ホテル・ムンバイのレビュー・感想・評価
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久々にドキドキした・・・
この手の事実に基づいた映画は数あれど、これほど緊迫感がありドキドキさせられたのはベン・アフレックの「アルゴ」以来かも。「アルゴ」より若干エンタメに寄せてるかもしれないが、これは間違いではないと思うし、凄い映画を観た・・・これが素直な感想だ。
どこまで事実に忠実なのかは分からないが、この人は助かるだろうと思う人達も、いとも簡単に犠牲者になってしまう。生か死か、紙一重の選択による運命の分かれ道が目の前で繰り返す状況に、スクリーン越しの映画とは言えやりきれない感情が渦巻く。
映画として見ても、登場人物の背景や人柄を必要最低限できちんと伝え、実効犯達が黒幕に躍らされて犯行に及んでいるだろう状況もよく分かる。編集も素晴らしいの一言だ。
調べればこのオーストラリアの監督は、これが長編デビューとか・・・。
これからが非常に楽しみな監督だ。
しかしこのインドの出来事を、何故オーストラリアが映画化しようと思ったのか。
そしてこの映画を観たかもしれない犠牲者の遺族は、どのような気持ちなのだろうか。
勿論映画だから多少の脚色があるだろうが、そこを遺族はどう見るのだろうか。
そんな事を考えていたら映画は作れないのかもしれないが、少しでもこの映画が犠牲者や遺族に寄り添ったものであることを祈るばかりだ。
一級品のサスペンス(そして世界はまだテロを根絶できていない)
2008年にインドのムンバイで起きた同時多発テロ。中でも、テロリストに占拠された高級ホテル、タージマハル・パレス・ホテルに閉じ込められた客やホテルの従業員たちを描いた作品。
導入がまず巧みだ。
初めのテロが起こる。狙われたのは人混みでごった返す鉄道駅。そこでテロリストたちは(例えば声を上げるというような)何の前触れもなく、突然、銃を乱射し始める。
冒頭のこのシーンで、「テロリストたちは、文字通り虫けらのように、情け容赦なく人々を殺す連中」という印象を私たちに植え付けるのだ。
やがて、本作の主な舞台となるホテルにテロリストたちがやって来る。
ストーリーはホテルの従業員のアルジュンと、客であるアメリカ人建築家の一家(+ベビーシッター)を中心に描いて進む。
この映画は、ほぼホテルの中だけで物語が完結する「密室劇」だと言っていい。
本当は広いはずの、このホテル内の空間を、本作は実に分かりやすく扱っている。
事件の始まりでもあり、終結の場にもなったロビーの広い空間の使い方。ロビーからは四方に廊下が延びていて、隣に位置する廊下の先は死角となる構造になっている。この、「見えないすぐ向こうにテロリストがいるかも知れない」というサスペンスを、本作ではたびたび巧く使っている。
テロリストが客室フロアの廊下を歩き、片端から部屋を襲撃する横の移動。そして上下のフロア移動も巧みだ。
何度も描かれるテロリストと人質との、建物内での“追いかけっこ”や、アメリカ人建築家の夫婦やベビーシッター(夫婦の赤ちゃんと共にいる)が会えそうで会えない“すれ違い”もスリリングに描かれる。
設定もうまい。
アルジュンはシーク教徒で、彼らは外出時には頭にターバンを巻いている。
映画の冒頭で、彼がターバンをていねいに巻いているシーンが描かれるが、物語の中盤、このターバンを巡って人質となった老婦人とのやりとりがある。老婦人は彼のターバンにおびえていた。
アルジュンは彼らの宗教にとってのターバンの持つ意味を彼女に説明する。異なる宗教を持つ者に対する些細な無理解から来る不信と、そしてまた、その不信は対話によって克服できる、ということを描いている。
本作はイスラム急進派テロリストの非道な行動を描く。これは、異なる宗教への対立や嫌悪をあおりかねない。
だが、このシークエンスは、異教徒同士の対話による相互理解を表していて、残酷な状況下における人の温かな交流を描いていることが物語に厚みを与えている。
また、アメリカ人建築家の妻のザーラは、インド生まれのイスラム教徒だ。この設定も、本作に特別なスパイスを与えている。
彼女は同じように隠れている人質から、「あなたはテロリストの仲間ではないか?」と疑いの目を向けられる。
私たちにもある、宗教や言語による決めつけ。単純にイスラム教イコール、テロリストではない、ということを伝える。
このように感情移入する主人公側にシーク教徒、イスラム教徒を配することで、この映画は、観る者に対して、単純な二項対立構造を与えない工夫がなされているのだ。
また、この従業員側、客側を代表するダブル主人公それぞれで、親子のつながりが描かれる。この対比も見事だ。
国際ニュースにも取り上げられるような大きな事件、テロリスト側が掲げる宗教対立という大きなメッセージ。
しかし、個人にとって大切なのは身近な家族である。彼らにとっての事件の解決は、テロの制圧や犯人逮捕ではなく、子どもに再び会えることなのだ。
一方で、テロリストの1人が家族に電話をするシーンもある。彼はもう生きて家族と再会出来ないことを悟っていて、涙ながらに会話をする。
子どもと再会出来たアルジュンやザーラとは対照的だ。
テロリストは少年と呼んでもいいような若者たちである。人間そのものを武器とするようなテロのやり方の非道さ、そして理不尽さを伝えている。
ホテルの従業員、客はたびたび生死に関わる決断を迫られる。動くか、とどまるのか。自分の命、愛する人のため、他者のため、そして自身の正義のため、ギリギリの選択を下すシーンにたびたび涙腺が緩む。
この事件が起きたのは2008年。それから10年以上が経ったが、世界はまだ、テロを根絶できていない。
その意味では本作は、過去の事件を扱ってはいるものの、私たちがいま生きるこの世界が舞台だとも言えるのだ。
そして、この映画のような極限状態において、人はどのように愛や思いやりを持ち、勇気や尊厳を示し、また、自分の責任を果たし得るのか?という人間ドラマとして描いた。
この点において、この映画は極めて現代的な作品なのだ。
緊張感の連続で、観客をまったく飽きさせることのない脚本も見事。
傑作である。
誰が何の為に。
実話を元にしたフィクションって、物足りなかったり、そんな事が起きていたのかと驚いてみたり。色々あると思いますが、これは本当にニュートラルだった。事実は小説より奇なり、ってのも無く。イスラム原理主義過激派側の描写にも、意外性は無く。実話の重みってのが、何故か希薄なのも気になったりして。
ホテルの方々の行動については、尊敬と感動しかありません。映画としては、いっそのこと、ギンギンに過剰演出してしまっても良かったんちゃう?
誰が何のために企てたのか、いまだに諸説が飛び交うムンバイの同時多発テロ事件。この事件は結果的に、イスラム過激諸派の勢力を増長させ、中東情勢を不安定に陥れだと言う見方も出来ます。アメリカ無しでは国家運営が成り立たないと言っても過言では無かった当時のパキスタンの関与を疑い、インド過激派やアメリカのネオコン勢力と考えるムキも有ります。
そんなこんなを考えつつも、人の命がこんなにも軽く奪われてしまう事件が後を絶たない事に暗澹たる気分になってしまいました。
凄惨な事件の全貌。名もなき者達の群像劇。
【賛否両論チェック】
賛:凄惨な事件の中で、それぞれの事情を抱えながら戦い続けた名もなき人々の姿に、思わず考えさせられる。
否:理不尽で無慈悲な殺害描写等が非常に多いので、苦手な人には不向き。
事件当日の様子が淡々と描かれ、無慈悲な犯人達により引き起こされた凶行に、まずは驚かされます。そしてそんな悲惨な現場の最前線で、愛する家族を必死に守ろうとする者や、ゲストを守るために命を賭けた従業員、そして犯人達の事情等、様々な人物の様々な真相が切り取られていく中で、恐ろしくも悲しい事件の全貌が明らかになっていくのが印象的です。
オベロイ料理長が、従業員達にゲストを助ける計画を指示しながらも、
「強制はしない。」
と伝えるシーンで、去る者と残る者それぞれの理由があるところなんかが、観ていて考えさせられました。
殺害シーンなんかは非常に多いので、苦手な人には向かないかも知れませんが、理不尽な暴力に屈しなかった名もなき人々の戦いの記録です。気になった方は是非。
カタルシスには欠ける
テロリストの前でみんな無力だなと思ったの。フィクションだったらさ、テロリスト一人に宿泊客が二〜三人で襲いかかって銃を奪って反撃とかありそうだけど、この映画、実話だからね、みんなやられちゃう。
職業倫理から自分の命を顧みずに残る従業員はすごいね。とはいえね、これ、逃げたって逃げ切れる保証はないんだよね。それに、逃げ切れたとして、もうホテルマンには戻れないよなあと思うと、残る選択しかなかったかも。
それで映画は進んで、事実ベースだからテロリストをやっつけることはないんだよね。そこは、カタルシスに欠けるけど、それは、しょうがないかな。
犯人も人間、そしてホテルスタッフの命がけの戦い
2008年に実際にインド、ムンバイのタージマハル・ホテルで起きたテロ事件をテーマにした映画。
ホテル内で死者100人以上と言う、本当に恐ろしい内容でした。
実行犯は皆大学生くらいの年齢で、パキスタンで特殊な訓練を受けたテロ部隊の少年兵。同時にCST駅やカフェなど、欧米人観光客の多い様々な場所を皆襲撃していき、一般の人は銃で無差別に撃たれて殺されていきます。
その容赦なさといったら…逃げる人を撃ち殺していく姿が、少年なのに、信念を抱く姿が怖かったです。
ただ、彼らを洗脳したブルと呼ばれる宣教者がいるのですが、未だ黒幕の彼が捕まっていないというのが、余計闇を感じます。少年たちはコマだったわけで、一方でその少年たちも家族へお金を贈ってもらえるという約束があってやっていた、ということもわかります。
また、当時の欧米人の、インド人に対する人種差別的な見方や理解のなさも描写されていて、このテロが起きた必然も感じるような内容でした…。ターバンを巻いているスタッフを嫌がるなど、あまりにも人を外見で判断しすぎだなあと。
そんな、いつ誰が殺されてもおかしくないのに、ホテルスタッフが、一生懸命お客様を命がけで守ろうとする姿は、本当に素晴らしかったです。インドのサービスって適当なイメージだったのですが、タージマハルホテルは最高級だからか、お客様に対する心遣いが素晴らしい様子も描かれていました。最後まで、どこが安全か、どうしたら皆が助かるか、考えて誘導していく姿、素晴らしいです。
ただ、最近のインド映画は、イスラム教が悪いことをした、的な映画が多すぎる気がします。この映画もだし、先日観たパドマーワト、最近上映していたケサリなど、どれもイスラム勢力から自分たちを守るストーリーばかり。モディ首相のヒンドゥー至上主義の影響が強い気がしました。これでインドがおかしな方向にいかなければいいなあと思います…。
なんで上映館が少ないかな〜
テロリスト物の映画としては緊迫感がありとても評価出来ます
ジョンマクレーンみたいなヒーロー不在ってのも良いですね
楽しかった〜!!と書きたいのですがテーマが重すぎますね…
ハリウッド映画みたいにスカッとはしませんが一見の価値ありですよ
観る人が観れば色々と思う事あると思います
イスラム過激派に抱く嫌悪感はハリウッド物よりもこういう映画の方が上ですね
惜しいのは上映館が少ない事!
こう言う映画こそもっと上映館を増やして多くの人に観てもらいたいですね
勇敢な者たちと悲惨な者たち
ムンバイはインドでは首都圏デリーに次ぐ大都市で、商業、金融の中心地だ。
それなのに、地元警察ではテロに対応できないという。映画の序盤で「警官たちは怯えている」といったニュースコメントも流れる。
テロ対策部隊はあるようだが、事件発生早々に隊長が銃撃戦で射殺されたため機能していない様だ。恐らくその程度の小規模な部隊だということなのだろう。
状況は、デリーからの制圧部隊到着を待つのみとなっている。
高級ホテルでお客を助けるために逃げなかった従業員たちの美談が報道された、実際の事件。
だがこの映画は、ホテル従業員だけにスポットを当てているのではなく、VIPを含む宿泊客たちが助け合う姿や決死の行動、軽装備で敵に立ち向かう地元警官の強い使命感も描き、さらに宗教の強制力を借りてテロリストに洗脳された若者の悲惨さも写し出している。
主人公のホテルマン・アルジュン(デブ・パテル)が出勤する様子を見せるイントロ部で、靴を落としてしまったことにアルジュンは気づかない。
これが物語に大きく作用するわけではないが、上司である料理長(アヌパム・カー)の従業員への厳しさと愛情深さの両方を見せるエピソードに繋がる。
また、高級ホテルの従業員たちは、現地の貧しい労働者階級だということを示してもいる。
そして、この料理長が過酷な状況でリーダーシップを発揮するのだが、そこでアルジュンを強く信頼していることが分かる。
若者たちが小さなボートで乗り付けた海岸から上陸して、タクシーに分乗する場面が坦々と写された後、ターミナル駅のトイレで彼らが武器を準備し始めると緊迫感が高まり、一気にスピード感を上げて大量虐殺へと進展していく。
Tシャツのようなラフな格好にマシンガンを携えたテロリストたちは、銃撃の訓練を受けていて容赦ない殺戮を実行していく。
彼らの行動原理は、神の教えを騙った首謀者によるマインドコントロールと、貧しい家族に支払われると約束された報酬にある。
その報酬が本当に支払われるのかと疑いが脳裏を過った時、生きて帰れないことを自覚している彼らの心の動揺は想像すらできない。
最も極限状態にあるのは、人質となった外国人宿泊客たちであり、頭に銃を突きつけられて客に電話しろと脅される女性従業員たちだ。目の前で同僚が頭を撃ち抜かれるのを見せられた恐怖を思うと胸が詰まる。
ホテル従業員は全員がホテルに残ったわけではない。家族のために逃げるという者に対して料理長は「謝るな」と言う。
残る決断をした従業員たちも、無防備だ。包丁や肉叩きを手にして身構えるコックたちの姿に勇気と同居する恐怖心が浮かぶ。
細かい描写が、活きている。
テロリストの根底に信仰心があるため、この映画には信仰についての見解を示すようなエピソードも挿入されている。
信仰自体は尊いもので、原理主義と言われる「狂信」が対立と憎しみを生むのだろう。そして、信仰心を利用した狂信者による洗脳こそが元凶なのだ。
この実行犯たちのような悲劇の若者を産み出さないために必要なのは、教育なのだろうと思う。
次々と展開していく地獄絵図はリアルで、恐ろしい。
一方で、VIP客(アーミー・ハマー)が赤ん坊救出に向かう場面や、ベビーシッター(ティルダ・コブハム・ハーヴェイ)が赤ん坊を抱いてクローゼットに隠れる場面などは、スリルあるエンターテイメントになっている。
監督のアンソニー・マラスはこれが長編デビュー作だという。
「ボーダー・ライン」のスタッフが集結したとの触れ込みだが、共同脚本も務めていて見事な作劇だ。
印象に残った映像やエピソードがいくつもあった。
しかし…、大勢の人が死ぬ映画だ。
クライマックスで、逃げ惑う人たちと追いかけるテロリストたちの中に突入した制圧部隊は、犯人と被害者を見分けられたのだろうかと心配になったりもした。
インドでも「お客様は神様です」と言うのだなぁ、と妙に感心も。
画的には、赤ん坊の母親を演じたナザニン・ボニアディがなんとも美しい。
テレビドラマ「HOMELAND」でCIAの女性工作員を演じていた女優さん。
だが、全編で最も堪えるべきは、赤ん坊を守り抜いたベビーシッターじゃないか!
良い映画でした!
インドの高級ホテルを舞台に、淡々と人を殺していくテロリストと彼らから隠れて逃げる裕福なホテル客、彼らを守り逃すホテルの従業員達をドラマチックに貧富の差のコントラストを上手く表現しながら描いた素晴らしい作品です。
いまだカースト制度の残るインドで、実話をもとに作られた映画です。
実話ベースの作品は最後のテロップで泣いてしまう、、
日本人にはテロの恐怖を想像するのは難しい
2008年のインド・ムンバイ同時多発テロでテロリストに占拠されたタージマハル・パレス・ホテルでの宿泊客を逃がすために、プロとしての誇りをかけてホテルに残ったホテルマンたちの話。
私自身が東日本大震災を体験しているので、この映画を観て感じたことは、日本はテロ事件が実際に経験した人が少ないので、「怖い」「恐怖」の実感がこの映画からどう感じるのかはそれぞれの方の感じ方が違ってくると思う作品でした。
震災に遭遇した時には、「恐怖」ではなく、初めての経験で「戸惑い」「不安」が強かったのが現実でしたから。追悼。
緊張感
この緊張感を保てる映画はそう無い。迷っている方は是非劇場で観ましょう
ターバンの伏線が良かった。
彼の必死さ、真剣さ、本気度が伝わります。
靴の件はダイハードを思い出し、どういう返歌があるのかを、心の隅で楽しみにしてました。。。
緊迫感が凄いです。 実際に銃を向けられる恐怖感とか想像出来ません。...
緊迫感が凄いです。
実際に銃を向けられる恐怖感とか想像出来ません。
いつ何処で起こってもおかしくないテロ事件、自分がその場にいたら、と考えずにはいられません。
史実ほど恐ろしいものはない
どこでも、いつでも、もしかしたら明日にでも我が身に降りかかるようなリアルな事件を目撃し、ただ緊張感で息をするのも忘れていた。
それだけこの映画のキャスト達や演出の世界に入り込んでしまい、決して楽しい物語では無いが、日本で言うなれば東日本大震災のように風化させてはならない重厚な作品だった。
ホテル従業員の精神が痛ましくも勇ましかった。
一つ言うなれば、赤ん坊のいる家族に焦点を当てすぎに感じたので、様々な宿泊客の心境も描いて欲しかった。
しかし、映画の尺を考えると脚本にも限界があるのだ感じてしまった。
誰もが生きたかった
助けたい
助かりたい
誰もが思っていた
終了間近だったけど観に行けて良かったです!ほとんどのシーン緊張状態が続き、精神的に疲弊していく過程がリアルだった。そして残酷で無慈悲なたくさんの死が横たえていた。ホテルマン達の決死の覚悟に涙と苦しさが合わさってなんともし難い胸に迫るものがあった。
最後のテロップが全てを語っている!
実話に基づくテロ事件を描いた傑作。ホテル従業員と宿泊客の様々な人間模様が、テロリスト達との緊迫した攻防の中でしっかり捉えられていて、これでもかと言う程の緊張感と悲壮感を味合わされた2時間だった。
テロに対する憤りを通り越して、事件の当事者の命懸けの必死の決断と行動に感情がシンクロして、見ていて苦しくなるほどだった。平和な日本では想像もできないテロの悲惨さについてしみじみ考えさせられた。あまりに辛くて重い作品だった。
感情移入とは微妙に違う【主客合一】とは?
感情移入ではない【主客合一】とは?
事実は小説より奇なり、
を超えて、
ファクトよりもクリエイト。
フィクションで事実を、
観客の胸の奥深くに差し込む。
その深さは報道やニュース、ドキュメンタリー作品(「ジェノサイド・ホテル」もフィクションだけど)よりも深い。
傑作・・って言えない。
感動・・って思えない。
良かった・・って喜べない。
演出の技術はかなり高い。
シナリオ→撮影→編集。
多くの登場人物の気持ちの動きが観たくなるようなサブプロットの編集の繋ぎ方も上手い。
アーミー・ハマーの行かないといけないから行く正義。
地元警察の行かなくてもいいのに行く正義。
ホテルスタッフの行く正義と行かない正義。
訓練された特殊部隊の将校もただの人、
ジョン・マクレーンは夢物語の正義。
(地元警察は行かなくていいというよりも、あの時点でテロリストの正体、人数、火力、訓練度等多くが未知数のまま、突入するのは無謀・・・でも行く!(この地元警察でメインプロットを引く事も可能だったはず、、))
それぞれの登場人物の行動と観客はシンクロしながら事件を見る。
そして、解釈は微妙に違うはず。
観客の主観と客観が、
シンクロする【主客合一】という行為。
その行為は感情移入とは微妙に異なるという事と、
感情移入は物語を追うのに必ずしも必要ではない、
シンクロしたくない登場人物とも主客合一は成立するのがわかりやすい作品でもある。
そして何よりもメインプロット。
この凄惨な実話を先に映画化した「ジェノサイド・ホテル」(フィクション作品)でも書いた。
エンタテインメントでハラハラドキドキの展開で魅せるには、時期尚早ではないか。
テロ発生→状況終了までをメインプロットにしてもいいのか⁈
事件に遭遇した人々を描くだけでも充分にドラマは成立するのではないか。
企画段階での周囲からの批判、製作サイドの内側での葛藤、なんとなく想像できる。
でもあえてフィクション、エンターテインメント。
その大きな理由のひとつは、
未だ逮捕されていない首謀者への怒りではないだろうか。
首謀者への怒り、
何故こんな被害を受けないといけないのか?
と、
何故こんな子供たちが加害者に?
テロリストの少年たちのエピソード。
水洗トイレに驚き、食べ残しのピザを貪る、
タトゥーも見た事ない、そして家族への電話。
◯◯にも三分の理と捉えるかどうかは観客次第。
ここは創作だろう。
ここでも【主客合一】は発生する。
決して少年たちの気持ちには賛同できない、
ただ、どこかで止められなかったのか等考える観客もいるかもしれない。
フィクションの効果を最大限に駆使して、
ドキュメンタリーよりも、
リアルな描写で観客の心を捉え、
エンターテイメントで世界中津々浦々まで作品を届けたいという製作サイドの狙いは一定の効果をあげているのではないだろうか。
テロとはこういうもの
社会的メッセージや正義や非難やサブストーリーとしてプライベートな物語があるわけではなく、ひたすら現実を映し出す恐ろしいとしか言いようのない映画だった。いたずらに怖がらせているわけでもないし、処刑のような惨たらしいシーンがある訳でもない。運の悪いことにその場に居合わせてしまったらという、限りなく有り得る状況がこの恐怖を産むのだと思う。
こんな経験はしたくもないが、テロにあうというのはこういうことなんだろう。危機意識くらいもつのは今のご時世、決して無駄では無いはずだ。
パニックにならない
諦めない
こんなことを漠然と思っただけだが、この実際にあった事件が、見終わったあとも、じわじわと胸を締め付けてくる。
平和な世の中を願わずにいられない
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