せかいのおきく

劇場公開日:

せかいのおきく

解説

「北のカナリアたち」「冬薔薇(ふゆそうび)」などの阪本順治監督が、黒木華を主演に迎えて送る青春時代劇。

江戸時代末期、厳しい現実にくじけそうになりながらも心を通わせることを諦めない若者たちの姿を、墨絵のように美しいモノクロ映像で描き出す。武家育ちである22歳のおきくは、現在は寺子屋で子どもたちに読み書きを教えながら、父と2人で貧乏長屋に暮らしていた。ある雨の日、彼女は厠のひさしの下で雨宿りをしていた紙屑拾いの中次と下肥買いの矢亮と出会う。つらい人生を懸命に生きる3人は次第に心を通わせていくが、おきくはある悲惨な事件に巻き込まれ、喉を切られて声を失ってしまう。

中次を寛一郎、矢亮を池松壮亮が演じ、佐藤浩市、眞木蔵人、石橋蓮司が共演。

2023年製作/89分/G/日本
配給:東京テアトル、U-NEXT、リトルモア
劇場公開日:2023年4月28日

スタッフ・キャスト

監督
脚本
阪本順治
製作
近藤純代
企画
原田満生
プロデューサー
原田満生
撮影
笠松則通
照明
杉本崇
録音
志満順一
美術
原田満生
美術プロデューサー
堀明元紀
装飾
極並浩史
小道具
井上充
衣装
大塚満
床山
山下みどり
メイク
山下みどり
結髪
松浦真理
VFX
西尾健太郎
編集
早野亮
音楽
安川午朗
音楽プロデューサー
津島玄一
マリン統括ディレクター
中村勝
助監督
小野寺昭洋
ラインプロデューサー
松田憲一良
バイオエコノミー監修
藤島義之
五十嵐圭日子
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映画レビュー

3.5幕末サスティナビリティ

2023年4月28日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 モノクロ映像である理由は、うんこがたくさん映るから?そう勘繰りたくなるほど、うんこの描写がたくさんある。でも、しっかりカラーのうんこも出てくる。
 主要キャラの職業が汚穢(おわい)屋なのでそうなるのだが、何故わざわざそういう設定にしたかというと、本作が「YOIHI PROJECT」の映画作品第一弾だからだ。

 このプロジェクトの主旨は、「気鋭の日本映画製作チームと世界の自然科学研究者が協力して、様々な現代の『良い日』に生きる人間の物語を創り、『映画』で伝えていく」「地球環境を守るために考えたい課題を誰もが共感できる物語として描」くことだそうだ(「YOIHI PROJECT」ホームページより)。他にも、ドキュメンタリー映画や絵本などを世に送り出している。
 おきくの受難とかわいい恋物語は、こういったプロジェクトのテーマをエンタメに昇華するための溶媒のようなものなのだろう。
 ただ、設定上仕方ないもののちょっとうんこ描写が多すぎるので、人によっては嫌悪感が強いかもしれない。
 ちなみにあのうんこの材料は主にダンボールで、場面によってはお麩を入れたり、廃棄される予定だった食材を入れたりしたそうだ。

 鑑賞中はそんなことを知らず、おきくのドラマという単純な理解で観ていたが、それでも映像を追っていると確かに当時がその時代なりの循環型社会だったことがよくわかる。排泄物を、代金を払って回収し川で運び、肥料として売る。中次の最初の生業として、古紙回収の仕事も出てきた。
 しかし、循環させることは素晴らしいのだが、やはり当時の仕組みは大変だ。裕福な家はいざ知らず、長屋のような住まいのトイレは、ちょっと激しい雨が降ればたちまちあふれてしまう。汚穢屋が排泄物を運べば当然道すがら臭う。不衛生になることが多く、健康に悪い。現代に生きる人間としては、改めて水洗トイレの偉大さを思う、といった感じである。
 だが、当時の汚穢屋はいわゆるエッセンシャルワーカーだ。矢亮が言っていたように、人々の生活は彼らがいなければ成り立たない。欠かせない職なのに、実入りも社会的立場も恵まれない。そういった傾向は、現代にも残っている気がする。

 おきくの物語に目を移すと、受難の場面は非情だが、その場面以外は全体にほっこり感が漂う。声を失った後も、悲しみや重苦しさに支配され続けるわけではない。
 彼女の父親である源兵衛を佐藤浩市が、中次を実の息子の寛一郎が演じていることで、おきくは中次に父親の面影を見たのかもしれないというニュアンスも感じられる。あらためて、寛一郎は父親によく似ているな、と思った。
 黒木華は時代劇がよく似合う。くっきりと派手な美しさではなく、日本の美人画に描かれるようなシンプルで凛とした美しさが、モノクロの画面によく映えていた。

 ところで、最後に矢亮がしきりと「青春だなあ」と言っていたが、青春という単語が現代のような意味合いで使われ出したのは明治時代後期だと言われる。だから矢亮の言い方を聞いて少し不思議な気分になったのだが、脚本はあえてそうしたのではないかと勝手に想像している。
 中次と矢亮、おきくが体験した喜怒哀楽は、私たちが現代に生きて感じているものと変わらないのだということ。その共感の橋渡しとして、現代的な言い回しを一言入れたのではないかと解釈した。

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ニコ

3.5腹下し

2024年7月3日
Androidアプリから投稿

美術監督原田満生氏から持ち込まれた企画、サーキュラーエコノミーをテーマに作った映画だという。ゆえに、映画の美術や俳優が着ている衣装は、全て廃材や古着をリユースしたものらしく、昼休みスタッフに提供される弁当にいたるまで、名前入りの弁当箱を繰り返し使用するなどしてゴミをなるべく出さないように心がけたのだとか。要するに地球環境にとっても優しい作品なのである。

モノクロのチャプター仕立てになっている本作ではあるが、ご覧になっておわかりのように、この映画には起承転結を伴うストーリー性がほとんどない。じゃあその代わりに何があるのかというと“糞”である。ふーん😒?普通の映画だったら絶体にフレームインを避ける人間の糞尿を執拗に映し出した大変珍しい作品なのだ。何せヒロインである武家の娘おきく(黒木華)が恋する男の職業が、汚穢やと呼ばれる肥え汲み男なのである。

江戸時代当然下水道などない長屋で用を足すには、簡素な囲いをほどこした共同便所を使うしかない。大雨でも続こうものなら肥溜めから糞尿が溢れだすわけで、この汚穢やの皆さんが下水の役割りを担っていたわけである。別に実際に撮さなくてもと個人的には思ったのだが、阪本順治はあえて江戸時代の糞尿がどのように循環していたのかを克明に描き出す。人間のエピソードがむしろオマケに見えるくらい、“糞尿様”を主人公にした超マニアックな演出なのだ。

肛門の別名“菊”を連想させるヒロインの名前もさることながら、おきくは喉を切られて“肥え”ならぬ“声”を失ってしまうのである。口をきけなくなったおきくを元気づける新入りの汚穢や中次を、きくの父ちゃん役佐藤浩市の息子でもある寛一郎が演じている。だが劇中最も気をを吐いていたのは、中次とコンビを組む汚穢やの先輩矢亮役の池松壮亮だ。いくら作り物とはいえ、糞尿がこびりついた肥え桶に躊躇なく素手を突っ込み、丁寧にこそげおとすシーンにはまさに度肝を抜かれた。究極の“汚れ”である。

私はそのシーンだけでお腹が一杯になり、映画を観賞したその日になんと5回も便所に通ったのだが、その他特筆すべき点が見当たらないのである。もしもデヴィッド・ロウリーあたりが本作の監督をつとめたならば、シナリオそのものを円環させるストーリーに仕立て上げたことだろう。「せかいには果てがない」という台詞や超広角レンズを使ったラストシーンだけで、観客に“循環”をイメージさせるのはちと無理があった気がするのだ。“肥え”が“声”となり“恋”の華を咲かせるシナリオ上の演出が、是非とも欲しかったところではある。

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かなり悪いオヤジ

3.0回ってる

2024年6月12日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

あっちにずっと行ったら、こっちから帰ってくる。
上から食べて下から出す。
恋に落ちて、新たな命。
そしてまた土に還る。
時代は変わっても、結局人間は変わらずにずっと回ってる。

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上みちる

3.5白黒で正解

2024年5月24日
iPhoneアプリから投稿

 誰もがやりたくない仕事、でもなくてはならない仕事。よくこの職業を取り上げたな。当時の大変さがよくわかって、とても興味深く観れた。全編カラーだったら観れなかったかも。でもあんなふうに船で運んだなんて、現地調達だけでは足りなかったって事ですね。
 池松壮亮の矢亮がピッタリだったし、黒木華の中次に恋焦がれるおきくも可愛かった。
 役割、役を割る。最後に和尚が、せかいの説明、あっちに行った人がこっちからくる、、、みんなで首を傾げていたのがおかしかった。

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アンディぴっと