コラム:芝山幹郎 テレビもあるよ - 第7回

2010年9月10日更新

芝山幹郎 テレビもあるよ

映画はスクリーンで見るに限る、という意見は根強い。たしかに正論だ。フィルムの肌合いが、光学処理された映像の肌合いと異なるのはあらがいがたい事実だからだ。

が、だからといってDVDやテレビで放映される映画を毛嫌いするのはまちがっていると思う。「劇場原理主義者」はとかく偏狭になりがちだが、衛星放送の普及は状況を変えた。フィルム・アーカイブの整備されていない日本では、とくにそうだ。劇場での上映が終わったあと、DVDが品切れや未発売のとき、見たかった映画を気前よく電波に乗せてくれるテレビは、われわれの強い味方だ。

というわけで、2週間に1度、テレビで放映される映画をいろいろ選んで紹介していくことにしたい。私も、ずいぶんテレビのお世話になってきた。BSやCSではDVDで見られない傑作や掘り出し物がけっこう放映されている。だから私はあえていいたい。テレビもあるよ、と。

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「レッド・ドラゴン/レクター博士の沈黙」

ハンニバル・レクター博士がカルチャー・ヒーローになる前の話である。

というよりも、この映画が公開された1986年当時、レクター博士の名前はほとんど表に出ていなかった。原題は「マンハンター」だし、当時日本で発売されたビデオの題名は「刑事グラハム」だった。「レッド・ドラゴン/レクター博士の沈黙」という邦題が採用されたのは、現在出まわっているDVDが発売になってからのことだ。

そんなわけで、この映画の主人公は、いったん現役を退いたFBI捜査官ウィル・グレアム(ウィリアム・ピーターセン)だ。フロリダの海岸で妻子と静かに暮らしていた彼は、猟奇的な連続殺人犯の出現によって現場に引き戻される。服役中のレクター博士(ブライアン・コックス)に面会した彼は、犯人を逮捕するための助言を求める。

以後の展開は、くわしい説明を要しないだろう。犯人は病的な体質の持ち主だ。追うグレアムも、犯罪の動機や手口を理解するために、自身の病的な傾向を凝視せざるを得ない。つまり彼は、ミイラになってミイラを捕りにいくほかないのだ。

監督のマイケル・マンは「青と琥珀」を基調にした色彩設計で画面を織り上げていく。夜の海、朝焼けの空、窓を叩く雨、火だるまの人体、砕け散るガラス……眼に強く訴えるイメージがうねる波のように連ねられていくに従って、犯罪者の実像は画面の奥からじわりとあぶりだされていく。と同時に、映画もグレアムと犯人の最終的な対決に向けて、きわどい斜面を駆け降りはじめる。のちにアンソニー・ホプキンスの代名詞となったレクター博士がカリスマ性を発揮するのは、次作「羊たちの沈黙」(1991年)以降のことである。

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レッド・ドラゴン/レクター博士の沈黙

WOWOW 9月22日(火) 2:25~4:30(21日深夜)

原題:Manhunter
監督:マイケル・マン
出演:ウィリアム・ピーターセンブライアン・コックス、デニス・ファリーナ
1986年アメリカ映画/2時間1分

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「逢びき」

シリア・ジョンソン(左)とトレバー・ハワード
シリア・ジョンソン(左)とトレバー・ハワード

逢びき」は謎の多い映画だ。見るたびに印象が異なり、複数の解釈が可能で、真面目なのか冗談なのかわからなくなるときがある。

舞台は終戦直後の英国だ。主人公は、夫と子供のいる人妻ローラ・ジェッソン(シリア・ジョンソン)と、やはり妻子のいる医師アレック・ハーベイ(トレバー・ハワード)。
 ふたりは小さな駅で出会う。ローラの眼に入ったゴミをアレックが取ってやったことがきっかけだ。好意を抱き合ったふたりは毎週木曜の午後、密会を重ねる。ランチを食べ、映画を見、郊外にドライブし、駅の地下道や橋の上でキスをするのだ。だが、肉体関係はそれ以上深まらない。のちにモンティ・パイソンが「お茶はするけどセックスはしない」とこの映画をからかったゆえんだ。

だが、いま見直してみると、「逢びき」の興味深さはふたりの錯乱ぶりにある。身もだえし、雨のなかを走りまわる彼らは、見ているこちらがどぎまぎするほど不器用に振る舞う。わけてもローラは激しい。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番に聴き入りながら、彼女は妄想のなかでアレックと別世界に遊ぶ。それなのに彼らの背後では、なにもかもが几帳面に進行する。列車の発着や喫茶室の営業時間をはじめ、すべての日常が定刻どおりだ。

このコントラストが「逢びき」の急所だろう。明暗の落差を強調した撮影も、そこに手を貸す。そしてとどめは、シリア・ジョンソンとトレバー・ハワードの思い詰めた表情だ。固い決心や強い意志を表すように唇を結びつつ、ふたりは迷いと錯乱の深みにどんどんはまりこんでいく。矛盾するようだが、妙にリアルな演技だ。そういえば、英国の批評家シリル・コノリーは「アレックは医師ではなく、週に1度だけ外出を許可された精神科の患者ではないのか」と感想を述べている。

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逢びき

NHK衛星第2 9月27日(月) 13:00~14:27

原題:Brief Encounter
監督:デビッド・リーン
出演:シリア・ジョンソン、トレバー・ハワード、スタンリー・ハロウェイ
1945年イギリス映画/1時間27分

筆者紹介

芝山幹郎のコラム

芝山幹郎(しばやま・みきお)。48年金沢市生まれ。東京大学仏文科卒。映画やスポーツに関する評論のほか、翻訳家としても活躍。著書に「映画は待ってくれる」「映画一日一本」「アメリカ野球主義」「大リーグ二階席」「アメリカ映画風雲録」、訳書にキャサリン・ヘプバーン「Me――キャサリン・ヘプバーン自伝」、スティーブン・キング「ニードフル・シングス」「不眠症」などがある。

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