フェイブルマンズのレビュー・感想・評価
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スピルバーグ監督の見事な手さばきの映画、心地良い面白さ
(完全ネタバレですので鑑賞後にお読み下さい)
この映画はスティーブン・スピルバーグ監督の自伝的なストーリーだということのようですが、スピルバーグ監督の見事な手さばきの映画だと思われました。
個人的には以下3点にその見事さがあるように思われました。
1点目は、それぞれのシーンでの生き生きとした登場人物たちの演技だったと思われます。
監督の演出は、主人公のサミー・フェイブルマン(ガブリエル・ラベルさん)による、劇中のナチスとの戦いの戦争映画の撮影現場で、味方が全滅した後の上官の感情を演出する場面でも表現されていたと思われましたが、とにかくどの登場人物も魅力的に映画の中で存在していたと思われます。
それは主人公のサミー・フェイブルマン(幼少時代含む)だけでなく、特に母のミッツィ(ミシェル・ウィリアムズさん)や、妹たちのレジー(ジュリア・バターズさん)・ナタリー(キーリー・カルステンさん)・リサ(ソフィア・コペラさん)(幼少時代含めて)、祖母のハダサー(ジーニー・バーリンさん)、ボリス伯父さん(ジャド・ハーシュさん)など、登場人物の魅力的な演技が輝いていたと思われます。
(父のバート(ポール・ダノさん)は控えめな人物で、また違った魅力がありましたが)
2点目は、人間の矛盾を深く理解して描いていたところだと思われました。
この映画『フェイブルマンズ』は、幼少時の主人公のサミーに母のミッツィと父のバートが映画がいかに美しく素晴らしいか暗闇が怖くないと説かれている場面から始まります。
しかしこの時に幼少時の主人公のサミーが見た映画の『地上最大のショウ』は、特に子供にとっては美しさや怖くないとは真逆の、列車が車と衝突して大脱線事故が繰り広げられる悲惨でショッキングな内容でした。
しかしサミー少年は逆にこの列車事故の映像に魅了され、映画作りのきっかけになって行きます。
ここにも人間の矛盾が描かれていたと思われます。
この人間の矛盾を描いている場面は、ベニー・ローウィ(セス・ローゲンさん)と主人公のサミーとのエピソードでも描かれていたと思われました。
後に、父バートと母ミッツィとの親友であるベニーが、母ミッツィと父を裏切る行為をしていたと、サミーがキャンプのフィルムを編集している時に気がつきます。
サミーの家族がベニーと別れてカリフォルニアに行く直前に、ベニーはサミーに高価なフィルムカメラを餞別にプレゼントします。
しかしベニーが母ミッツィと、父バートや家族への裏切りをしたと思っているサミーは、ベニーからのカメラのプレゼントの受け取りを拒否します。
ベニーは何度もカメラを持って行くようにとサミーに伝え、根負けしたサミーはその時自分のそれまで持っていたカメラを売って得たお金の全てを渡してベニーが渡して来たカメラと交換します。
しかしベニーはマジックのごとく別れ際にサミーの上着のポケットにお金を返して、サミーに映画を撮ることを辞めるなと言って立ち去って行きます。
このベニーが餞別にサミーにカメラを渡す場面は、彼の親友であるサミーの父やサミーの家族を裏切った人物を、サミーにとっての全面的な悪として描かず、矛盾ある魅力的な人物としてベニーを表現していたと思われます。
サミーはカリフォルニアに行った後で、反ユダヤのローガン(サム・レヒナーさん)などから高校でいじめに遭います。
しかし後にサミーが撮影した高校卒業間近のビーチパーティーの記録映画の中で、反ユダヤのローガンは輝いて映画の中に映っていました。
サミーは反ユダヤのクソであっても、映画はその人物の魅力を映してしまうことをローガンに伝えます。
ただローガンは、映画に映っていたのはステレオタイプの理想のそして自分にとっては軽薄な人物で、自分はあんな人間ではないと涙します。
ここでも、サミーにとって反ユダヤの憎むべき人物であっても、人間の矛盾を深く理解した上での人物描写がされていたと思われました。
最後に3点目は、スピルバーグ監督による並行したエピソードの巧みな構築にあったと思われます。
この映画は例えば映画制作の素晴らしさを描いただけの作品ではないと思われます。
この映画は、家族の物語であり、映画制作の話であり、反ユダヤをめぐる話などであったと言えます。
それぞれの細かいエピソードも含めて、頭から最後まで1つのテーマで描かれた作品では実はなかったと思われました。
ただそれぞれのエピソードが並行して描かれ、それぞれがダブって描かれているので、エピソードは様々であるのに断片的やぶつ切りに思われず、151分の長い作品でありながらまだまだ続きを見ていたい面白い映画になっていたと思われました。
また、よく考えれば私達の人生も、それぞれの問題が解決されないまま並行して進んでいるのだと改めて思わされる映画になっていたと思われます。
この並行したエピソードをダブらせて巧みに描く構築は、スピルバーグ監督の見事な手さばきだからこそ可能になっていると思われました。
以上の、
1.登場人物のそれぞれ輝く魅力
2.人間の矛盾に対する深い洞察と理解による描写
3.並行したエピソードを巧みにダブらせて配置する構成
によって、この映画『フェイブルマンズ』は見事な作品に仕上がっていると、僭越ながら思われました。
もちろんこの映画は大きな1つのテーマで描かれている作品ではないとは思われます。
なので大傑作大感動の映画とはまた違った作品だとは一方では思われました。
ただ万人に向けてお勧め出来る、素敵で素晴らしい作品であったこともまた事実だと思われました。
時に分かり易く、時に分かり難く
これを書いてる現時点の明日がアカデミー賞の授賞式で、作品賞の候補作は10本中の7本を鑑賞しましたが個人的な希望としては本作になれば良いかなと思っています。
本作が一番の傑作という意味合いではなく、アカデミー賞に一番似合う作品という個人的な勝手なイメージでの推薦です。でも、流石スピルバーグの作品だと思いましたし、彼の集大成に相応しい作品になっていたと思いました。
本作は自伝ということで勿論本人の物語ではありますが、他に映画について、家族について、人生についての物語が同じ比重で成立しているので、私の嫌いな偉人伝的要素は全くなく映画ファンとして実に興味深く観ることが出来ました。特に映画についての物語が、個人的には非常に面白かったです。
映画に限ったことではありませんが表現物には何にでも、真実と嘘とが表裏に重なり合っていて、表をだけを見せていても裏側も垣間見えたりその逆もあったりもする。母親やいじめっ子などの映像作品などで主人公が見せたかったもの見せたくなかったもの、作り手の意図する事と受け取り側の捉え方のギャップなど興味津々で鑑賞させられました。
まあ、この親にしてこの子有り、この環境にしてこの人生ありと頷きっぱなしの作品でした。
スピルバーグのデビュー当初は超娯楽作品ばかりでしたが(その後の人間ドラマも含め)その作品の全てに人間の持つ嘘と狂気が、時に表面的に時に隠され、時に分かり易く時に分かり難く描かれていたことが、本作によって納得させられた気がしました。
期待してたものと違う
映画少年が映画監督へ成長する話かと思ってたが、まるで違った。
親の離婚やいじめの話だった。あまり映画少年というピースは重要ではないように思った。例えばロック少年でも話は通じただろうし。
スピルバーグ本人の伝説をまま映画化した方が面白いんじゃないか?
いじめっ子をよいしょして映画の主役にして戦争映画を撮ったとか、スタジオに無断で電話線を引いて事務所を作ったとか、「ジョーズ」の撮影であまりになにもかもうまくゆかずノイローゼになったとか?そっちのエピソードの方が胸踊る気がする。
地平線
今回もスピルバーグの名人芸でした。
一言だけ。
最後のシーン、あの映画監督を、あの映画監督が演じていて、彼の言葉なのに、彼の映画の登場人物が言ってそうなセリフ。
そういうところも含めて映画への愛を表現した映画だとよく分かりました。
横綱相撲を思わせる圧倒的な「映画」
特別突飛なストーリーではなく、派手な絵作りをしてるわけでもない作品ですが、卓越した技術に支えられた厚みのある一本。
「何がすごいのか」を聞かれても答えにくいが、わずかな隙もない展開でいて、映画を撮ることの業を語りながら、要所要所でユーモアや感動を入れ込み楽しませてくれます。
これこそがハリウッド映画ですね。全盛期の貴乃花や白鵬のようや横綱相撲を思い出しました。しみじみと見て良かったと感じる作品でした。
何よりも茶目っ気すら感じるラストの締め方には唸らされます!
フィルムが映し出すものの表裏
自伝かー、スピルバーグかー、であんまり見る気がありませんでした。でもみなさんのレビューを読んだり色々考えて、「自伝」でなくて記憶を参考にしたフィクション映画なんだ!スピルバーグって誰どすか?と思えたら急に見る気が出てきたので見ました。面白かったです。沢山笑えて少し泣けた。
ママのミシェル・ウィリアムズが最初から最後まで素晴らしかった。衣装もヘアメイクもセリフも。自ずとからだが動いてダンスする姿、悲しかったり欠落感を感じて何もしたくない気分の彼女、割と雑な料理の仕方と盛り付け、完璧で優しい夫への愛、自分を完全に解放できないジレンマ、サティを弾く彼女、自分をリラックスさせて笑わせてくれる人が好きな彼女。全部に共感できた気がする。なぜテーブルクロスも皿も紙で、カトラリーはプラスチックなんだろう?と思ったけれど、食事終わったらぜーんぶ紙クロスで包んで捨てちゃえば食器洗いしなくてすむね!ピアニストだから手はとても大事です。当時はもう食洗機はあったと思うけど。真っ赤なマニキュア塗った長い爪でピアノ弾くのはないよなあ、と思ったら親友ベニーがまず物言い。その通りだ!奔放で笑うことが好きで自分の気持ちをすぐに言葉にしてしまうところも好き。
ポール・ダノはこの役のために少し太ったのかな?完璧に理系の優秀な技術者、子ども達の父親であり妻を疑いなく心から愛している夫を素晴らしく演じていた。ポール、いい!
サミーも可愛かったなあ。チェックのボタンダウン・シャツ見て思わずスピルバーグが脳裏に浮かんでしまったよ~!大人なのにこの人はずっとチェックのボタンダウンにキャップなんだな、と昔思ったから。
スピルバーグの映画で私が好きなのは、「カラー・パープル」「ターミナル」「ミュンヘン」です。
良かった! 特にラスト5分の名シーンは鳥肌もの!!
スティーブン・スピルバーグ監督の幼少期から映画監督を目指すまでを描いた味わい深いドラマ
昔から映画雑誌などで語られてきた、スピルバーグ監督の辛かった家庭事情とピーターパン症候群、ユダヤ系として経験してきたいじめの実態を背景にしていながらも作品自体は暗くならず、爽やかでエネルギッシュ、最後はとても前向きな気分になれる後味がいい作品、"このストーリーを語らずにキャリアを終えることはできない"として撮った監督の想いがひしひしと伝わってくる味わい深い名作として完成されています
映画に詳しくなくても多くの人がスピルバーグ監督の代表作 「ジョーズ」「未知との遭遇」「インディ・ジョーンズ シリーズ」「E.T.」「ジュラシック・パーク シリーズ」といった映画史上に燦然と輝く名だたる作品群を知っていて、SFファンタジー/アドベンチャー色が強いため、そっち方面の監督と思われているかもしれませんが、本人としては人間ドラマで大成したいと思ってきた人、
本作はその原点に迫ると共に人を描きたかった監督の愛情あふれる演出に感嘆します
監督を投影したサムを力強く演じたガブリエル・ラベルさん、苦悩する母親を演じたミシェル・ウィリアムズさん、二人の熱演が印象的
特にサムが8㎜カメラのファインダーを覗きこむ姿にワクワクしました
そして個人的に一番好きなシーン
スピルバーグ監督が本格的に映画監督を目指すきっかけとなったエピソードが描かれるラスト、サムが出会うのは当時既に大巨匠だった「駅馬車」「リバティ・バランスを射った男」「捜索者」などで有名なジョン・フォード監督、アイパッチに葉巻を燻らしものすごい剣幕でまくし立て、構図について二言三言、助言する僅か数分のシーンですが、その熱量の凄いこと・・・
全身鳥肌ものだったのと、身体中に力が入り、まさに"息をのむ"とはこのことだなと実感しました
そのフォード監督を演じたのは「ブルー・ベルベット」「デューン/砂の惑星(1984年)」のデヴィッド・リンチ監督、本編中は誰か分かりませんでしたがエンドクレジットで判りました
今は亡き超大物監督を現代の超大物が圧巻の演技で魅せる最高に粋な演出、間違いなくスピルバーグ監督の新たなる代表作として語り継がれることでしょう
個人的には本作の後、TVドラマ映画「激突!」で注目され「続・激突! カージャック」で劇場用長編映画監督デビューし続けて「ジョーズ」「未知との遭遇」・・・とヒット作を次々と世に送り出していく続編をいつか撮ってほしいとも思いました
おっ、今から面白くなりそうと思ったら
2023年劇場鑑賞52本目。
スピルバーグの自伝的作品とのことですが伝記映画ではないので果たしてどこまで実話なのかというところですね。
間違いないのはユダヤ人であるということと、映画づくりを子供の頃からしていたということなどですか。でもなぁ、スピルバーグが映画業界に入って頭角を現していくところが一番見たかったのにその手前で終わっちゃうんですよね。あれだけ長かったのに消化不良でした。
監督の家族の物語
スピルバーグ監督の幼少期から青年期を土台に作った物語だけど、期待したものと違ってた。
映画の魅力に取り憑かれた青年の物語かと期待したんだけど、
制作場面はところどころに出てくるんだけど、映画制作そのものより主人公とその家族がどう過ごしたかといったものになっててなんとなく掴みどころのない物語の様に感じた。
ところどころに監督の作品にインスパイアされる場面が出て来るところは映画好きには心をくすぐられる。
スピルバーグの、ってのなくていいくらい
想像してたのとまったく違ってた。「E.T.」の家庭に父親がいなく、母親がテンション高めで、妹がお父さんのことを言うと泣いたりするあたりがスピルバーグの子どもの頃に見ていた家族の姿だと思っていたが、もっとディープでした。そして母親と父親の間に起こった出来事。伝え聞いていたカメラを持った神童の姿もチョロチョロっと描かれるのだけど、そのカメラはもっと見てはいけない世界を捉えてしまっていた。
映画は偉人の伝記ではなく、むしろあまり見せたくないパーソナルな秘話。幼年期青春期に自分の手にシネカメラがありました、という少年の話で、虚構に魅せられる少年が、真実しか映さないカメラを通して映し取ってしまった真実に悩み、また真実だけど中身が映ってない、ということに悩むいじめっこがいたり、アメリカ映画といよりは、ヨーロッパのアート映画のテーマのよう。これ、スピルバーグの自伝、とかいう設定なく描いても良かったのではと思ってしまう。いや、フェイブルマンという名前にしてるくらいだから宣伝の仕方よりはその趣向ではあるのだろう。ただ、ラストシークエンスのあの巨匠の登場は問答無用に感動。そしてラストカットのゆらっ、はニンマリする。
イン・マイ・メモリー
映画監督の自伝的作品が続いているが、遂にこの監督が!
スティーヴン・スピルバーグ。
関心の程は『ROMA/ローマ』『ベルファスト』の比ではないだろう。
如何にして“映画監督スピルバーグ”は誕生したのか。どうやったら“映画監督スピルバーグ”になれるのか。
映画監督を目指す若者たちはこれを見れば、君も未来のスピルバーグ!
…に容易くなれる訳ない。
映画監督として成功出来るのは星の数の中からほんの一握り…なんて現実的な話ではなく、
本作は確かにスピルバーグが自身の少年時代をモデルにしているが、あくまでモデルであって、何もかもそのままという訳ではない。主人公の少年の名は“スティーヴン”ではなく“サミー”。性も“スピルバーグ”ではなく“フェイブルマン”。
大部分は生い立ちに沿っているようだが、これはスピルバーグの“記憶”の物語。
誰だって自分の幼少時の頃をはっきりとは覚えていまい。忘れていたり、朧気に覚えていたり…。
でも、何かしらに影響受けたり、いつぞやのあの時とか、人生を長いフィルムに例えるなら全てでなくともあるワンシーンワンシーンを鮮明に覚えていたり、記憶に残っている事がある。
それを反映させ、スピルバーグは自身の記憶の中に、我々を誘ってくれる。
また本作は、“映画監督スピルバーグ”が誕生する前の話。
映画ファンなら一度は耳にした事ある筈。ユニバーサル・スタジオに勝手に自分のオフィスを作って忍び込んでいたとか、『刑事コロンボ』などのTVドラマの演出をしていたとか。そしてあの“サメ映画”で時代の寵児に…など、それらのエピソードは描かれない。ここを見たかった人には期待外れで、『フェイブルマンズ2』を作って欲しいくらいだろう。
でも私は、本作の話にこそ興味惹かれた。すなわち、
映画に虜になった瞬間。
影響計り知れない家族との記憶。
スピルバーグの本当の原点の原点。
冒頭シーンが秀逸。ばっちり心掴まれる。
両親に連れられ、初めて映画を観る。
まだ6歳。ちょっとおっかながっている。
でも、いざ観たら…。初めて観た映画は、『地上最大のショウ』。
サミー(スピルバーグ)少年にとっては、映画。あなたが人生で好きになったものは何ですか…?
私の場合はやはり映画。初めて観た映画は確か、ゴジラ(『vsビオランテ』)かドラえもん(『アニマル惑星』)。映画好きのきっかけになったのは、ゴジラ。観ながらそんな事を思い出した。
サミーは父に買って貰った模型の列車で劇中の事故シーンを再現。母に買って貰った8㎜カメラでそのシーンを映し出す。
私はカメラを回したりはしなかったが、(またまた怪獣で申し訳ないが)怪獣のソフビ人形で対決シーンなんかを再現したもんだ。
それだけに留まらず、妹たちを出演させてカメラを回し続ける。
旅行や家族の転機時(引っ越しなど)もカメラを手離さず、ティーンになってからは友達らと映画撮影。
私はそこまでには至らなかったが、さすがは未来のスーパー監督。この行動力、実践力。
きっかけと目覚め、再現、自分もやり始める…。
誰しもそんな思い出はきっとある筈。サミーの姿に自分を重ね合わせられる。
それだけ聞くとノスタルジックでハートフルな作品と思う。
勿論そうでありつつ、ほろ苦さも。
本作は家族のドラマと言っていい。
フェイブルマン一家。サミー、母ミッツィ、父バート、3人の妹。
仲良しで幸せな家族である。個性も強い。特に母。
ピアニストで芸術家肌。自由奔放おおらかな性格で、感情表現も豊か。
一方の父は電気技師で技術者。真面目な性格。
息子の映画への目覚めに対し、反応は別。母は尊重するが、父はあくまで道楽としか思っていない。
仕事人間の父の転職で引っ越しを繰り返す。
好きだった地もあれば、嫌いな地も。カリフォルニアの高校ではユダヤ人であるが故にいじめに…。
差別や自身のルーツ、思春期のモヤモヤもさることながら、特に悩ましたのは家族の関係。
家族と父の同僚で親友ベニーとキャンプ旅行へ。ベニーとはほぼ家族のような付き合いで“おじさん”も同然。
楽しいバケーションを過ごし、サミーはカメラにその模様を収める。家に帰り編集している時…、ある事に気付く。
それは見たくなかった。信じたくなかった。でも…。
カメラは時としてショッキングな瞬間をも映し出してしまう。
サミーが見てしまったのは…、母とベニーの親密な関係。
母はベニーを愛しているのか…? 父と母は愛し合っていないのか…?
サミーの心に家族へ対しての疑念や凝り、わだかまりが燻り続ける。家族を愛しているからこそ、それは尚更。
やがて恐れていた事態。両親の離婚。
スピルバーグの両親の離婚は知ってる人は知っているだろう。母に育てられ、母子家庭の影響はスピルバーグの初期作品でよく見掛けられる。
と同時に、“父の不在”もスピルバーグの初期作品でよく見掛けられた。
スピルバーグの実父は家族を捨てて家を出たとされていたが、後年誤解であった事が分かり、和解。いつの頃からかスピルバーグの作品で父親の存在が大きくなった印象を受けた事があった。
スピルバーグの両親はすでに他界。居なくなって初めて気付き、知る事だってある。だから、今こそ描ける。
過去と両親への向き合い。
スピルバーグのプライベートとパーソナルな部分をまじまじと。
いつしか、これはスピルバーグの記憶だけではない。私たち自身を見ているとさえ感じ始めた。
2時間半超えのヒューマンドラマ。
それでも飽きさせない作りは、さすがはスピルバーグ。
8㎜カメラで撮影した映画。スピルバーグが少年時代から映画を撮影していたのは有名で、劇中の作品はそれらの“セルフリメイク”。
あの戦争映画(『地獄への脱出』)なんかは後々の『プライベート・ライアン』の片鱗も。
他にも後の作品を彷彿させる箇所や要素も所々に。
スピルバーグの分身とでも言うべきサミーを演じたガブリエル・ラベル。
自分の好きなものへ一心不乱に夢中になる姿、ティーン故の葛藤、複雑な心の機微…それらを見事に体現。
母ミシェル・ウィリアムズの存在感。スピルバーグ自身や作品に於いて如何に母親の存在が大きかったか充分納得させるほど。だから、悔やまれる。オスカーで主演女優ではなく助演女優でノミネートされていたら…。この実力派女優が遂にオスカーに王手を掛けていたかもしれない。(主演で推した配給会社のバカバカバカ!)
ポール・ダノも絶品の名演。好調続くこの演技派に、また一つ代表作が。オスカーノミネート落選は残念。と言うか、嘘でしょ??
代わりにノミネートされたのは、伯父役のジャド・ハーシュ。42年ぶりのノミネートは天晴れだが、噂に聞いた通り出番は少なく、勿論インパクト残すが、正直ダノがノミネートされて欲しかったかな…。
本作の演技賞ノミネートに関してはちと納得いかない点もあるが、名アンサンブルなのは紛れもない。
常連スタッフもスピルバーグの物語を強力フォロー。
音楽のジョン・ウィリアムズは今夏の『インディ・ジョーンズ』最新作で映画音楽からの引退を表明。(その後撤回したとも言われているが…)
もしそうなら、スピルバーグとのタッグは本作がラスト。長年のタッグで数々の名作と名曲を生んできた二人のフィナーレが、盟友の自伝的作品というのが感慨深い。
美しい音楽で彩る。
好きなものが自分を悩ます事もある。
サミーもそう。家族の秘密を目撃してしまい、少しの間カメラを回さなくなったのもそれが原因だろう。
でも、自分は何が好きか。何が取り柄か。何を手にしていたか。
やはり、映画だ。
またカメラを手に取る。回し始める。
映画の持つ力は本当に魔法だ。
サミーは好奇心は旺盛だが、何処にでもいる普通の少年。
そんな彼がカメラを手にした事により、家族や周囲の輪の中へ。
高校生活でもそう。いじめられていたが、あるイベントでカメラを回し、その上映会で皆を沸かせる。
いじめっことの関係に変化も。
映画は人々に影響を与え、世界を変える。
それは何も理想事ではなかった。自身の実体験からの現実事。
映画は夢であり、リアル。
だからこそ我々は映画に魅せられる。映画が好きで好きで堪らない。
母親のモットーとでも言うべき言葉。
“全ての出来事には意味がある”
ラストに登場するあの映画監督(演デヴィッド・リンチ!)。彼から掛けられた格言。
“地平線は真ん中にあるとつまらない”
スピルバーグが歩んできた光と陰はこうして集約した。
格言は人それぞれ解釈出来るだろう。構図や人生哲学にも通じる。
真ん中は平坦で退屈。上や下は山あり谷あり。酸いも甘いもあって映画=人生は面白い画になる。
史上最高の映画監督から頂いた言葉に、少年は思わず「ヒャッホー!」。
地平線を“上”に、新たな史上最高の映画監督の歩みはここに始まったのだ。
そして今へ続く。
カメラはありのままを写すが、映画は嘘をつく。
巨匠スピルバーグの自伝的映画と聞いて、結構身構えて観た訳だが、家族のドラマをメインに、同時に「映画」というものの本質をサラリと示して来る辺り、自伝映画にありがちな自己満足に陥る事なく、スピルバーグの映画への偏愛をしかと作品に投影させた秀作に仕上がっている。
カメラはそこにあるものをありのままを写してしまう。それを都合の良いものに変えてしまうことが出来るのが映画という芸術形態であり、それを母親の浮気で思い知る事になるその残酷さ。映画とは究極の印象操作であり、夢や素晴らしい可能性を見せる事も出来るし、不都合な事実を隠して嘘をつくことも出来る。その恐さを知ってもなお映画を作る決心をするラストが晴々としているのは、この青年が後に映画史に残る映像の魔術師となって、我々にたくさんの夢を届けてくれるのを知っているからだ。ジョン・フォードとの邂逅を経てのラストカットはニヤリとさせられる。
奔放に生きる母親をキュートで魅力的に演じたミシェル・ウィリアムズがなんとも素敵だし、優しい父親役を寂寥感を滲ませて演じるポール・ダノも印象的。若きスピルバーグを彷彿とさせるガブリエル・ラベルが思春期の心の揺れを巧みに表現し、この作品に説得力を持たせた演技も忘れがたい。
映画という光と影の魔力に取り憑かれた男の、今回もまた木目の細かい仕事ぶりが発揮された見事な作品。
「スピルバーグの自伝的作品」という看板が重荷になっていたかな
偶然なのか必然なのか分かりませんが、今年は映画史とか映画人に関する映画が続々と公開されています。1月には数々の映画音楽を手掛けた映画音楽作曲家であるエンニオ・モリコーネの業績をドキュメンタリーで描いた「モリコーネ」が、2月には1920年代、サイレント映画で隆盛を極めていたハリウッドをモチーフにした「バビロン」が、それぞれ日本で封切られました。そして今月は、映画界最大のヒットメーカーであるスティーブン・スピルバーグ監督の自伝的作品である、本作「フェイブルマンズ」が公開されました。映画好きとして、前2作と同様に内容に興味があると当時に、本年度のアカデミー賞候補ということもあって、取るものも取りあえず観に行きました。
まずスピルバーグの自伝ということでしたが、実際に本作で描かれているのは、彼が小学生時代から大学を中退して本格的にプロとして映画界に参入するまでの期間であり、名作の名場面がいくつも観られた「モリコーネ」のように、「E.T.」や「シンドラーのリスト」と言った、スピルバーグが製作した作品については全く触れられていませんでした。さらに、スピルバーグ本人の役どころとなるサミー・フェイブルマン少年が、実は主人公の立ち位置ではなかったということも、中々に衝撃でした。現に本作は、今年度アカデミー賞の7部門でノミネートされていますが、その内訳はと言えば、作品賞、監督賞のほか、サミーの母親役を演じたミシェル・ウィリアムズが主演女優賞、ボリス叔父さん役を演じたジャド・ハーシュが助演男優賞でノミネートとされている訳で、サミー(スピルバーグ)は主役じゃないのです。エンドロールでも、ミシェル・ウィリアムズがトップに出て来てましたからね。
確かに本作のストーリーも、サミー少年がいかにして映画に興味を持ち、どういう少年時代を送り、アマチュア時代にどんな映画を撮ったのかという一般的な意味での「自伝」の部分は、サイドストーリーに過ぎませんでした。メインテーマは、あくまで母と子の葛藤であり、母の身の振り方であり、サミーから見た母の心情の変化だったのであり、映画そのものを真正面から題材にした「モリコーネ」や「バビロン」とは、かなり性格を異にする作品でした。
その結果、若干肩透かしを食らった感もありましたが、映画界の巨人・スピルバーグの自伝としてではなく、母と子の物語として観れば、それなりに面白かったとは思います。ユダヤ系に対する差別が描かれている点などは、恐らくは現代のアメリカ社会にも通じる社会問題でしょうし、両親の離婚が子供に与える影響ということも、家族をテーマとする話として永遠のテーマでしょうし、何よりも母と子の葛藤や愛情物語というのも、これまた永遠に語られるべき話。こうした要素を考えると、「スピルバーグの自伝的作品」という看板が、むしろ本作の重荷になっているような気すらしたところです。
そんな訳で、「スピルバーグの自伝的作品」という看板がなければ評価は★4と言いたいところなのですが、あまりに重い看板であり、こちらの期待が別の部分にも行ってしまっていたということもあったので、評価は★3としたいと思います。
3.8) スピルバーグと出会い直す。
その幸福感に満ちた傑作だ。
ノスタルジー性を脇に追いやり、気が付けば映画という芸術の持つ「怖さ」が前面に顔を出す。
それでもorだからこそ自分は映画が好きなんだと改めて思う。
私の映画館デビューは父に連れられて観た『未知との遭遇』@新宿プラザ劇場。
少年には難しい内容だったが、私の映画原体験として強烈なインパクトを残した。
本作の冒頭シーンともオーバーラップする、そんな「スピルバーグっ子」の自分だが、正直ここ数年の作品をそれほど好きになれず、本作も期待と不安半々で鑑賞。『プライベートライアン』以来の大傑作じゃないか。
誰しもが持つ、子供時代の秘めておきたい部分。
それを美化することなく(映画として美しく撮りはするが)自己開示する度量の大きさにまずは敬意。そしてその開示は、たんにノスタルジーのためなどではなく「映画の本質」を観客と共有するため。という実に高次元な芸当をやってみせていることに驚嘆した。
映画は真実をばらし、嘘もつける。
少年サミーが最後にそこに気付くというのが、本作の根幹だった。
この気づきに辿り着くまで、彼の類まれなる才能が故に苦労を背負い込んでしまう。
憎きいじめっ子すら、本能的に美しく「撮ってしまう」皮肉。
そしてクローゼットの中で、サミーの母親が独りで観た作品も、ため息が出る程に美しかったに違いない(彼女の表情からそれが分る)。母の頭にこびり付くその残像があの悲しい決断の決定打になってしまったのかもしれない(だとすればなんという皮肉だろう)。
自分の宿命に気付いたサミーの表情が、少年から大人のそれへと変わる。
『E.T.』のラストシーンでエリオットが見せた凛々しさと同じだ。
そして「神からの祝福」を受けた、あのエピローグの何と素晴らしいこと!
あの後姿は70才を越えてなお前を向く巨匠そのものだった。
スピルバーグの過去作を見直そう。
きっと新たな発見があるはずだ。
もちろん新作が今から待ち遠しい。
映画監督って、やっぱ色々犠牲した上にあるイメージ
ざっくり言うと、サミーの映画監督までの道のりの序章
初めて見た映画に惹かれ、映画を撮ることに取り憑かれていく。家族は家族で少し不穏な感じが、次第に増えていく、、、。
様々な出会いや、想い、出来事が映画監督への道を形造っている。
実際の内容なのかな?そこら辺あんま調べてないので分からないが、リアルで少し辛い気持ちにかなりなる。
人生は選択の連続。映画監督って偏見だけど辛い現実とぶち当たる人ほどいい作品を作ると思う。
作品としてはいいと思う。
エブエブより断然こっちに軍配
スピルバーグが血液になっているくらい彼の映画を見てきたものにとってはアカデミー賞は昨年自伝映画ベルファストが残念だっただけに同じ監督自伝映画のこちらに最優秀作品賞をとってほしいと願う。
ラストが特に…もう最高すぎるでしょ!
やっぱ人生にとって映画って最高の宝物だ!
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