛を与え、愛を求めさせる
このことが人間本位でしかないと気付かせる
恐ろしく哀しい映画
植物状態の息子を持つ母親。
そんな妻が元気になるきっかけが欲しい父親。
奇跡的に復活した息子は、
自分の代わりにと用意されたロボットに自分と同じだけの愛情がかけられていることに嫉妬している。
人間とロボットを交わるものではないとしたジョー。
ディビッドを見守り続ける悟ったテディ。
そして、ただ愛されることを望んだディビッド。
これを子供向けというのは、
少し無理があるのではないだろうか
うん、無理やろ
最初から距離が近く無垢に接してくるロボットに対して嫌悪感を持つようなシーンを取り入れているし
実際に怖い、でも純粋すぎる主人公だからこそ苦しい
未来に何を求めるかによるが
必要な人に必要なものが的確に与えることのできる可能性があれば、人はそれを求めるだろう。
しかしそれを創造する力を得れば、
それについて考えるべき義務もある。
例え愛を作る方法があったとしても、
きっとそれは同種のものにしか求めてはいけない。
愛をインプットするのなら諦めもインプットさせて欲しい。いつまでも失恋したままじゃ可哀想だ
まして、それが母親に対してのものならば
子供からは無条件なものなのだから。
興味本位で見てみました。
技術の進化により人間とロボットが共存する事は可能になりつつある世の中ですがここまで高度でリアルなロボットが仮に今後開発されたら人間の生活にとって脅威を感じます。色んな時代がある中で平成の時代に産まれて生きれることを嬉しく思いました。数千年後の世界がロボットのみの世界として表現されてましたがそんな世界が本当にくるのでしょうか。所々ファンタジーが混ざったり非現実的な部分も多かったです。
せっかくキャストも題材もいいのに・・・
以下長文です・・・(ーー;)
完全ネタバレです。
よかった点
・主役のハーレイの見事な演技
当時子役のハーレイ・ジョエル・オスメントは確か13歳くらいですが、彼が演じる人工知能ロボットがスゴイです!!見ればわかりますが、しっかりロボットの動きになっていて圧巻です(>_<)すげー子役だったな!!
この映画の感動は、ほとんどこの主役の表現力がもたらしてるものだといっても過言ではないでしょう。(自分は泣かなかったけど・・・感動はしたかな)
・近未来のロボット社会を見事に表現。
上映当時は2001年6月というと、まだスマホも普及してない時代ですね。いま2018年、人工知能にますます関心が高まる世の中になってるので、さすがスピルバーグの先見の明。
人工知能のロボットが共存する社会の恩恵と弊害を、見事なまでに映像化しています。
Dr.knowのシステムなんて斬新だけど、あれもやっぱり機械ってことですね笑
ロボットをどこまで人間として扱うのか、モノとして扱うのか、そこに感情が生まれたら??っていうのは昔からのテーマです。
そんな社会にこれからなっていくんだねー(>_<)
ジュードロウ演じるセックスロボットなんて、絶対需要あるでしょうね♪それこそ倫理観ぶっ壊れますけどね。
悪かった点
・テーマぶれすぎ(スピルバーグたまにやるやつ)
前半はよかった!!死んだ息子にそっくりなロボットを家族として受け入れるか、欲との葛藤、現実との乖離、そこで生まれる家族愛とか複雑な心境から、トラブルやドラマが展開されている。
愛とは?家族とは?
可哀想なロボットに感情移入していくでしょう〜
そしてハーレイ演じるデイビットが捨てられるところから少しテーマ変わります。。
捨てられたロボット達が他にも登場し、感情を持ったロボット達が偏見と差別によって迫害を受けているシーン。。ここは奥が深いですねー(>_<)
感情持っちゃったらただのモノではないもんね。。
ジュードロウのセックスロボットが騙されるシーンなんか、絶対現実として起こりえるから、ロボット社会も一筋縄ではいかないですね。
そうして外の世界を何も知らないデイビットの、ママを探す冒険がここから始まるのだー!!
ふむふむ。。
まぁここまではいいでしょう!むしろ意外な展開で面白そうだ!!
さて、ママが昔話してくれたおとぎ話「ピノキオ」で、ブルーフェアリーがピノキオ人間にしたように、デイビットは、自分も人間になればママは愛してくれるだろうと信じ、ブルーフェアリーを探すことに。。
このブルーフェアリーがマズかったんじゃないかなー(>_<)存在しないものを探し続けた挙句•••ん??
ブルーフェアリーの存在を祈り続けて何千年の時が過ぎ••••あれ??
人類は絶滅して、未知の生命体登場!!宇宙人??
そして宇宙人の力によって、1日だけママを復活してやることができ、ようやくママと一緒に永遠の眠りについたのでしたー(ToT)
恐らく、スピルバーグさんは宇宙の理論や未知の生命体の存在と人類についてなにか表現したかったのでしょう。
いろいろ好奇心と発想力旺盛なスピルバーグ監督なので、あれやこれやと手が出てしまったに違いない!!笑
2011年の「スーパーエイト」も同じ匂いがした映画でしたー。以上。
可哀想
母親があまりにも身勝手すぎる〜! そこが人間らしくていいのかもしれないけど、、
最初は可愛がっていたロボットも、本物の子供が来たらそっちのけ。ならわかるんだけど、わりと一緒に食事の席に置いたりしてでも本を読むときはロボットなんだからと隣に置かない。とか、母親にイライラしてしまった。いい人ぶるなよ!
主人公が家族の絵を描いたら泣いちゃったりして。研究所に返すのがいいはずなのに自分に罪悪感わいちゃうからって適当に涙しながら捨てたりして。
これを観て親心とか言っちゃうの怖い!
ラストはひたすらに可哀想。泣かせよう泣かせようって感じすぎて白けてしまいました。
もう少し歳をとってから観たらまたなにか違ってくるのでしょうか☂️
ジュードロウのロボットっぷりに驚きました。
エクスタントの原点?
主人公の子供の縁起が凄い
ストーリーも先が読めずに引き込まれる
2000年経過は転けたけど、、、
CGもこれ見よがしではなく、自然に盛り込んでおりあくまでドラマが主なのも良い
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