コラム:芝山幹郎 娯楽映画 ロスト&ファウンド - 第3回
2014年6月2日更新
西欧的旧世界への惜別
おや、フリッツ・ラングに切り替えたのか。映画の後半、私は思わずつぶやきそうになった。シャンパーニュの軽い泡を思わせるルビッチ風のタッチが、酸やタンニンを丸く感じさせるブルゴーニュの古酒のようなラング的なタッチに変化したからだ。おしゃれで、色がきれいで、おかしくて、スタイリッシュな映画が、それだけでは対応しきれない世界に直面し、闇や毒の要素を一挙に濃くしていく。スリリングで、どこか不吉な光景だ。
1890年オーストリア生まれ(ルビッチより2歳年長)のラングがナチスに眼をつけられ、危機一髪で亡命したのは1934年のことだった(ルビッチは24年からハリウッドで映画を撮っていた)。フランス経由アメリカ行き。
以後、ラングはハリウッドで反ナチス・プロパガンダ映画やフィルム・ノワールを何本も撮る。「死刑執行人もまた死す」(43)や「恐怖省」(44)あるいは「外套と短剣」(46)といったスリラーが代表作だが、「メトロポリス」(26)や「M」(31)といったドイツ時代の作品のほうが密度や緊迫感は高い。
アンダーソンも、1930年前後のラングを意識したのではないか。話の展開からいうと、類縁性があるのは40年代の作品と思われるかもしれないが、黒々とした影に覆われる「グランド・ブダペスト・ホテル」の終盤のタッチを見ると、私はやはり、ドイツ時代のラングを連想する。そう、オマージュというよりは返歌の一種。さらにいいかえるなら、消滅に向かわざるを得なかった西欧的旧世界への惜別のしぐさ。
こんなに奥深くまでアンダーソンはさかのぼったのか。「グランド・ブダペスト・ホテル」を2度見たあとで、私は思った。ジオラマ的な画面。疑似的な父子の登場。緻密な色彩設計。常連俳優のデッドパン演技。これまでのアンダーソン・ワールドに顕著だった要素をしっかり保持しつつ、彼は明らかな未体験ゾーンに足を踏み入れている。
もうひとつ指摘しておきたいのは、共同脚本のパートナーが、イギリス人のヒューゴ・ギネスだったことだ。アンダーソンがイギリス人と組んで脚本を書いたのは初めてだが、苗字からもわかるとおり、彼は大富豪ギネス一族の直系にあたる。旧世界の香りを残すホテルや遺産問題のややこしさなどを具体化するには、恰好の相棒ではないか。ふたりはたっぷりとリサーチして、この映画に臨んだにちがいない。
【これも一緒に見よう】
■「ラヴ・パレード」
1929年/アメリカ映画
監督:エルンスト・ルビッチ
■「陽気な中尉さん」
1931年/アメリカ映画
監督:エルンスト・ルビッチ
■「極楽特急」
1932年/アメリカ映画
監督:エルンスト・ルビッチ
⇒作品情報
■「メリー・ウィドウ」
1934年/アメリカ映画
監督:エルンスト・ルビッチ
■「死刑執行人もまた死す」
1943年/アメリカ映画
監督:フリッツ・ラング