コラム:ニューヨークEXPRESS - 第23回
2023年3月6日更新
ニューヨークで注目されている映画とは? 現地在住のライター・細木信宏が、スタッフやキャストのインタビュー、イベント取材を通じて、日本未公開作品や良質な独立系映画を紹介していきます。今回は、ニューヨークで上演される注目の舞台を取り上げます。
第23回:中谷美紀、舞台版「猟銃」でニューヨークの地に立つ “伝説のダンサー”ミハイル・バリシニコフとの共演について語る
映画「リング」シリーズ、ヒットドラマ「ケイゾク」で注目され、その後も「電車男」「嫌われ松子の一生」「ゼロの焦点」などで高く評価されてきた女優・中谷美紀。これまで多彩な役に挑戦し、ひとつひとつの仕事に丁寧に向き合ってきた。
そんな彼女の新たな挑戦は「ニューヨークでの舞台」だった。
井上靖の小説「猟銃」を舞台化した「The Hunting Gun」は、3月16日~4月15日(現地時間)、ニューヨークのバリシニコフ・アーツ・センターで上演される。
“舞台の本場”ニューヨークで演技をする――今、中谷は何を思っているのだろうか。開幕直前、単独インタビューに応じてもらい、その胸の内を明かしてもらった。
舞台版「猟銃」は、中谷が主演を務める形で、2011年からカナダ・モントリオールで始まり、16年には日本公演も行われた。待望のニューヨーク公演に関しては「お話を頂いたのは、昨年の5月でした。突然、舞い込んできたと言いますか……こちら(=ニューヨーク公演版)にも参加している日本のプロデューサー・毛利美咲さんからお話を頂きました」という経緯があった。
「猟銃」は、三杉譲介(みすぎ・じょうすけ)に宛てられた、3人の女性の手紙で構成された書簡体小説。この3通の手紙によって、13年間にわたる不倫の恋が暴かれていくという設定となっている。
中谷自身は最初に読んだ際、どのような部分にひかれ、そして何度も演じる気になったのだろう。
「演出家のフランソワ・ジラールさんとは、かつて『シルク(2007)』という映画でご一緒させて頂きました。『シルク(2007)』を撮影した直後にこの舞台の話を聞かされまして『3人の女性の中で、君が演じたい女性を誰か選んでくれ』という形でオファーを頂きました。それが2006~07年の頃だったでしょうか。ですから、それから上演までに5年近く掛かっています。と申しますのも、私が『Yes』と言ったり、『No』と言ったり、何度も行ったり来たりしておりまして、かなり逡巡しておりました。『3人の女性からひとりを選べ』という提示があった際、どうしてもひとりだけ選ぶことができませんでした。物語を読ませて頂いて『3人をひとりで演じてみるというのはいかがでしょうか?』と提案させて頂きました」
すると、ジラールから予想外の返事が返ってきたそう。
「フランソワさんはその場で、すぐに『YES』と仰って『それなら3人分のギャラを払わなくて済む。その方が節約になるから良い』と言っていました。冗談半分、本気半分だったと思います。ひとりで3役を演じられた方がより豊かになるのではないかと私も思っていましたし、フランソワさんも賛同してくださいました」
中谷にとっては確固たる意志を秘めた挑戦となった。
「おそらく欧米の方々が抱く日本女性のイメージは、とても従順で控えめ、謙虚で男性にかしずくような――3歩下がってというような印象。あるいは表情がなく、何も感情を持っていないというステレオタイプなイメージを抱きがちだと思っているのですが、おそらくフランソワさんは、日本の女性にもきちっと感情と意思があるということを小説から感じとったはず。それらは秘めているだけで、実は私たち日本人には確固たるものがある。私自身もそう思っていましたし、欧米に行った際、勝手に判断されるようなイメージを覆したいという思いもございました」
中谷はみどり、彩子、薔子の3役を演じている。それぞれ年齢、個性、ファッションも異なるわけだが、どのようなアプローチをしたのだろう。
「早い段階で『彩子(愛人の役柄)は舞台上で着物の着付けをしながら、セリフを述べて欲しい』というご意見がありました。そして、一度も舞台をはけることなく、舞台上で着物や衣裳チェンジもするという演出も、フランソワさんは初期の段階でプランニングされていました。私自身、表面の衣装、髪型、そういったものに助けられることももちろんあるのですが、まずは立ってお稽古するのではなく、フランソワさんと“本をどのように読み解くか、解釈するか”という点のディスカッションを重ねました」
今作は2人芝居ではあるが、中谷によるモノローグ芝居が中心。カナダと日本で共演した相手役のロドリーグ・プロトーは無言を貫き、中谷の背後での身体表現のみという斬新な演出だった。しかし、ニューヨーク版では伝説的バレエダンサー、ミハイル・バリシニコフが三杉譲介役を演じる。
「バリシニコフさんが役を引き受けると決定した状態で、私は出演依頼のお話を頂きました。『バリシニコフさんが三杉譲介役を演じるけども、(あなたに)演じたいという思いがあるか?』という問合せを毛利さんから頂きまして、その時に思わず『はい!』と後先考えずに言ってしまいました」
以前バリシニコフが出演した「ホワイトナイツ 白夜」を鑑賞したことがあったそうだ。
「当時のソビエト連邦から亡命なさるというシーンが、私の脳裏に強烈に焼き付いていまして。バリシニコフさんと共演できるなんて、本当に心が躍りましたし、興奮いたしました。でも、それと同時にこの作品は、演じるには心身のエネルギーを要するもの。自分の体調管理――喉の管理もそうです。絶叫する演出もございますので、毎晩喉が炎症を起こすんです。それをどのように鎮めるか、鎮静させるのかという点も大事です。声を発する人間が私以外に舞台上に誰もいないのですから、とにかく全身と心のケアがとても重要な作品です。『Yes』と言ったものの『本当にできるのだろうか?』という不安がございました」
バリシニコフへの演出は、既存のバージョンから変わってくるのだろうか。
「おそらく変わらないと思います。それをバリシニコフさんがなさるということに、むしろ驚きを覚えております。全てのダンサーにとって神様のような存在の方。素晴らしい跳躍力と表現力を持つバリシニコフさんが踊ること、動くことをやめ、舞踏に近いような、あるいは日本の能楽に近いような……本当に緩慢な動き、いわゆるスローモーションで猟銃に弾をこめて人を撃つという作業を見せてくださるんです。動くことをやめ、動から静にご自身のクリエーションを移されるバリシニコフさんのお姿を拝見できるということに、何よりも心震わされます」
ジラールとは、舞台「猟銃」を通じて、カナダ、日本、そしてニューヨークで3度タッグを組んだ。彼の演出から得た“学び”とは?
「彼のリハーサルは、セリフの量がこれだけあるにも関わらず、とても短いんです。2011年の時点ですが、5時間のリハーサルの中で、1時間はフランソワさん自身が緑茶を入れて下さって、お茶を頂きながら雑談をしていました。演技はご存知の通り、英語では『Play』、フランス語では『Jouer』。いずれも『遊ぶ』という意味を兼ね、彼は『“演じる”と“遊ぶ”は同義なんだ」と仰っていました。演じるということを楽しむ、そんなことを教えて頂いたように思えます。良い作品を作るには、苦しまなければならない。これまでは、そんな固定観念がございましたので、それを覆して下さったのがフランソワさんだったように思えます。同時に『楽しみなさい』というわりに、スクリュードライバーを真髄にねじ込まれるような感覚も。決して怒鳴られたとかそう言うことではなく、役柄の魂の奥底に植え付けるような演出をしてくださいました。なんと申し上げたら良いのでしょうか……彼自身、演じることが、とてもお上手なんです。緑の悲しみと怒りをシェイクスピアの『オセロ』にたとえて、舞台上で演じてくださったりすることも。その姿を見て、ここまで感情を引き出すべきなんだということを目の当たりにしました」
2018年、ビオラ奏者を務めるティロ・フェヒナーさんと国際結婚。生活の中心をオーストリア・ウィーンに移しながらも、日本での仕事も続けている。
「オーストリアという国は、やはり芸術や文化の都。ニューヨークも同様だと思いますが、遺された財産で人々が生活することができています。観光産業もそうですし、音楽産業……オペラ、演劇、絵画もそうですよね。かつて花開いた芸術が、いまだに生活の中心に置かれている。それは芸術に携わる者だけではなくて、ビジネスに携わる方、専業主婦、幼稚園に通う子供、学生だったとしても、皆さんの中心に芸術がある。いかに芸術家が大切にされているかがわかります」
「夫の仕事の関係で、演奏のリハーサルを拝見するチャンスに度々恵まれていまして。本番を体験するのも楽しいのですが、本番以上にリハーサルの過程が、とても楽しく感じます。無駄な努力をしないというんですかね。日本人というのは『時間をかけたものだけ良いものができる』という幻想を抱いているところが、いまだになくもないのですが、でも無駄な努力を捨てて、いかに短い時間で、集中していいものを作るかということをなさっている。もちろん各々で練習しているかもしれませんが、本当に短期集中型。その時間にグッと集中し生産性を上げて、あとは家族との時間をきちんと大切にする、プライベートの時間を大切にするという姿から学ぶことは多かったですね。白州正子(随筆家)さんを以前演じたことがあるのですが、彼女の本の中にも『役者は舞台裏で作られる』と書かれていました。あぁ、こういうことなのかと。『何でもない日常を楽しむことも、演じるうえではとても大事だったんだ』ということに気付かされました」
これからブロードウェイやオフ・ブロードウェイなどで目の肥えたニューヨークの観客が鑑賞する。最後に「どんな部分に注目してもらいたいか」と尋ねてみた。
「まずはフランソワ・ジラールさんの演出が素晴らしいという点。フランソワ・ジラールさんの演出と、井上靖さんの書かれた日本語が本当に美しい。日本語のリズムもとても美しいんです。おそらく日本語を理解できず、英語字幕をご覧になる方でも、日本語の美しさというものを楽しんでいただけるのでは思っています。それに舞台上で着物を1から着付ける作業を致します。日本人がどのように着物を着ているのかという過程は、日本文化に興味のある方々だけではなく、日本を離れて何年も経った方にも楽しんで頂けると思います。あとは、やはりミハイル・バリシニコフさん。踊っていらっしゃる姿をご記憶されている方々が、今回のパフォーマンスをどのようにご覧になるのか――それがもう楽しみですね。ショッキングでセンセーショナルなものだと思っています」
筆者紹介
細木信宏(ほそき・のぶひろ)。アメリカで映画を学ぶことを決意し渡米。フィルムスクールを卒業した後、テレビ東京ニューヨーク支社の番組「モーニングサテライト」のアシスタントとして働く。だが映画への想いが諦めきれず、アメリカ国内のプレス枠で現地の人々と共に15年間取材をしながら、日本の映画サイトに記事を寄稿している。またアメリカの友人とともに、英語の映画サイト「Cinema Daily US」を立ち上げた。
Website:https://ameblo.jp/nobuhosoki/