フェイブルマンズのレビュー・感想・評価
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人生ままならぬけれど
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スティーブン・スピルバーグ監督の自伝的作品と云うだけでとても興味を掻き立てられましたが、いじめっ子との和解エピソードは良かったものの、親子関係のストーリーなど、「だからなんなの?」と云う感じであまり刺さりませんでした。
私の人生経験が足りないせいかもしれませんが…
人生ままならぬこともあるけれど、それら全てをひとつの経験として映画に反映させ、素晴らしい作品に昇華して来たスピルバーグ監督の原点を知れただけで良しとしたい。ジョン・フォード監督に言葉を掛けてもらっていたなんてすご過ぎる。
タイトルなし
恐らくスピルバーグが映画監督になる迄の姿だけを追うような作品ではないのだろうなと思っていたが、想像以上に映画監督を目指す描写は薄く、家族の問題を色濃く描いた作品になっていた。イジメに両親の離婚と、なかなか表に出したくないような内容を描いている。観ていて楽しかったり悲しかったりもするんだけれど、どの方向にも感情の振り幅は小さく、いつも選んでいる映画.comの印象アイコンを選べなかった。強いて選ぶなら亡くなった祖母からの電話のシーンが滅茶苦茶怖かったので「怖い」かもしれない。
食事のシーンでプラスティックのフォークだと味が変わるって文句を言っていたけれど、日本でもエコを理由に紙ストローや木のスプーンなんかが使われるようになって同じような文句を言っている。恐らく今のアメリカも同じような感じで入れてきた台詞なのかなと思った。
水平線の位置の講釈を受けた直後のラストシーン、つまらないド真ん中に水平線がきていたから慌ててカメラの位置を直す茶目っ気のある演出がベタだけれど良かった。
映画への想いが胸アツ
5~60年代の雰囲気は本当におしゃれで、どのような設定でもストーリーを効果的に盛り立てる。
本作も様々な地域が舞台になったが、どこでもそれぞれの良さがきれいに映えていた。
アリゾナの砂漠感もすごく良かったが、個人的にはやはり何だかんだカリフォルニアのスクールライフの青春感が一番印象的だった。シニアスキップデーの甘酸っぱさもウキウキしたし、夕方のロッカールームでのいざこざも独特の映像美を感じた。
全体を通して、ストーリーは特筆するところはなかったが、映画への熱い想いと景色の撮り方はすごく心に刺さったし、そして何より地味ながらもお父さんの耐え忍ぶ家族愛は何だかんだ一番心に染みたかも知れない。
期待通りとはいかず決め手にかけた作品ではあったが、上映時間150分もあっという間に感じるエンターテイメント作品であったことは間違いない。
まさにウマ男
落語か?落語なのか?
母が父に内緒で映画を応援してくれたことが後で別の秘密の共有につながるとか…そういう語り口のうまさ、もはや落語じゃん、ていう。
なので面白さより僅差でうまさが勝つ(もちろん面白い)。
そりゃ本人が撮ってるんだから、のちの名監督のアマチュア時代、とかいう絶妙にむずかしい芸術内芸術問題もぬるっと解決でしょうよ。
普通こういうのって、後から別の監督が撮って文句言われたりするものでしょ…? そこをご本人登場って微妙にズルくない?自分はともかく、両親のことを描きたかったんでしょうけど。
あと例の有名なエピソードがまさか映画で観られるとは。あの終わり、「ウマい!」しか感想なくないですか…?
映画探偵フェイブルマン、彼のフィルムはあらゆる嘘を暴くのだ!と脳内番組が始まるくらい筋金入りのフィルム人間、つまりウマ男なんだけど、才能があるぶん、下手すると誰かの人生を破壊しかねない、端的に暴力だってことなんだろう。
「人には言わない。秘密だよ」と言いながらレンズを向けるスピルバーグ…。彼はユダヤ人だけど、なんなら彼の神より多くの人を劇場に呼び集めることができる。
かつて流浪の民だったユダヤ系は便宜上つけたために意味のわかる苗字が多いと聞いたことがあって、Fabelは寓話…タイトルまでウマいとか。
あと映画での扱いに傷ついた彼と、そうとも知らずに結ばれた彼女。2人の行く末を考えると…怖い。
•••納得
フェイブルマン家、
天才的なお父さん、
お母さんとベニーとの事、
サムのスカウトや学校仲間ガールフレンド、
サムの映画作りの才能、
スティーブン•スピルバーグの自伝的作品
でなかったら、
モヤモヤ〜〜〜。
お母さん、自分の心のままに、って息子に言うけれど、いろんな場面に当てはめると、
評価もそれぞれになるかと。
お父さんに落ち度なんて無いし‥‥、
サムが転校してイジメにあい
お父さんの事責めてたけど、
悪いのはイジメているヤツらということ
間違わないで欲しい。
色々とお父さんが可哀想に思えて来る。
しかし、このお父さんの
広い広い神のような愛と
一つに秀でた才能とその探究心を
受け継ぎ、
天真爛漫で自由な温かい心模様を
お母さんから受け継いで、
さらに楽しい家族にも囲まれて、
芸術作品とも言える
数々の作品を
生み出せたのなら、
納得❗️
余談、
子供だからいいのかしれないけれど、
宗教の事気楽だったな、と感じた。
イスラム教ではないのかな。
デミルとフォード
セシル・B・デミルの『地上最大のショー』にはじまり、ラストは“映像の詩人”ジョン・フォード(デヴィッド・リンチ!!!)の登場で幕を閉じる。ジョーゼフ・L・マンキーウィッツのパージを巡ってデミルとフォードが対立した経緯をご存じの方なら思わずニヤリとさせられる演出である。フォードに「大衆の好みを誰よりも知っているが、わたしゃあんたが嫌いじゃよ」と言わしめたデミル。デミル→フォードへと、年齢を重ねるにつれ作風が変化してきた監督スピルバーグの半自伝的作品といわれる1本だ。
技術者の父さん(ポール・ダノ)はメカのことになるともう他のことは目に入らない。小さな電気メーカーからGEに引き抜かれ、やがてIBMに転職する理系わらしべ長者だ。しかし、家族のためにピアニストになる夢をあきらめた芸術志向の母さん(ミシェル・ウィリアムズ)にしてみれば、堅物の父さんは優しくていい人だけどどこか物足りない。家族は父さんの出世に伴って、アリゾナからカリフォルニアへと移住、生活もだんだん豊かになっていくのだが....
黒澤明は映画作りの魅力の一つに“編集”の面白さをあげていたが、サミー初期の作品には、巧みな編集や技術的な工夫がふんだんに盛り込まれている。それは、当初大衆迎合的なエンタメに走っていたスピルバーグの(デミル風の)作風とまんま被っている。家族で車に乗ってハリケーンを追いかけるシーンや「全ての出来事に意味がある」なんて台詞を聞くと、あの『未知との遭遇』を思い出さずにはいられない。ナチスをやっつけたはいいものの味方全員を失って悲しみに浸る米軍兵士の物語は、『シンドラーのリスト』や『プライベート・ライアン』へと繋がっているのだろう。
しかし、カリフォルニアに越してきて以来、元気のない母さんのために撮りだめしていたフィルムを編集していたサミーは、そこに見てはいけないものを見てしまうのである。ここでサミー青年は、技巧的な編集には頼らないあのままの人間の姿を映し出す映画が、観客の心に刺さることを学ぶのだ。高校卒業記念に撮った海辺の映画の中で、サミーを苛めるいけすかないジョッグ野郎を美神として演出したくだりなどには、おそらくサミーの、いなスピルバーグのヒューマニズム路線への作風変化をオーバーラップさせているにちがいない。
映画関係の仕事をしているオジサン(ジャド・ハーシュ)から、映画作りにのめり込めばのめり込むほどに「芸術と家族の間で引き裂かれる」ことを予言されるサミー。結局仕事最優先の父さんと夢みがちな芸術肌の母さんが離婚したように、キャリアを最優先させたキリストオタクの彼女に、映画監督を夢みるサミーは思い切りふられてしまうのだ。が、夢をあきらめきれないサミーは、遂にそのきっかけを手に入れるのである。「地平線はどこにある?」ジョン・フォードに面会したサミーは、映画界への一歩を踏み出すのである。まだどこにも定まらない自分だけの地平線を目指して.....
芸術家の血
スピルバーグの幼少期から青年期のストーリー。
史上最大のシヨウを見てから夢中になるカメラを通してストーリーが進む。彼の繊細さと大胆さが垣間見える映画。1回目より2回目さらに3回目見るうちにスヒルパーグがまた好きになる。
父親は天才、母はそんな父を愛すも、心は親友の愛情を欲していた、まさかの内容。
カメラでキャンプの様子を取るうちに、母と父の親友の愛情を知る。知った後の少年の心が良く描かれる。
母の相手役がまさかのセスローゲン、これがとてもいい味出しており、見ていて納得する程に。
可能ならば映画撮影前迄の導入部まで見たかった。父や叔父の血を、の天才を、受け継いたスピルバーグをもっともっと見ていたい作品でした。
ある監督との会話の中、絵が未知との遭遇を匂わす。
スピルバーグの映画がもっと見たい!
映画バカ
スピルバーグ自伝的作品ということ。
昔でいう映画バカってやつだよね。そうじゃないと務まる職業でもないってこと。どこまでリアルかはわからないけど、鵜呑みにしたとすると母あって・父あって妹たちがいる、そして親父のパートナーでお袋の不倫相手がいる複雑な環境下と持って生まれたセンスが融合してんだろうね。
子供なのに仲間集めて映画作れるなんて、求心力あっての才能なんだろう。
作品を振り返ると本当に多種多様な作品作りでやっぱ天才だよね。
最後のジョン・フォード監督との地平線の話、演じてるのがデビッド・リンチ。ラストシーンに監督との話を持ってきてアングルを直す。最後まで見せ場作ってて、観ている人を喜ばせようする映画人。
2時間半楽しませてもらいました。
夢のある、ファンタジーのようだけど現実
映画としての脚色はあるんだろうなと思うが
あぁ、こうやってあの作品たちは生まれてきたんだろうな
と思わせてくれた。
小さい頃に何かに心を奪われ
それを、変わらずに愛し続け
自らのものにする
というのは、誰にでもできることではない。
ただ、そういう稀有な存在があるから、世の中は面白くなっていくのかもしれない。
ファンタジーなんだけど、現実なんだと思うと素敵な世界。
ただ、ちょっと長かったのと少し単調。
2023 100本目
興行を度外視した、スピルバーグ自身の伝記?
思い出映画です。
作品はつまらないわけではないが、年齢層高めかつスピルバーグファンしかウケないかなと思います。
この映画を通してですが、スピルバーグの非凡な才能を知ることができました
スピルバーグが人生を振り返るとき
スピルバーグも、自らの人生を振り返る歳になったんだな。『フェイブルマンズ』それでも映画人の悲しさ、自らの素材さえドラマにしてしまう。事実はどうあれ、一人の大監督の自伝捉え、鑑賞するのも一考。映画の輝いていた時代を生きた最後の監督とともに。
前半は、つまらないドラマ、後半で帳尻を合わす。
スピルバーグの自伝的作品。
アリゾナでの幼少期から、ロスに移る青年期と映画界を目指すまでを描いています。
前半、アリゾナのお話は退屈で、安っぽいメロドラマ風。
スピルバーグも鈍ったな、なんて思ってしまうのですが。
後半で、帳尻を合わしてくるあたり流石。
映画作りでいうと、オーソドックスなタイプになるのかな。
ドラマを作り込むタイプ。
その分現実感がなく、作り物感が漂う画面。
あまりにも、メークのきっちりした母親に、生活感がでてこない。
出来すぎた家庭も父親像も、不自然だ。
それでいて、後半で一気にドラマを仕上げてくるのは、流石職人技と唸らせる。
ユダヤ系という複雑さ
スピルバーグの家庭である。
日本にいると、よくわからない概念だけど、欧米ではそうではないことを、改めて感じさせる。
アリゾナでの生活では、ユダヤ系ということで差別は受けない。
ロスに移り住んで、ハイスクールでの差別は、強烈だ。
同じアメリカかと思ってしまう。
ロスでは、アリゾナほどユダヤ系が多くないのだろう。
同級生の言葉が、きつい。
「イエス・キリストを殺したのはユダヤ人だろう」
確かにそうなんだけど、イエスがユダヤ人のマリアから生まれ、ユダヤの系図であることも事実。
ここは、反ユダヤ主義の影響と見るべきだろうか。
おそらく、ロスでは、ユダヤ人は少数派なんだろうな。
知的レベルと高学歴、財政的にも恵まれた家庭の多い、ユダヤ系。
やっかみや、嫉妬を受ける要素は、多分にある。
スピルバーグが、人生を振り返るとき
もうそんな歳に、なったのですね。
映画界に入る辺りで、物語は終わっている。
この後の続編は、できるのだろうか。
今までの、スピルバーグ作品を見てきて、この作品も、その制作方法に変わりがない。
いかにもオーソドックスな、ドラマの展開だ。
あれだけの大作、ヒット作を生み出した人に、これ以上新しいものを求めるのは、酷だろう。
その作品も、メソッドも古典の範疇に入ってきているとも感じてしまう。
時は流れる、時代は、変化するとしみじみ感じてしまう。
監督を演じる監督
は、凄いキャスティング。一見の価値。
コンピュータ技師とピアニストの子が映画に
夢中になる。
子供時代のエピソードはとても楽しい。
転居後の試練。
家庭と学校。
一方の悲劇はビデオ撮影から、他方の救済も
ビデオ撮影から。
映像の魔力から離れられない人生、ってことか。
本人に関するエピソードがもっとあるか、と思った。
スピルバーグのつくりかた
スピルバーグ自身が描く、いわば“スピルバーグのつくりかた”。
原案はスピルバーグの妹のアンスピルバーグによって書かれたもので2000年よりも以前から構想されていたそうだ。
ただし逸話には両親に対する批判的な視点が含まれていたため、それによって両親が傷つくのをおそれて映画化しなかったらしい。
反面、スピルバーグの両親は家族の映画をつくれと亡くなるまでしつこくスピルバーグにせまっていた──とスピルバーグは語っている。
(スピルバーグの母親は2017年に、父親は2020年に亡くなった。)
これを見るとスピルバーグの原点がセシルBデミルの地球最大のショーにおける電車と車の衝突シーンだということがわかる。
それからというものサミー少年は劇的な光景をフィルムにおさめることに腐心するようになった。
が、成長につれ彼にも浮き世の災厄が降りかかってくる。
フェイブルマンズ家は華やかでやんちゃな母親を中心にして、その周りにおとなしい父と陽気な叔父と常識的な妹たちと自分がいる。
簡素化して言うと、そんな環境下で育った映画オタクがユダヤ人蔑視と両親の離婚を通過することで私(スピルバーグ)ができました──とこの映画は言っている。
複雑な人間感情や悲しみを知らなければ何かをつくることはできない。スピルバーグは思い通りにならない人生経験を積んできた技術者だ。それがよくわかる。
個人的なレビューの方向として、外国映画をほめるために日本映画をけなす──ということをするので、それに従って言うが、日本映画界で第一義用語となっている「天才」がThe Fabelmansを見ると映画監督にまったく関係のないパラメータだということがよくわかる。
これは普通に考えて、いささかも特別な話ではなく、世間知らずの教員や政治家や学者に「働け」と指導をするのと同じようなものだ。
芸道の基本は職人としての経験値であり、物語作者としての基本は人生の経験値である。天才という謳いが映画にとってどれほどばかげたセールスポイントかきっとおわかりいただけることだろう。
The Fabelmansはずっと技術畑で生きてきたいじめられっ子のユダヤ人が悲喜こもごもを体験することでじぶん(スピルバーグ)がいかにつくられたかを語っている。
絶対の説得力だった。
For Dad
巨匠の半生をつづる、と聞くと埃っぽいお話かと思いきや、新人監督のデビュー作のようにフレッシュだった!
そして心に残るのは、サミーの父の姿。
封筒で写真が届くシーンは、自分が過去に観てきた映画の中で最も悲しいものだった。
なぜか真綿がちぎられるような痛みを私は感じた。映画館では一滴も涙なんて出なかったのに、夜ふとんの中でめちゃくちゃ泣いてしまったw
起こったことにはすべて意味がある、確かに。即ちスクリーンに映っているものは全て意図されているのだと明かされた訳なのだが、何故最後に、あんな酷い仕打ちを母にさせたのか。
あの写真、本当に素敵だった。あれで良かったんだよ。でもね。
子供にわからないようにナイショ言葉で妻と話すウイットはあるし、そりゃちょっと科学者らしく凝り固まったところもあったけど、家族を放棄するとかそんな父親ではなかった。
振り返ってみるとこの父が一番与え、失い、受難の日々を過ごしたのではないかと思う。
新居でのおどけた仕草も…彼はベニーになりたかったのかも知れない。それを記録してしまう映像の、ある種の残酷さよ。
人生には泥の海を行くような、自分の力ではどうにも抗えないことが必ず起きる。
そんな時、どうやって自分を保っていくか…父の姿にサミーも学んだことだろう。
そして後に、ウエストサイドの朝日とあのシンフォニーが捧げられることになる、その人のことを私も折りに触れ思い出すだろう。
なぜ私達はスピルバーグ監督の作品が好きなのか、ちょっとヒントがもらえるような、軽やかな鑑賞後の気分でした。
フェイブルマン家の人々
映画ファンの誰もが知っていて、その作品の多くが
を愛されている
世界で一番有名な監督・スティーヴン・スピルバーグの自伝映画。
始めて映画観た映画に取り憑かれて、8ミリフィルム撮影に熱中した
子供時代。
芸術家のお母さん(ミシェル・ウィリアムズ)
科学者のお父さん(ポール・ダノ)の風変わりだけど、
素敵な家族の長男に生まれたのサム。
お母さんはちょっと風変わりだけど、楽しい仲良し家族の中で、
最初の映画を観た日から、映画作りに熱中して70年。
今日に至るのです。
スピルバーグが78歳だったなんて!!
いつも若いとばかり思っていた。
この映画を観て実は2つの点に注目しました。
1つ、
カメラには思いがけない光景が写ってしまうことがある。
2つ、
映像作家は対象が個人的に好きか嫌いかは、関係なく、
光輝いてる対象や美しい人物、面白い映像を写してしまう。
1つ目の例は、
サムはホームビデオの編集をしていて、あることに気づく。
父親の助手で親友でほとんど同居人の
ペニー(セス・ローゲン)と母親のラブシーンが映り込んでいたのだ。
この事件にショックを受けたサム(ガブリエル・ラベル)は、
大好きだった映画作りから離れる事になる。
2の目の例は、
落ち込んでいるサムにガールフレンドのクローディアは
ハイスクールの「おサボり日」の記録映画を撮ることを提案する。
「おサボり日」とは卒業学年が授業をサボってビーチで遊ぶ日のこと。
仕方なく撮影するサムだったが・・・
サムがユダヤ人で小柄で非力な所を見て、酷いイジメ行為をするローガン。
高校一のモテ男でバスケットボールのスターのローガン(サム・レヒナー)
ローガンを疎ましく思いながらもサムの記録映画は、
ローガンの動きばかりを追い、
まるでローガンのプロモーション・ビデオのようになってしまう。
美しさをレンズはとらえずにはいられない。
スターの眩しさを映像で表現せずにはいられないのが映像作家の宿命なのか?
しかし脚光を浴びた形のローガンは、喜びより苦悩の表情を
覗かせて悔しがる。
スター性を持つものには持つもので、神に選ばれ者の苦悩や重荷がある事を
サムは知るのだった。
それとともにサムにはクラスメートや教師(みんな)を喜ばせるのが好き!!
昔から人の喜ぶ顔が好きだったのだろう!
この2つから、映像のマジックと、対象への抗い難い愛(欲望)
相反する魅力に畏れとともにサムは映画に魅せられていく。
そして天才の夫を持つ妻の苦悩・・・両親の離婚。
そしてユダヤ人と虐められた辛い過去。
も、同時に描かれる。
プロの監督になったスピルバーグが、
過去にはこんなトラウマ的な経験をしていた。
大学に馴染めない彼は映画スタジオに手紙を書きまくる。
その一つがプロデューサーの目に留まる。
そしてスタジオを訪れた彼はなんと心から尊敬する「ある人」に
合わせてもらうのだ。
そして貴重な貴重なアドバイスを貰う。
「ある人」を演じたのが、デヴィッド・リンチ監督とは?
すっかり縮んで小さくなってて皺くちゃで、とてもショックでした。
でも「ある人」の晩年の写真を見たらそっくり。
(似せていたんですね!)
(ラストですから是非ご自分の眼でアドバイスを確かめてね)
モヤ
スピルバーグからみたら、
お父さんを捨てても、それでも好きで、
自分の一番の理解者だから大好きで、
それは、血の繋がりもあるだろうし、
母は強しな部分もあるだろうし...
でも、個人的に、このお母さん、あまり好きじゃないかな。
だから、ずーっとモヤっとしてた...。
映画監督になった流れとしては、面白かった。
やっぱり太陽の帝国が好き
スピルバーグといえばSFでの評価、イメージが強そうだが、この人ほど心に響く人間ドラマを描けるのはそういないと思っている。地獄の脱出から太陽の帝国まで。あっという間だった。スピルバーグといえばカラーパープルだとか太陽の帝国に想いを馳せる理由が少し見えてくる気がする。
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