コラム:FROM HOLLYWOOD CAFE - 第127回
2010年7月12日更新
第127回:知的な刺激だけでなく、ハートにも訴えかける「インセプション」
今年の5月に「LOST」が番組終了してからというもの、ずっと気分がすぐれなかった。全米で賛否両論を巻き起こした最終話に関しては複雑な心境だし、6年間情熱を捧げたドラマが消えてしまった喪失感は想像していたよりもずっとこたえた。なによりぼくを落ちこませたのは、今後「LOST」のような作品に巡りあうことはないだろうという悲しい予感だった。あれほど壮大かつ重層的で、スリリングで、知的で、エモーショナルな作品がそう簡単に生み出せるはずがない。そう考えると、ますます気が滅入った。まさか「LOST」の終了からわずか数週間後に別の作品に熱中することになろうとは、想像すらしていなかったのである。
7月に世界同時公開となる超大作「インセプション」は、クリストファー・ノーラン監督が自ら脚本を手がけた久々のオリジナル作品だ。ノーラン監督の才能を疑ったことは一度もないけれど、「インセプション」に関しては過度な期待を抱かないように心がけていた。これほど野心的な作品を超大作として作らせてもらえたのは、「ダークナイト」が全米歴代3位のヒットとなった事実と無縁であるはずもなく、才能ある監督が完全な自由を与えられたために足を踏み外してしまうことはよくある話である。「インセプション」がトンデモ映画になっていても、不思議はない。
「インセプション」はお世辞にもシンプルな映画とは言い難いが、その骨組みだけを抽出するとこんな感じになる。
ディカプリオ演じる主人公コブは、一種の産業スパイだ。卓越した腕を持つコブには敵が多く、指名手配をされているため母国アメリカにも帰ることができない。ある日、コブはサイトー(渡辺謙)という謎の男から、仕事の依頼を受ける。危険が伴うミッションだが、成功すれば過去の犯罪歴を消去し、コブがアメリカに残してきた子供と再会できるように取り計らうという。かくしてコブは、ドリームチームを結成し、危険なミッションに挑むことになる――。
強盗映画の公式に忠実に従いながらも、「インセプション」が独創的なのは、スパイ行為が夢のなかで行われる点にある。コブは、ターゲットが睡眠状態にあるときに潜在意識に入り込み、秘密を奪取する産業スパイなのである。
「インセプション」の夢の世界は、「マトリックス」におけるバーチャル世界をより精密にしたようなもので、他人の夢に出入りするプロセスから、現実との時間経過の違い、死亡したらどうなるのか、など独自の法則がある。映画の前半は大量のルールの説明に時間が割かれており、観客がようやく飲み込めたところで、いよいよ作戦決行となるのだ。
物語はフラッシュフォワードで幕を開けて、夢の第2階層、夢の第1階層を経て、ようやく現実が描かれるなど、非常に複雑だ。それでもぼくが「インセプション」に没頭できたのは、コブを巡るエモーショナルなドラマがきちんと描かれていたからだ。知的な刺激だけでなく、ハートに訴えかけるドラマとして成立している点は、「LOST」の最良のエピソードと同じである。「LOST」のファンはもちろん、刺激的な体験を求めるすべての映画ファンにお勧めしたいと思う。
筆者紹介
小西未来(こにし・みらい)。1971年生まれ。ゴールデングローブ賞を運営するゴールデングローブ協会に所属する、米LA在住のフィルムメイカー/映画ジャーナリスト。「ガール・クレイジー」(ジェン・バンブリィ著)、「ウォールフラワー」(スティーブン・チョボウスキー著)、「ピクサー流マネジメント術 天才集団はいかにしてヒットを生み出してきたのか」(エド・キャットマル著)などの翻訳を担当。2015年に日本酒ドキュメンタリー「カンパイ!世界が恋する日本酒」を監督、16年7月に日本公開された。ブログ「STOLEN MOMENTS」では、最新のハリウッド映画やお気に入りの海外ドラマ、取材の裏話などを紹介。
Twitter:@miraikonishi