この世界の片隅にのレビュー・感想・評価
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「描く」ことへのこだわりが革新的な映像表現を生んだ
昭和の戦時の暮らしを描くアニメで、これほど新しい映像体験になるとは!郷愁、お涙頂戴のありがちな作品かと思いきや、当時を題材にした従来のアニメとは一線を画する傑作だ。
主人公すずは、描くことが大好きな女性。親に縁談を決められる時代、女性の自由意志がろくに認められない世界に、自分の存在を刻むかのように、目にしたものを絵に描く。すずが描く風景画は、時にアニメの中の実景を書き換える。その表現手法が新鮮だ。
小気味よい編集テンポも新味に貢献。市井の人々の生活を語るならゆるいペース配分もありだろう。だが、日常を淡々と、ごく短いカットで次々に描写を連ねる手法は、じっくりと共感することを拒むかのよう。しかし、物足りなさがあるからこそ、二度三度と観賞したくなる。
能年玲奈=のんの声の存在感も大きい。すずが「あまちゃん」のヒロインに通じる天然系キャラであることも、感情移入のしやすさに寄与している。
思い出すたびに涙が溢れてくる
戦争の悲惨さを訴える従来の映画とはまるで違う。えも言われぬ幸福感、温かさを抱きしめながら、ふとこれはラブレターなのではないかと思った。あの時代を生き、必死に日常を耐え忍んだ人たち。それは観客一人一人にとって決して他人などではなく、誰もが世代をさかのぼればすぐに当人たちへと辿り着く。物心ついた頃には既にシワクチャだったおじいちゃん、おばあちゃんたち。彼らが初々しい少年や少女だった頃のことをこれまで考えたこともなかった。どんな風に成長し、新婚を迎え、戦火の中でどれほど大切なものを失い、そして新たに生まれた生命にどれほど希望を得たのか。すずさんの心の機微はきっと多くの日本人に共通していただろう。私の祖父祖母もとうに亡くなってしまったが、もっと当人から話を聞いておけばよかったと心が苦しくなる。だからこそ、こうしてこの映画へ足が向いてしまう。すずさんに会いたくてたまらなくなる。何度でも、何度でも。
観た人に語らせる力の凄まじさよ。
泣いた映画がいい映画とは思わないが、この映画は泣かせの演出はほぼないのに文字通り洟をすすりながら観た。自分は映画から入って原作を読んでまた映画を観た。原作ファンが映画の改変について物申したくなるのもわかる気がしたし、監督が原作カットしたプロットをあの手この手で行間やエンドクレジットに仕込んできたこだわりもわかった。
自分は映画単体で傑作だと信じているし、原作ファンもてんでダメなシロモノだったらこんなに反論や検証で盛り上がったりしなかっただろう。自分が思うことは、とにかく素晴らしい原作があり、映像でしかできない表現で映画化し、自分を含めた受け取った観客が平静ではいられないものができたということ。
言葉を尽くしても二時間強に込められたディテールを解析し切ることはできないし、エモーショナルな衝撃を説明することは不可能。ただこれほど繰り返し観て考える価値がある映画もないと断言しておきたい。
庶民の戦争生活
今まで、親や祖父母から聞いていた、当時の話しをアニメ化といった印象、母方の祖父は日中戦争へ、帰還後、再召集、今度は帰って来れないと言っていた通りにパプアニューギニアで戦死、戦後、日中戦争から帰国した義理の祖父と再婚、祖母は戦時中、母を背負って熊谷空襲でB29の焼夷弾に追いかけられたと、父は昭和一桁生まれで軍需工場で働かされ勉強できなかった、芋ばかり食わされた、軍人には恩給があるのに働かされた学生には何の補償もないと、それでも田舎に帰省した際、世間話程度に子供に話すことはソフトで言えないこともあったかと、このアニメも同じ印象です。
史実は、もっと過酷であったと思います、家父長制、男尊女卑、徴兵制、映画でも少し、公娼、家に隷属されている嫁が公然と世間へ出るために国防婦人会へ、結果、自分たちの息子を戦争へ、隣組と共に横並びの組織故、言論統制の走狗に、軍に利用されたとはいえ、戦争協力の後ろめたさで戦後多くを語らない、学校で家庭で戦争協力に親子で意見が分かれれば家族の分断も、内に外に。本音を公言できない戦時中の重苦しい世界であっても前向きに生きる主人公に柔らかい優しさがいい。
のんさんの素晴らしい演技は、他の声優さん達の「先撮り」あってこその...
のんさんの素晴らしい演技は、他の声優さん達の「先撮り」あってこその「後日撮り」。役者さんみんなが素晴らしい!アクションとリアクションの引き上げ合いということが、もっと知られて欲しい。
【これがユーモア、地獄でも笑えるんだぜ】
やたら評判良いのは聞いていたから、あえて原作読まずに鑑賞しました。
見終えた時には「普通に良い映画だな~」くらいの感想で、すすり泣いてる人たちを後にさっさと帰りました。
帰り道、ちょっと待ってあれだけ大変な時代が舞台の映画で「普通に良い」ってなに?と考え込み、家に着いたときその尊さがようやくわかって、めまいがしました(遅)。
すずさんがごはん作るの失敗しても、あの一家は誰も怒らない。
仲間だから。
みんなで困って、みんなで考えて、みんなで直してみんなで笑う。
何がおきても。何が降りかかってきても。
そのしなやかさ、折れない強さ、尊さ。
嘆かない、責めない、引きずらない賢さ。
やさしさ。思いやり。やりすごす知恵。
ふっとココロの頭が下がります。
嫁いでから、すずさんは一枚も絵を完成させられない。
スケッチ帳も途中まで。周作さんの似顔絵も途中まで。
何かしらの理由で中断してしまう。
結果に届かずとも、成果を上げられずとも、日々の営みを淡々と続けていく彼女の生き方。
工場で図面を燃やす義父さん円太郎も、同じ覚悟を胸に抱いている。
以来、尊崇の念と即ピンとこなかった申し訳なさで、原作熟読し、Bru-rayも買って何度も見直し、原画展も行き、広島の友達にグッズを買ってきてもらい、などなど・・・。
こうのさんのファンになり、「平凡倶楽部」「さんさん緑」「長い道」をよく読み返しますw。
何か良い映画
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戦時中に広島育ちのド天然主人公は、結婚をして呉へ。
軍事拠点のため空襲は日常茶飯事の中、強く生きていた。
気の強い義姉が出戻りで同居していたが、それなりにうまくやってた。
しかし空襲の時に義姉の一人娘を連れた状態で爆撃を受ける。
これにより娘は死亡、主人公も右手首から先を失う。
そして義姉に辛く当たられ、広島に帰ることを決断、旦那に告げる。
しかし義姉は主人公に辛く当たった事を悪く思っていて、詫びる。
そして変な気を遣ったりせず身の振り方を決めるよう告げる。
こうして呉に残る主人公、そしてまもなく広島に原爆が落ちる。
やがて終戦し、主人公夫婦は広島を訪れ、孤児を連れ帰る。
こうして新しい生活が始まるのだった。
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劇場で見た。何を訴えたいのかが難しくてよく分からなかった。
でも戦争の悲惨さや恐ろしさ、人々の強い生きざまはよく分かった。
戦争をしてはいけないこと、現代人は恵まれていることが伝わる良い映画。
主人公は鈍くさくて、義姉の妹の死因にもそれは絡んでいる。
だから主人公も辛かっただろうし義姉の腹立ちもよく分かる。
でもそこが訴えたいことではなかったっぽい。
旦那も嫁を束縛せずに理解してくれるいい人で、主人公は救われている。
タイトルは「この世界の片隅に自分を見出してくれてありがとう」の意味で、
やはり旦那との愛情部分がメインテーマとなるのかな。
しかし能年の声が主人公のキャラとピッタリで顔が浮かんだ。
やっぱり表現力あるのかな、適役だったと思う。
テアトル新宿が大変なことになっていると聞き
劇場公開時鑑賞。「片渕須直監督?はて?」と最初は思ったが、『アリーテ姫』の監督と知り一気に前のめりになった。
当時は配給の東京テアトルさんの株価まで上がったりしてて。公開1ヶ月以上経って少しは落ち着いたかなと梅田に観に行ったら、考えが甘かったり。通常の興行状況ではあり得ない推移してましたよねえ。東宝の邦画と家族向けアニメしか上映しない地方の小規模劇場にすらかかったり、何もかも異例づくめの作品だった。
冒頭の船から陸に上がった場面でもう、非常に丁寧に作られているのが、私にですら見て取れる。銃撃場面の異様な迫力の音響に驚かされたり、夢の場面の特異な演出とか、原作の良さを引き出した上で、さらに上乗せしてくるのはいったいなんなんだろう。原作読んだり、デッキ持ってないのにBlue-rayソフト買って制作過程を見たり、知れば知るほどすごいという言葉しか出てこなくなる。
演者さんはみんな良いですが、サン役新谷真弓さんが好き。
く〜れ〜く〜れ〜。
「(さらにいくつもの)」が有れば、コチラはいらないかどうか…いらな...
「(さらにいくつもの)」が有れば、コチラはいらないかどうか…いらなくないです。
周作が愛した白木リンが登場するべきか否か…登場しなくても大丈夫です。
周作とすず二人への愛や切なさが白木リンの魅力でもあり、美しくも儚いその素敵なキャラクターを割愛した本作は、つまり完璧じゃないのか…完璧じゃなくても大丈夫です。
大人の恋愛をカットしたことでマイナスになったのか…むしろプラスです。
結局「(さらにいくつもの)」と、どちらが好きなんだ…両方好きです。
なぜ…スッキリしていて、ドロドロした恋愛モノ感が薄くて良いと思います。白木リン無しでも充分深くて味があって切なくて面白くて・・・戦艦大和のタッチも素敵ですし、径子や晴美もいて、ちゃんと感動するから大丈夫です。
やっとスクリーンで観れた!
8月6日に地元の公民館での上映会で鑑賞。数年前にテアトル梅田で観てから(もう一度映画館で観たいなぁ)と思っていたので、今回の上映会はとても嬉しかった。
初めて観た時、すずさんの右手が爆弾で吹っ飛んだ場面で大きな衝撃を受けたが、今回は落ち着いて観ることが出来た。
最後、お義姉さんがすず夫妻が連れてきた孤児に、亡くなった自分の娘の洋服を選んであげているシーンを観て、何だか救われた気がした。
できれば前情報なしで
戦争当時を描いたものではあるけれど
陰鬱としてはいない。
主人公すずのノンビリした性格によるモノで
それでずいぶん救われてもいるし、
彼女が知らない土地へ嫁いでも
可愛がられるのもよく分かる。
この作品では悲しい場面もあるけれど
泣き叫ぶ描写は少ない。
あの当時の人たちは、きっと、
悲しいことも、自分だけではないのだと
表に出すのも控えるようにし、
飲み込んで明るく目の前のことを必死に
こなしていたのだろう。
市井の人からみた戦争というものが
肌感覚で伝わってくる作品だった。
あのおもてなしには驚いたが・・・。
観に行く前にさんざん周りから
とにかく泣ける、涙が止まらない、と
言われてたせいなのか、
ホロリ程度はしたがそこまででは無かったなあと
期待はずれに思ってしまう面もあった。
作品はいいものなのに。
前情報あまり入れなかった方が良かったようにおもう。
もがれた白い手が 僕たちに向かって振られている
僕の娘は、この映画を見ながら泣き、
この映画を見ながら美大に通った。
田舎町に生まれて、すずさんと同じに絵が好きで、誰にも知られずに普通に生きて、うちの娘も大人になっていった。
恋をしたり、大人の男を知ったり、裁縫をしたり、料理したりしながら、彼女は、好きな絵筆と彫刻刀をその手で携えてこの先も生きていくのだろう。
誰の手ももがれることなく、世の娘たちよ、その手で恋をし、男を抱き、裁ちばさみを走らせ、小鍋を揺すっていてほしい。
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娘へ、
あなたのひいおばあちゃんは
空襲警報の中で台所で、子供たちに食べさせるためのぼた餅を作っていました。
ピューーっという爆弾の音に
「あれよ!あれよ!」と言いながらぼた餅を抱えて庭の防空壕に転がりこんできた人です。
片田舎で「ミル」という名の犬を可愛がっていた普通の女でした。
覚えていて下さい。
しんどいに決まっている
戦時中が舞台なのに、のんきだ。明るすぎる。という意見がある。ごもっともである。
私は戦争を経験したわけではないし、話や資料で見聞きしたことしかないが、それらは辛く暗く残酷で目も背けたくなるような史実であると教育されている。我々が知り得る第二次世界大戦はそういうものであり、画風も相まってか、ある意味マイルドな印象を受け、我々の知ってる戦争とはギャップを感じる。
というのも
すずさんと言ったら、能天気、ドジ、のろまでお人よし、ぼーっとしてて、絵が好きがゆえ必死さが感じられない。
しかし戦争はとても理不尽で平等に、懐いてた姪を殺し、好きと言ってくれた幼馴染を殺し、絵を描くための腕まで飛ばした。
絶望の淵、まさに悲しくてやりきれない。
能天気だがこれが窮地であることは分かる。
ドジだが、家に落ちた焼夷弾を身を挺して消さねばならぬ
のろまだが、鷺をこの修羅から少しでも遠くに逃がされねばならない、こんな人間のエゴに巻き込んでならない、と走る。
と行動させざる得ない状況にある
なんてしんどいんだろう、生きる希望が目の前で吹き消される感触、息も絶え絶えままならない。
でも、ただ生きねばならない。足がもつれても、前に歩き出さねばならない、しんどいに決まっているが生かされた、代わりに死んでいったたくさんの命があった。歴史にはされど重要視されない、しがない市民の、この映画がなければ知る由もない、この世界の片隅での物語だとおもう。
なんとたくましいのだろうと思う、途方もなく長い長い道の先で我々の生活があるだとしたら、すずさん、日本は平和になったよと。
どんなに呑気に暮らしていても完膚なきまでに潰す、好きな人を簡単に瞬殺する、どんな正義があっても戦争はよくない、絶対に。
岡田斗司夫め
岡田斗司夫が、あまりにこの作品を持ち上げるのでかなりハードルを上げて観てしまいました。良作と思いましたが岡田斗司夫があそこまで持ち上げる理由が分からなかったです。
派手な太平洋戦争の瞬間に日本の片隅の皆にも物語があるのはそうだろなっては思います。
強烈に人に勧めて見せようとまで思わなかったです。興味持って観てくれる人達が増えたら良いなって思います。
きれい事で描く戦争
『はだしのゲン』の後に見たが、ゲンが戦争をリアルに、そして当時の子供らの逞しさを忠実に描いているのに比べて
非常に生ぬるく、ほんわかしたムードで、戦争の悲惨さをオブラートに包んでしまった作品。
現代の人は、壮絶な現実をありのまま受け取る強さを持ち合わせてないのかもしれないと、あまりの高評価にそう思わずにいられない。
きれい事の上で頑張ってる姿に感動するらしいが、現実はそんなに甘くない。
ありのままの悲惨さ、壮絶さを受け入れて、初めて人は強くなれる。
他の方も書かれていたが、この映画は戦争がテーマではない。当時の女性の生活を描いたもの、それも甘くのんびりと、穏やかに描いただけ。
胸が打ち震えるような感動や、涙するところが『はだしのゲン』にはあったが、本作には全く感じられなかった。
星二つなのは、それでも飽きずに最後まで観ることができたので、エンタメとしては良く出来てるからである。
この世界の片隅から未来へ。
~さよなら興行~「テアトル梅田を彩った映画たち」にてリバイバル上映。片渕監督のトークイベント付き。
言わずと知れた近年のミニシアター界最大のヒット作です。公開時以来久々の鑑賞。戦時下の広島で日々工夫しながら暮らす普通の家族。しかし戦況が悪化していくにつれその普通が奪われてゆく。広島市から呉に嫁いだすずさんがあの日見たもの。
のんびりマイペースなすずさんにのんの声がピッタリです。戦争中でも人は食べて、寝て、恋もします。誰かとお喋りして、笑い合ったりします。
シンプルで優しい絵とは対照的にそこには間違いなく戦争があります。戦争によって失ったものは何も腕だけではありません。あの日の広島と長崎を忘れず伝え続けることは未来への強いメッセージとなります。子供達にも、海外の人にも、そして今戦争を行っている国の人にも観て感じてほしいです。
~ここから脱線します~
この上映をもってテアトル梅田が32年の歴史に幕を下ろしました。上映後のトークイベントで片渕監督が「残念ながら映画館はなくなってしまうけど、こうして新しい出会いがある。映画は続いていく」っておっしゃっててとても素敵な言葉だと思いました。あの地下の小さな2つのシアターが大好きでした。
ようやくの鑑賞
これを観るとつらくなりそうでなかなか観れずにいましたが、丁度この時期、ようやく観ました。やはりつらくなるエピソードが多くて、簡単には感想を書くことができませんが、不条理で耐えがたい現実にあっても、力強く生きるすずさんに、僕自身救われた気がします。
絵を描くことが好きなところはとても共感を覚えました。
拡大版の方も鑑賞したいと思います。
1945年の生活
戦時中の1人の女性の生き方にフォーカスした話。
反戦だけではなく、昭和の家事・家庭内のいざこざ・食卓事情などなど。
苦境に対して主人公が前向きに取り組むので反戦映画100%ぽくなく見られる。
『この世界のさらにいくつもの片隅に』 の ネタバレである
原作と『夕凪の街 桜の国』を読んだ方は、このレビューを読んでいただければ幸いです。映画を見た方や物語を読んだ方の多くが、拾った子に付いて触れないので、僕はネタバレを覚悟で、あえて彼女に触れたいと思います。
さて、彼女の登場は戦死した父親の遺影の前で朝食を取るところから始まります。笑顔ではありませんが、黙々と美味しそうに、朝食を取っています。すると、ピカドーンと悪魔がやってきます。母は右手にガラス片が刺さり、関節あたりから、無くなっています。力尽きて、遺体が崩れ落ちます。このあと、少女はこの場を去るのですが、原作では『ごめんなさい』と言っております。アニメではそこがカットされています。やがて、広島駅にたどり着いて、おむすびを拾う場面に移りますが、おじいさんの息子の様な若者の遺灰(遺影)を、おじいさんが大事にしていると、少女は遺影を自分の父親と思って、おじいさんに近づきます。しかし、おじいさんは気味悪く思ったのか。『シッシッ』と少女を押しやろうどします。生き残った一般の人々に取っては、薄汚く、放射能に被爆した(伝染ると思われた)浮浪児に情けなんかかけてられないのです。そこがまるまるカットされていました。
さて、この少女ですが、被爆して何日間広島にいたのでしょう。彼女は母親と同様な障害を受けているはずです。りんの妹の紫の斑点で、問題が薄められていると思います。兎も角、同じ原作者の『夕凪の街 桜の国』を読んで貰えれば分かります。少女との出会いの頃の顔色が紫色なのが気になります。
これは、僕の独自の解釈であって、原作者の意図する事ではありません。
因みに、実写版『この世界の片隅に』では、この少女が80歳以上生きた事になっています。そっちの方であって貰いたいですよね。
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