コラム:編集長コラム 映画って何だ? - 第27回
2020年3月18日更新
ピクサーの本が超面白い。スティーブ・ジョブズとその腹心の大勝利
折からのコロナウイルス禍で、ピクサーの「2分の1の魔法」の日本公開が延期になってしまいました。全米では3月6日に公開され、2週連続の首位を記録してはいるものの、映画館が次々に閉鎖されているので、いつまで上映が続くのか分からないという非常事態。
そんな折、ピクサーに関するとても面白い本を読むことができたのでご紹介します。「PIXAR <ピクサー> 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話」というヤツです。
ハリウッドにおけるピクサーのサクセスストーリーは、1995年の「トイ・ストーリー」の誕生から今日にいたるまで、映画業界では知らない者はまずいないでしょう。とりわけ、「トイ・ストーリー」の監督を務め、初期のピクサーのクリエイティブ部門を指揮したジョン・ラセターの八面六臂の活躍は、「ファインディング・ニモ」や「Mr. インクレディブル」といったピクサー作品はおろか、「ズートピア」や「アナと雪の女王」など、その後のディズニーの大躍進にも大いに影響を与えています。
しかしこの本は、ジョン・ラセターおよびクリエイティブ部門の物語ではありません。題名からも明らかなように、「お金の話」。具体的には、ピクサーの経理財務部門のサクセスストーリーなのです。著者はローレンス・レビーといって、スティーブ・ジョブズによってスカウトされた、ピクサー社のCFO(最高財務責任者)。
そう。ピクサーは、スティーブ・ジョブズが作った会社でした。85年にアップルを追放されたジョブズは、NeXTという会社を創設するとともに、ルーカスフィルムのコンピューター関連部門を1000万ドルで買収し、ピクサーと名付けて法人化します。当時、ジョージ・ルーカスは離婚慰謝料の支払いでお金に困っていたので、ジョブズと取引をしたわけです。
そのジョブズが、ピクサーのCFOとして雇ったレビーに突きつけたミッションは、「なる早でIPO(新規株式公開)せよ」というものでした。
レビーは、ピクサーのビジネスモデルとポテンシャルを子細に検討し、ディズニーと結んでいた不平等な契約などさまざまな障害を乗り越え、苦労の末にIPOを実現します。これは「シリコンバレー・ミーツ・ハリウッド」の最初の成功事例と言っていいのではないでしょうか(最大の成功事例はNETFLIXですね)。感慨深いことに、ピクサーがIPOした95年11月というのは、まだインターネットの黎明期でした。ネットスケープのIPOが同じ年の8月ですから、当時は、まだまだ全然ネット社会ではなかった。ピクサーって、みんなが思っているより古い会社なんですよ。
この本には、ジョブズが亡くなって10年近く経ってしまった今、あまり目にすることがなくなってきた「ジョブズ節」が何度も登場します。これが懐かしい、そして嬉しい。例えば、IPOへの道筋が見えてきたところで、ピクサー株の公開価格をいくらに設定するか。ジョブズの意向はこんな感じ。
「ウチはネットスケープ社より価値があるぞ。連中は創業1年くらいにすぎないうえ、赤字なんだ。映画さえヒットすれば、我々は上を行ける。ピクサーの価値は20億ドルにしてもいいんじゃないかな」
レビーは「そんなむちゃな。なにをどう計算しても20億ドルなんて数字は出てこない。その4分の1が投資銀行から提案されたらびっくりというぐらいだ」と内心思いますが、ジョブズには決して言いません。はね返されるのが分かっているから。
まあ、ジョブズの気持ちも分からないではありません。ルーカスから買った時点で1000万ドル、さらに、これまでのランニングコストで5000万ドルものポケットマネーをピクサーに投じています。株価をできるだけ吊り上げてIPOに持ち込みたい。だけど、ジョブズの口走る株価は根拠なしに高すぎる。
そうこうしているうちに、投資銀行側の結論が出て、ピクサー社の価値はおよそ7億ドルと見積もられました。ジョブズの目論見の3分の1、これが現実です。
ところが、11月22日に公開された「トイ・ストーリー」は、レビーやジョブズも予想していなかった規模の大ヒットを記録し、ピクサーの評価はうなぎのぼりに。IPOは翌週29日に行われ、取引日初日の終値は39ドルでした。ピクサーの市場価値はおよそ15億ドル。株式の過半を持つジョブズは、みごとにビリオネアになりました。
スティーブ・ジョブズは、このピクサーでの大成功を経て、翌96年にアップルへ凱旋復帰します。その後、iMacが発表されるのは98年、iPodは2001年ですから、ピクサーのIPOはジョブズが放った、後のアップル復活に繋がる派手な打ち上げ花火だったんですね。
また、この本にはハリウッドビジネスがいかに保守的で、しかも排他的なものであるかというエピソードもたびたび登場します。第4章「ディズニーとの契約は悲惨だった」にこんな記述があります。映画の続編に関するもの。本文を引用してみましょう。
「契約書では、ピクサーが続編を制作できるのは、続編の元となる本編を合意した予算で完成させ、さらに、ディズニー流の続編制作に同意するなど、さまざまな条件がすべて満たされた場合のみとなっていた。この条件が満たされなかった場合、ディズニーが、ピクサーと無関係にピクサー映画の続編を作ることができる」
どうですか? これはディズニーの「パワハラ契約」と呼んでいいヤツですよね。「トイ・ストーリー」のウッディやバズが、ディズニーの好き放題に使われてしまう可能性が盛り込まれた契約書が存在していたという……。
しかしIPOが大成功した今、ピクサーに資金は潤沢にあります。ディズニーとのパワハラ契約を解消するという新たな挑戦に、ジョブズとレビーは突入します。そのプロセスは本書に譲りますが、ヒット作を連発するピクサーはディズニーにとって虎の子的存在となり、パワハラ契約解消どころか、ディズニー本体の一部となります。ディズニーによるピクサーのM&A(企業買収)です。
06年、ディズニーはピクサーを74億ドルで買収。ピクサー株の50%を持つジョブズは、40億ドル近い資産を得、ディズニーの筆頭株主になりました(このM&Aは株式交換で行われました)。
ご存知でしたか? かつて、ディズニーの筆頭株主がスティーブ・ジョブズだったなんて。今、「ディズニー+」と「アップルTV+」は、ストリーミング市場でガチの戦いを繰り広げようとしていますよね。ジョブズが生きていたら、この状況は起こりえなかったんじゃないかと。
さて、著者のローレンス・レビーは、ピクサーがディズニー傘下になったタイミングでその職を辞し、チベット仏教に出合います。そして仏教における「中道」の考え方に傾倒していくのです。ちなみに、レビーはユダヤ系なんですけどね。とても興味深い。
現在は、チベット僧たちと「ジュニパー」という瞑想スクールを運営しており、世界中の人々が訪れているそうです。
ピクサーのファンならもちろんのこと、エンターテインメント系のビジネスに興味がある方にオススメの本です。そして後者の方々は、この本に度々登場する、次の書籍も気になるはず。
700ページ超えの大著です。「ハロルド・ヴォーゲルのエンタテインメント・ビジネス―その産業構造と経済・金融・マーケティング」
13年に発売されたこの本は、8800円もしますが、19年の11月に初めて重版となりました。これは間違いなく、上記のピクサーの本(19年3月初版)の影響だと思います。レビーやピクサーの人たちがバイブルのように使っていた本だと知って、思わず買っちゃうんですよ。ええ、私も1冊買いました。
日本では、「2分の1の魔法」は「近日公開」になってしまいましたが、今年は、夏にもピクサーの新作映画「ソウルフル・ワールド」が待機しています。もしかしたら、この夏は思いがけず「ピクサー祭」になるかも知れません。それはそれで楽しそうです。
筆者紹介
駒井尚文(こまいなおふみ)。1962年青森県生まれ。東京外国語大学ロシヤ語学科中退。映画宣伝マンを経て、97年にガイエ(旧デジタルプラス)を設立。以後映画関連のWebサイトを製作したり、映画情報を発信したりが生業となる。98年に映画.comを立ち上げ、後に法人化。現在まで編集長を務める。
Twitter:@komainaofumi