劇場公開日 2023年4月28日

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「幕末サスティナビリティ」せかいのおきく ニコさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5幕末サスティナビリティ

2023年4月28日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 モノクロ映像である理由は、うんこがたくさん映るから?そう勘繰りたくなるほど、うんこの描写がたくさんある。でも、しっかりカラーのうんこも出てくる。
 主要キャラの職業が汚穢(おわい)屋なのでそうなるのだが、何故わざわざそういう設定にしたかというと、本作が「YOIHI PROJECT」の映画作品第一弾だからだ。

 このプロジェクトの主旨は、「気鋭の日本映画製作チームと世界の自然科学研究者が協力して、様々な現代の『良い日』に生きる人間の物語を創り、『映画』で伝えていく」「地球環境を守るために考えたい課題を誰もが共感できる物語として描」くことだそうだ(「YOIHI PROJECT」ホームページより)。他にも、ドキュメンタリー映画や絵本などを世に送り出している。
 おきくの受難とかわいい恋物語は、こういったプロジェクトのテーマをエンタメに昇華するための溶媒のようなものなのだろう。
 ただ、設定上仕方ないもののちょっとうんこ描写が多すぎるので、人によっては嫌悪感が強いかもしれない。
 ちなみにあのうんこの材料は主にダンボールで、場面によってはお麩を入れたり、廃棄される予定だった食材を入れたりしたそうだ。

 鑑賞中はそんなことを知らず、おきくのドラマという単純な理解で観ていたが、それでも映像を追っていると確かに当時がその時代なりの循環型社会だったことがよくわかる。排泄物を、代金を払って回収し川で運び、肥料として売る。中次の最初の生業として、古紙回収の仕事も出てきた。
 しかし、循環させることは素晴らしいのだが、やはり当時の仕組みは大変だ。裕福な家はいざ知らず、長屋のような住まいのトイレは、ちょっと激しい雨が降ればたちまちあふれてしまう。汚穢屋が排泄物を運べば当然道すがら臭う。不衛生になることが多く、健康に悪い。現代に生きる人間としては、改めて水洗トイレの偉大さを思う、といった感じである。
 だが、当時の汚穢屋はいわゆるエッセンシャルワーカーだ。矢亮が言っていたように、人々の生活は彼らがいなければ成り立たない。欠かせない職なのに、実入りも社会的立場も恵まれない。そういった傾向は、現代にも残っている気がする。

 おきくの物語に目を移すと、受難の場面は非情だが、その場面以外は全体にほっこり感が漂う。声を失った後も、悲しみや重苦しさに支配され続けるわけではない。
 彼女の父親である源兵衛を佐藤浩市が、中次を実の息子の寛一郎が演じていることで、おきくは中次に父親の面影を見たのかもしれないというニュアンスも感じられる。あらためて、寛一郎は父親によく似ているな、と思った。
 黒木華は時代劇がよく似合う。くっきりと派手な美しさではなく、日本の美人画に描かれるようなシンプルで凛とした美しさが、モノクロの画面によく映えていた。

 ところで、最後に矢亮がしきりと「青春だなあ」と言っていたが、青春という単語が現代のような意味合いで使われ出したのは明治時代後期だと言われる。だから矢亮の言い方を聞いて少し不思議な気分になったのだが、脚本はあえてそうしたのではないかと勝手に想像している。
 中次と矢亮、おきくが体験した喜怒哀楽は、私たちが現代に生きて感じているものと変わらないのだということ。その共感の橋渡しとして、現代的な言い回しを一言入れたのではないかと解釈した。

ニコ
Mさんのコメント
2023年5月5日

「青春」という言葉自体はずいぶん昔(奈良時代?)からあったみたいですが、やはり、今と同じような使い方は夏目漱石以来と思っていたので、江戸末期にどんな意味で使われていたのか(監督がどんなつもりでこの台詞を入れたのか)は、ぜひ知りたいと思いました。

M