52ヘルツのクジラたちのレビュー・感想・評価
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孤独と絶望
原作がかなり話題になって、自分がリスペクトする方々がことごとく傑作と言っておられたので、ずっと気になってて、読もう読もうと思っている内に、先に映画が公開になった。
公開一週間で上映時間がグンと減り、見逃していけないと慌てて劇場へ。
くらった。
素晴らしい映画だった。
どんなに孤独を感じても、絶望しようとも、逃げても良い、生きる事を諦めてはいけない、と訴えてくる。
主演の杉咲花さん、「市子」に続き、素晴らしかった。他の演者の方々も、脇に至るまで素晴らしい。
多少、映画ならではの過剰な部分はあれど、ラストに向かう為に必要であり、気にならなくなる。
見終わって、益々原作が読みたくなった。
余談ですが、エンディングは原作にインスパイアされてつくられた、うぴ子さんの「52ヘルツの唄」なら完璧だったなぁ。
原作もキャストもいいのに...
久々に、心が震えました。
観終わった今は、現代的な課題をよくあれだけ入れて、お話をまとめたなあと、感心しています。
イヤフォンで52ヘルツのクジラの声を聴くだけで、脳内にクジラが雄大に泳ぐ姿がイメージできたので、最後の迷いクジラの出現は不要だったかな。
今作で一番不思議な人物、あんさん。
きこさんへの接し方や、紡ぐ言葉は、すごく優しい。
きっと壮絶な人生を過ごしたんだろうなとは想像できました。
反面、なぜこんな中途半端かつ似合わないひげを生やしているのか、あんさんの表情や言葉、態度に強い違和感を抱くのか、分からなくてもやもやしました。
きこさんの過去の話の方に強く惹かれてどんどん映画の中に没入していきました。
中盤、あんさんの過去が分かった時のカタルシス。
中学生の時に、アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」で体験した初カタルシス以来のスッキリでした。
なるほど、だからかと、非常に納得しました。
この部分だけでも、ホントに観てよかったと心から思いました。
本当に欲しいものを手に入れたいなら、失うかもしれないというリスクを冒す必要がある。
きこさんもあんさんも、本心を伝えあっていたら、ハッピーエンドになっていたかもね。
「女でも男でも、生きていて欲しかった」
「心からあなたの幸せを祈ります」
まさしくこれらは、子を持つ親の気持ちです。
私も、生きているわが子に、ちゃんと直接伝えなきゃ。
実の親から、こういう言葉をもらえない子どもたちの支援をしている身の上としては、気が引き締まる思いです。
この気持ちを忘れないように、ブルーレイを買って、何度も何度も、この映画を観賞しようと思いました。
要素過多なのに内容散らかってなく見やすい
ステレオタイプをなぞらせる理由は何なのか
杉咲花の熱演、志尊淳の支え、小野花梨の友情、子役の子のたたずまい、西野七瀬の豹変、池谷のぶえや倍賞美津子の味わい等々、トンデモ男の宮澤氷魚であっても、アパート玄関口でのシーンなど、良いところは山ほどあり、語りたいところもいっぱいあった。
なのに、トータルで自分はのれなかった。
なぜなのかを考えると、「演出が自分には合わなかった」というところに尽きる。
<以下はグチなので、読みたくない方はスルーして下さい>
一つは、様々な場面で「ほら、ここは感情を昂らせるところですよ」とささやいてくる(叫んでくる)かのような、大げさなストリングスがやたらと耳についたこと。
二つ目は、ラスト近くの杉咲花と少年の場面のように胸を打つセリフがあってグッときているところで、まさかの過剰演出でアレが登場…。盛り上げようとされればされるほど、気持ちが冷めてしまった。
そして三つ目は、登場人物の抱えている問題が、とことんステレオタイプにわかりやすく処理されていて、薄っぺらく見えてしまったこと。
原作は未読なのだが、その世界観を大事にした演出だったのだろうかと疑問に思った。
虐待やDVや性自認の問題に対して、観る側のステレオタイプな見方をなぞるかのような演出は、前日に観た「アメリカンフィクション」の中に出てくる、主人公モンクがヤケになって書いた小説と重なるが、それをよしと考えてわざわざやっているように見えるところが、自分には受け入れがたいのだと思う。
志尊淳演じる安吾は、杉咲花演じる貴瑚を救うにあたって、単に言葉だけでなく具体的な支援プランを探るところを丁寧に描くなど、雰囲気だけの話とは一線を画していてハッとさせられるし、虐待している母にかける言葉なども、本当に深い。
それらを、過剰な演出なしに、淡々と描き重ねるのは、日本の商業映画としては成立しないのだろうか。
と書いて投稿し、読み返してみたら、そここそが「夜明けのすべて」との違いなんだとわかった気がした。ちゃんと商業映画として、成立している作品もあるのにな。
(追記)
原作を読んだところ、52の支援について納得できる形で具体的に描かれているし、映画ではカットされているが、支援者の距離感についての重要な人物(美音子)も登場している。映画の尺や登場人物の精選という事情もあったのだろうが、そのせいもあって情緒的な押し出しが強く、違和感を感じてしまった面があるなと思った。
アレも、原作では大げさではなかったし…。
家族という呪いからの解放
非常に濃密で悲哀に満ちた物語。最後は少し希望の持てる終わり方
小説は未読です。序盤から児童虐待、ヤングケアラー、DV、性同一性障害など悲しく重苦しい展開が続きます。2時間30分の映画ですが、すごく濃密でまったく長さを感じさせません。メッセージ性含め改めて邦画の力を感じた映画でした。また、非常に難しい役どころを演じ切った杉咲花さんの演技力も素晴らしかったです。
タイトルの『52ヘルツのクジラ』とは、声をあげても届かない人々を比喩したものですが、劇中にはそんな声を上げられず苦しんでいる人々の姿が描かれています。この映画では声を出すことで救われた人、声を出したけど受け入れられず自死を選んだ人などが描かれており『声に耳を傾けることの大切さ』について改めて考えさせられる良作でした。
ひとつ難点を挙げるなら、連ドラでもいいくらいの内容を2時間30分にギュッと凝縮して詰め込んだため、ひとつひとつの掘り下げが浅く、行間を自分で埋めないとなかなか理解や感情移入が難しかった点については惜しまれます。
ここからはあらすじ
杉咲花演じる貴湖は幼少期から日常的に母親の虐待を受け、ネグレクトの状態にありました。さらに高校卒業後は家から一歩も出ず、継父の介護に追われる日々を送っていました。
そんなある日、介護中に継父が誤嚥性肺炎を起こします。母親はそれを貴湖の責任だと咎め『おまえが死ねばいいのに!』と罵倒し、暴行した挙句、首を絞めて殺そうとします。その場にいた医者に止められ、辛うじて命は取り留めましたが、貴湖は深く傷つき自殺を図ります。
間一髪のところで志尊淳演じるアンに救われますが、アンは抜け殻のような貴湖の精神状態を心配し、美晴(貴湖の元同級生)と共に貴湖に寄り添い、必死に心の声に耳を傾けます。
その後、貴湖は母親と距離を置くため、美晴の家で生活することとなり、徐々に母親からの精神的呪縛が解かれて自我を取り戻していきます。そして、意を決した貴湖はアンを伴い、直談判して母親と絶縁することに成功します。
そんななか貴湖は次第にアンに好意を寄せるようになり、告白します。しかし、アンは(本当は両想いだったのにもかかわらず)『貴湖は心の友だよ』と言って告白を断り、貴湖も落胆はしながらもそれを受け入れます。
そんな貴湖ですが、しばらくして職場の上司である新名に見初められ、恋人関係になります。新名は会社の重役であり、いずれ会社を引き継ぐ社長の跡取り息子というエリートの大金持ち。貴湖と新名は何度も男女の関係を持ち、同棲を始めます。
そして、貴湖はアンと美晴を新名に紹介します。しかし、新名は貴湖とアンとの関係にただならぬ雰囲気を感じたのか、アンに対し強烈な嫉妬心を抱き、それを露骨に顕します。そのことでアンと新名は険悪の仲となります。
そんななか新名には貴湖とは別に婚約者がいたことが発覚します。ショックを受ける貴湖。しかし、新名は貴湖に『これは父親にごり押しされた政略結婚で、本意ではないし愛もない。愛してるのは貴湖だけだ』と言って、貴湖もそれを受け入れ同棲を続けます。
しかし、しばらくして新名の婚約者宛てに、貴湖と新名の同棲を告げ口する手紙が届きます。それにより新名の婚約は破談となり、新名は両親の怒りを買って職も失います。新名は自暴自棄となり、酒浸りの日々を送り、さらには貴湖に暴力まで振るうようになります。
そして、その手紙は貴湖と新名の仲を引き裂くためにアンが送ったものでした。
すべてをぶち壊された新名はアンへの復讐を企てます。新名はアンの身辺調査を行い、アンがトランスジェンダー(心と見た目は男性だが、戸籍上の性別は女性)という事実を突き止めます。
新名はその事実をまずアンの母親に告げます。アンは自身がトランスジェンダーであることを母親に知られ、深く傷つき泣き崩れます。その後、アンは母親と話し合いの場を持ちますが、母親はその現実を受け止めきれません。さらに新名は貴湖にもアンがトランスジェンダーであることを告げます。
数日後、貴湖が母親とともにアンの自宅に入ると、アンは浴槽で自殺していました。母親はアンがトランスジェンダーであることを受け入れなかったために自殺したと自責の念に駆られます。
貴湖は新名にアンの自殺を告げ、新名の目の前で自ら腹に包丁を刺して自殺を図ります。幸い一命は取り留めたものの、傷心の貴湖は新名に別れを告げ、東京を離れて地方の静かな海辺の街の一軒家に移り住みます。
その街で貴湖はとある少年と出会います。その少年もまた貴湖と同様、母親に疎まれ、日常的に虐待され、ネグレクトされていました。貴湖は自分と同じ道を歩ませまいとその少年を保護し、同居生活を始めます。
そこにアンの自殺後、消息不明となった貴湖を案じ、家を訪れた美晴も加わり3人での共同生活が始まります。少年は生活を共にするなか、次第に貴湖と美晴に心を開いていきます。
そんななか少年の行方不明届けが出されていることを知ります。このまま少年を母親の元に返さなければ、貴湖と美晴は誘拐犯となってしまう。それを知った少年は家を飛び出し、自殺を図ろうとします。
しかし、その寸前で貴湖が自殺を止め、事なきを得ます。貴湖と美晴は母親による虐待の事実を訴えることで、役所に少年の保護についての理解を求めます。こうして3人はようやく平穏な暮らしを取り戻すこととなりました。
ちょっと欲張りすぎだが、印象深い作品
泣けました
原作はだいぶ前に読みました。どうしても詳細部分は忘れ、暗い話という記憶でしたが、杉咲花さんで映画化というので楽しみでした。納得の配役。違和感なかったです。
やはり映画の力はすごいですね。クジラの声が聞けた。そして泣けました。花さんはもちろんのこと、私は余貴美子さんに持ってかれました。
ほぼ登場人物みんな苦しみだらけな内容。キナコもアンさんも愛も母たちも。
孤独なクジラになぞらえて、声が届かない場面が沢山ありました。
毒親、虐待母がひどいですね。ひどい。描かれるたびに憤りを感じますが、こういった方たちも病んでいるように思います。
愛という素敵な名前をつけておきながら。最後までひどかった。
次のステージへ進む時、自分を理解してくれる人の声に耳を傾けなきゃいけない。時にそれは難しいのかもしれないが判断を誤ってはいけない。そんな風に思いました。
でも、負の連鎖だけではなく、クジラの声をアンさんからキナコへ、キナコから愛へと伝えていけた。また愛から誰かへと伝わるのかな。そんな救われる点もあったのが良かったです。
友達の美晴もいい子ですね。
*****
「52ヘルツのクジラ」「魂のつがい」など、作家さんの着想はすごい。町田そのこ はこの作品から人気になったように思います。辻村深月、瀬尾まいこなどのような映画化常連になる予感が。どうだろう?
*****
最近、予告編前に流れるJTの「森を育てる」がちょっと笑えて気に入ってます。
問題を絞り込み、深掘り、考察して欲しかった
本屋大賞受賞作が原作ということなので、期待して鑑賞したのだが・・・。本作は、幼児虐待、ネグレクト、ヤングケアラー、トランスジェンダーなどの現代社会が抱える問題に真摯に迫った良作である。しかし、それぞれの問題を網羅的に一つの作品に纏めようとする作り手の意欲は買うが、それぞれの問題の闇は深く一筋縄ではいかない。網羅的にまとめるには無理があると感じた。
本作の主人公は、三島貴湖(杉咲花)。彼女は、家族に振り回されて生きてきた。心の痛みを癒す為、東京から海辺の町の一軒家に引っ越してきた彼女は、そこで、母親からムシと呼ばれて虐待される、声の出せない少年に出会う。彼女は少年との交流を通して、かつて、彼女の声なき叫びを受け止め救い出してくれたアンさん=岡田安吾(志尊淳)と過ごした日々が蘇ってくる・・・。
起点として、それぞれの問題を纏めて提起するのは構わない。しかし、その後は、問題を絞り込み、その問題に丁寧に寄り添って、深掘りし希望ある解決の糸口を示すべきだろう。その問題解決までのプロセスが他の問題のケーススタディーになるだろう。
但し、本作で取り上げた問題は家族の問題が殆どであるが、一つだけ異質な問題がある。それはトランスジェンダー問題である。演じる志尊淳は健闘しているが、問題の掘り下げが浅く、当事者の心情が理解できない。寄り添えない。感情移入出来ない。また、他の問題は家族の問題としての共通性があるが、この問題は、性別の問題であり、家族の問題と同時に描くには無理がある。原作未読なので、原作がどうなっているかは分からないが、思い切ってカットした方が、作品としての安定感は増すと推察する。
現代社会が抱える問題に網羅的に迫るのではなく、問題を整理、分析し主軸となる問題を選択し、その問題を集中的に深掘りし考察していくという手法で問題に迫って欲しかった。そうすれば、より重厚で感動的な作品になったのではないだろうか。
やはり安定感が凄い
髭の理由
脇役でも存在感ある金子大地くん
痛みを感じ取れる存在でありたい
多くの人に読まれ、また支持された原作を映画化することは大変なことであるけれども、この原作にある人の優しさや、共感する、認められる存在に自らもなりたいと多くの読者は思ったことだろう 虐待を受ける、無視をされる、そういった日常が続くと、人間は意欲を失い、言葉も表情も失っていく 従順であるということは「あきらめ」の裏返しでもあるし、従順な「よい子」を作り上げていく恐ろしさ、危うい「親」がきっと私たちの周りにもたくさんいることだろう そんな子どもを救い出せる「おとな」と出会わなければ、子どもたちはどうなっていくのか、「通報して児童相談所につなぐ」ことが、救い出せる「おとな」と出会える方法なのか 自らその痛みを訴える術をもたない人の声を、痛みを感じ取れる存在になりたい、と思う
「市子」と共に杉咲さんの演技は、普段のインタビューの表情とはまったく異なり、この人しかいない、と思わせるものであったし、志尊さんは同年齢の俳優さんにはない穏やかさと安心感を備えられているが、このむずかしい役をやりきったと思える 小野さんは一昨年「ほどけそうな、息」で虐待児を救えなかった児童相談所の新人ケースワーカーを主役で演じられていて、本作で子どもを支えようとする演技と重なった ムシは「虫」だけど「無視」でもあり、気づかれない、わざと気づかない、そんな存在にはなりたくない
(3月7日 イオンシネマりんくう泉南 にて鑑賞)
杉の花ふんで目がウルウル、鼻がグシュグシュになってるところに杉咲花にトドメを刺された。
原作読んでないならよかったかも
ブログ書きました
ラストは
バーベキューシーン
解決してない
親の親が出てこない
きなこはあんに告白してる
トランジェスターのネタバレはや
注射うってる
母が、理解ある?
なんで自殺した
主税、婚約者に振られ会社もクビかわいそうすぎる。
マンションのお金どうしてるの?
きこ、最初の引っ越しも金どうした?
親が貯金させててくれたとは思えない
自分でお腹指した
主税から手切れ金?もらってないのにどうして祖母の家で無職
ちほちゃんて、だれだっけ?
“52”て、変て思ってくれてよかった。
52、何歳?
キナコ小さすぎて微妙。子供みたい。
女にみえない。
殴りたくなる顔
アンもむかつく
話せよ
とにかく涙が出てきます!(TT)
誰もいない森の中で・・・
この映画とは全く関係ないんだけど、『スパゲティコード・ラブ』って映画を前に観たんですね。
内容よりも挿入歌の曲のタイトルが印象に残っているの。
「誰もいない森の中で一本の木が倒れたら音はするか?」
これって、昔の哲学者の問いなんですね。
そして答えは、しない。
認知する人がいて、初めて音になるって考えなんですよ。
そう言われると、音ってただの震動で、感じとって初めて音になるんですよね。
「スパゲティコード・ラブ」でもそんな感じの台詞有ったはず。
それでね、声もやっぱりそうなんですよね。
物理的にも、そうじゃない意味でも、聞いてくれる人がいて初めて声になると思うの。
そう言った意味では、この映画の貴瑚と愛は声を発する事が出来たのだろうし、安吾は声を発する事が出来なかったのだろうなと思う。
もしかしたら、主税や琴美も声を発する事が出来なかった側なのかも。
そんな感じでこの映画、ちょっと息苦しいのだけど、最後は温かい感じで終わって良かったです。
この映画に限らず、小野花梨さんの笑顔は温かい感じがします。
だけどね、気を付けないといけないと思う事も有るの。
美晴は明るくて強くて優しく見える。
でも、これだけ誰かにに寄り添える人って、自身の中でも乗り越えてきた物が有ると思うの。
こういう人って、誰かの為に声を上げられても、自分の為の声を発せられなかったりするんじゃないかな。
もっと言えば、人って皆そんなところが有るかも。
なので、そういう声を聞く事が出来る心の耳を持ちたいとは思うの。
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