コラム:清水節のメディア・シンクタンク - 第11回
2014年11月21日更新
第11回:地球時間とデジタルに抗え!時空を超える「インターステラー」創作の秘密
■ロボットTARSは、俳優が操りながら演じるパペット
宇宙船には人間以外のクルーがいる。「TARS(ターズ)」と「CASE(ケイス)」と呼ばれる身長150cmのロボットだ。デザインは人型ロボットからかけ離れ、厚板を組み合わせたような、感情移入しにくい直方体の、喋って歩くマシン。ノーランは、「ロボットではなく“有機的機械”」と呼ぶ。デザイン的には、ドイツ出身の20世紀モダニズムにおけるミニマリズムの建築家ミース・ファン・デル・ローエの影響下にある。TARSが立ったままの姿は、「2001年宇宙の旅」のモノリスを小ぶりにしたようだ。ということは、コンピュータHAL9000の機能と人類の進化を促すモノリスの形状を併せ持つ存在として、ノーランは作品に忍び込ませたのかもしれない。
HALとは対照的にユーモアセンス抜群のTARSのキャラクターは、スラップスティックSFシリーズ「銀河ヒッチハイク・ガイド」にインスパイアされたという。人間が中に入れる形ではないため、通常ならCG処理されるところだが、TARSは俳優でコメディアンのビル・アーウィンによって操られ、吹替えも行われたパペットなのだ。アーウィンは常に俳優たちと共にいて、文楽の黒子のようにTARSを圧縮空気液圧システムで操っていた。その姿はデジタル処理で消されるわけだ。豊かな感情をもった機械にとって、アナログ表現は奏功した。
■船内セットの窓外の宇宙空間をライブで投射して撮影
可能な限りCGを使いたくないと言っても、さすがに宇宙空間の映像はVFX工房ダブル・ネガティブ社の創造に委ねている。ブラックホールやワームホールは、VFXマンの空想に依るものではなく、理論物理学者キップ・ソーンとのコラボレーションによって、方程式に基づき科学的に正確な現象や物体が創造されていった。
ただし、ノーランはここでも旧来の手法を応用している。俳優たちが直面する驚異に実感をもたせるため、宇宙船セットの窓外の宇宙の光景をライブで投射して撮影したのだ。セットの窓外には天井から床までのスクリーンが掛けられ、配列された複数のプロジェクターから明るく鮮明なIMAX映像を投射。古典的な特撮技法であるフロント・プロジェクション(スクリーンプロセスの1種)の最新形態ともいえるだろう。ノーランは言う。「宇宙飛行士の置かれた環境と閉塞感を伝える上で重要だった」。俳優はその場でブラックホールを目撃したのだ。
美しい土星が登場するのもキューブリック・オマージュに違いない。「2001年宇宙の旅」の宇宙船ディスカバリー号の目的は木星探査だが、本来は土星へ向かわせたかった。当時の特撮技術による土星の輪に満足しなかったキューブリックが、やむなく惑星を木星に変更したと言われる。ノーランは、代わりに想いを遂げたのだ。
■トマスの詩に託された映画のテーマとノーランの信念
最後に「詩」の話をしよう。ノーランはマイケル・ケインが扮する教授に、ある場面で詩を朗読させる。その後も幾度となく引用されるその詩は、字幕で「穏やかな夜に身を任せるな。老いても怒りを燃やせ、終わりゆく日に。怒れ、怒れ、消えゆく光に」と出たと記憶する。これは英国ウェールズの詩人、ディラン・トマスの作品だ。原文は――
Do not go gentle into that good night, Old age should burn and rave at close of day; Rage, rage against the dying of the light.
米国でも人気が高かったディラン・トマスは、1950年代初めにミネソタ州の10代の少年ロバート・アレン・ジマーマンに影響を与えた。その少年は後に、「ディラン」の名を取って詩人で歌手のボブ・ディランとなった。それはともかく、トマスは作曲家ストラビンスキーと親交があった。1952年、ハリウッドのプロデューサーからストラビンスキーへ、ギリシアの英雄叙事詩「オデュッセイア」の一場面を映像化し、そこにアリアと詩の朗読を付けたいという企画が持ち込まれ、トマスが詩を書くことを承諾したことがあるという。「2001年宇宙の旅」の原題は「2001:A Space Odyssey」であり、そのプロットは「オデュッセイア」を下敷きにしている。
ノーランのことだから、そんな歴史も念頭にあったはずだ。しかしこの詩には、もっと深い意味があるだろう。トマスは、父の死の床に臨んでこの詩を書いた。静かに死を受け入れ、死に向かう父を、必死に引き留めようとした悲痛な叫びが表されている。終焉を前にしても諦めてはいけない。逆らえ! 抗え! という激しい主張。この引用は、映画の中の重要なテーマを暗示している。と同時に、クリストファー・ノーランが、滅びゆく映画作りのスタイルを頑なに守り続ける姿勢が重なってくるではないか。「インターステラー」とは、生まれてくる時代を間違えた男が、効率よりも想いを優先させた、現代において最も贅沢なフィルム作品である。
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