21グラムのレビュー・感想・評価
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感想メモ
轢き逃げをした男、夫と娘を轢き殺された女、死んだ夫の心臓を移植された男
21g 人が死んだ時に減る重さ、ハチドリの重さ、チョコバー一個分の重さと同じ、これが命の重さなのだろうか、その分何を得て、何を失っているのだろうか
時系列がバラバラで最初状況を掴むのが難しい、命の重さをテーマにしている話でこの手法は分かりにくいと思う
神が俺にトラックを与え、人を殺させた
それでも生きなくてはいけない
心臓移植と関連する3家族の物語が絡まっていく。それはそれで悪くないし、ショーン・ペンもナオミ・ワッツもすごいと思った。愛憎とか悲哀とか一言で片づけるとチンケに聞こえてしまうけど。ラストのショーン・ペンの行動も、ベッドの表情も、複雑な想いが交差する感じで何とも切ない。
残念なのは、時間軸前後の設定かな。これだけのドラマなのにあえて前後を絡めなくてはいけない理屈に、僕は追いつけない。この反省か、バベルではスケールも配役もさらにパワーアップした印象。
【”一つの心臓の重みと、命の継承。”緻密な脚本に基づく、3人の名優を軸にした3組の家族の連関性を時系列をシャッフルした構成で描き出した作品。見応えのある、重厚なヒューマンドラマでもある。】
<Caution! 内容に触れています。>
1.若き頃の薬物依存を克服し、夫マイケルと二人の幼き娘と幸せな生活を送っているクリスティーナ(ナオミ・ワッツ)。
2.過去に何度も刑務所に送られながらも、信仰に生きがいを見出している前科者のジャック(ベネチオ・デル・トロ)。彼は今や妻(メリッサ・レオ)と一男一女と共に幸せな生活を送っている。
3.心臓移植手術を受けないと1カ月の命という大学教授のボール(ショーン・ペン)。彼は妻メアリー(シャルロット・ゲーンズブール)とは別居している。
■決して出会うはずのない3組の夫婦が、ジャックが惹き起こした轢き逃げ交通事故をきっかけに結び付き、運命の歯車が動きだす。
◆感想
・人生に対して絶望していた女性クリスティーナ(ナオミ・ワッツ)が自身の努力により,ようやくつかんだ、幸福。
ー だが、それはジャックの交通事故により、一瞬にして崩壊する。-
・生き甲斐を失っていた男、ジャック(ベネチオ・デル・トロ)。だが、彼は神の教えにすがる事で、今は妻と幼き一男一女と共に幸せな生活を送っている。
ー だが、自身が犯した事故により、その幸せな生活は崩壊する。-
・心臓移植手術を受けないと1カ月の命という大学教授のボール(ショーン・ペン)は、心臓に大いなる病を抱え、妻との関係性も崩壊しつつある。
■この、2つの幸せな生活を送っていた家族と、不幸せな夫婦関係を送っていた男が、一つの交通事故により、幸福が一瞬にして逆転する。
・ボールはクリスティーナの夫の心臓移植を受け、一時的に健康体になる。だが、彼は”自分に心臓を提供してくれたのは誰なのか”を探偵に探らせるうちに、クリスティーナの存在を知り、彼女の哀しみを目にする中で、彼女に対し”こんな気持ちになったのは、初めてだ”と告げる程、彼女に肩入れして行く。
ー ポールとクリスティーナが、結びついていく・・。-
・一方、ジャックは自首し、収監されるも、仮釈放される。だが、彼は自分が犯した過ちが許せずに、家には戻らず、モーテルを転々とする。そこに、クリスティーナの意を汲んだポールが現れる。
ー ポールとクリスティーナとジャックが結びついていく。-
<今作は、過去の過ちを克服した2つの家族の絆を、一つの事故が一瞬にして切り裂く苛烈な現実と、それにより起こる、命の伝承の尊さを描いた作品である。
ポールが、ジャックに対し拳銃を向け撃つも、彼をワザと外して撃つシーンと、それに納得出来ずに、ジャックが、ポールとクリスティーナが滞在するモーテルを訪れた時に、ポールが自らの胸を撃ち抜くシーン。
ココの解釈は色々と考えられるが、私はポールは、移植された心臓が不適合であった事実を知り、ジャックとその一家及び、自らの子を宿したクリスティーナの事を考えて、自ら命を断とうとしたのではないかと思った。
見応えのある、重厚なヒューマンドラマであると思う。>
生きていく
子供の幸せを守る為、夫の罪を隠そうとする妻、犯した罪の重さに苦悩し続ける男、臓器となって尚、互いを求め合う夫婦…彼らが嗚咽する姿に胸が苦しくなる。
未亡人となるクリスティーナを演じたナオミ・ワッツの渾身の演技に魅了された。
BS-12を録画にて鑑賞 (字幕版)
21gram
人間の魂の重さは21グラムらしい。かつて米国の医師ダンカン・マクドゥーガル氏が行った実験の結果に基づく説で、その意図まではよく存じないが、そもそも観念的な「魂」という存在に「重さ」という概念を与えてしまってよいものなのだろうか。「魂」としての21グラムが重いのか軽いのかも分かりかねる。「目に見えない魂が21グラム『も』ある」と捉えることもできるし、普段人間の死に対して感じる「呆気なさ」とも捉えられる。タイトルに冠せられたそんな数字のおかげで、すっかり余韻に浸ることになった。
ある交通事故を契機に、3人の男女の運命が交錯する。彼らは何かを失うと同時に何かを背負うことになるのだ。時間軸こそバラバラなものの、視点が細かく切り替わる演出には、私たちの生きている世界は繋がっているのだと実感させられる。ひとは一人で生きているわけではないのだ。人生は時に思いもよらない運命によって動かされ、その衝撃に狼狽える。まるで身も心もその「重さ」を失って浮遊するかのように。その都度「たった21グラム」失っただけだと思えたら楽なのかもしれないけれど、現実にはその数値なんて計り知れないもの。そんな運命と対峙しながら、救いを求めて人生は続いていく。
難しい重たい映画でした。
子供を望み体外受精をする妻メアリー
交通事故によるひき逃げで3人を死なせてしまうジャックジョーダン
望んでもいなかったのにに妊娠してしまう未亡人クリスティーナ
神に救いを求める前科のあるジャックジョーダン、結局その人を救うのは神ではなく家族なのか?またはそれも神の意向なのか?
復讐心にまみれたクリスティーナの心を救ったのもお腹に宿った家族なのか?いろいろ考えさせられる映画でした。ほかの方も書き込みされているようにここまで時間軸をシャッフルする必要があったのかと思います。そのためわかりづらい映画になってしまったような気がします。
命の重さ
人の命の重さ。それは時に軽く、時に重い。しかしそれは誰にでも過不足無く平等にあるもので、この世に生まれ落ちた瞬間から、互いに影響し、共鳴し、いずれは失われる。それを幾度も幾度も繰り返し、喜びと悲しみ、幸福と絶望を経ながら、ただただ続いていく。終ること無く。
人の経験する喜びと悲しみ、幸福と絶望、これらは単純な二対項では無い。喜びの中には悲しみが在り、絶望の中には希望が在る。まるでそれはシーソゲームの様にせめぎ合い、人を人たらしめている。
一件の交通事故をきっかけに、決して出会うことの無かった3人の運命が交差していく。
ジャックは、前科者の過去を持ちながら、神の教えに希望を見出し、そして裏切られた。しかし、殺される事によって、誰かを救う事が出来るのかもしれないと感じた。何より自分を救う事が出来るのかもしれないと感じた。
クリスティーナは家族を失い、一人の男性に救われ、同時に絶望し、混沌の中にありながら、新たな希望をその身に宿した。
ポールは病のせいで死の淵にあったが、移植によって幸福を手に入れた。しかし、命の前で軽率な行動を取る妻の姿勢に猜疑心を募らせた。しかし、移植された心臓が絶望によってもたらされたのだと知り、一人の女性を愛した。
喜びと悲しみ、幸福と絶望。これらは、いずれ必ず失われる命の重さの前で、複雑に絡み合い、絶えず反復し、終ること無く続いていく。
『それでも人生は続いていく』
そうだ。どれほどの幸福があろうと、どれほどの絶望があろうと、人生は続いていく。だからこそ人は恐ろしく弱く、驚くほど強いのだ。
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