ミシェル・フィリップス : ウィキペディア(Wikipedia)
ミシェル・フィリップス(Michelle Phillips、1944年6月4日 - )は、アメリカ合衆国の歌手・ソングライター・女優。1960年代の著名なグループであるママス&パパスのメンバー最年少だった。として名声を得た。
2025年1月現在、ママス&パパスのメンバー中、唯一の存命者であり、80歳の誕生日を迎えたメンバーである彼女がグループを追放されていた期間に在籍していた[[:en:en:Jill Gibson|ジル・ギブソン]]は除く、他の3人はいずれも30代から60代で死去した。。
来歴
前半生
フィリップス(出生名ホリー・ミシェル・ギリアム)は、カリフォルニア州ロングビーチで会計士の母親ジョイス・レオン(旧姓プール)と商船船員の父親ガードナー・バーネット・ギリアムの娘として生まれたMichelle Phillips Biography (1944-)。彼女は一時的に父親が復員兵援護法により大学に通ったメキシコシティで育った。
彼女はバンドを結成するずっと以前の1962年12月31日、18歳の時にジョン・フィリップスと結婚した。1968年には後にコーラスグループ、ウィルソン・フィリップスの創立メンバーとなる娘のチャイナ・フィリップスが生まれた。
ママス&パパス
ママス&パパスが結成された1965年から、フィリップスとメンバーのデニー・ドハーティの不倫関係は始まっていた。彼らは関係を長期間にわたり、他のメンバーであるジョンとキャス・エリオットに隠し通す事ができた。メキシコへの旅行中、ドハーティがエリオットにその事を打ち明けると、エリオットは激怒した。間もなくミシェルとドハーティの関係はジョンの知るところとなり、彼はバンドが共有する家からミシェルと共に去った"Dream a Little Dream", page 12 from Denny Doherty's website。
ジョンはすぐに妻のもとを去り、ドハーティと共に戻った。この頃から、彼女とバーズのジーン・クラークの不倫関係が始まった。彼女が前列のクラークにキスを贈ったコンサートの後、ジョンはもはや彼女と演奏するのは耐えられないと言った。弁護士のエイブ・ゾマーと彼らが所属していたレーベルであるダンヒル・レコードの双方に意見を聞き、グループは1966年6月にフィリップスを脱退させる公式な報告書を起草した。ダンヒル・レコードの社長でママス&パパスの最初のレコーディング・プロデューサーだったルー・アドラー(Lou Adler)の当時のガールフレンドで、シンガーソングライターのジル・ギブソン(Jill Gibson)が彼女の代役を務めた。ギブソンがバンドで活動した2ヵ月半分の報酬を一括で受け取ると同時に、フィリップスは8月の終りにグループに呼び戻された。バンドは彼女の復帰後も問題を抱え続けた。ママス&パパスは1971年にレコーディング契約のため短期間の再会を果たしたが、1968年7月には事実上解散していた。フィリップス夫妻は1970年に結局離婚した。
ミュージシャン
フィリップスはママス&パパスの楽曲中でも人気のあった「クリーク・アレー」(Creeque Alley)や「夢のカリフォルニア」などの共作者だった。1970年にはレナード・コーエンのツアーにバックコーラスとして同行した。同年、彼女は俳優のデニス・ホッパーと8日間だけ結婚した。この結婚について彼女はこう言っている。「デニス・ホッパーと私は8日間本当に結婚していました…私の人生において最も幸せな日々でした」。
1973年、ダーレン・ラヴとチアリーダーとして、チーチ&チョンのシングル「Basketball Jones」のボーカルをレコーディングした。この曲はビルボードのシングルチャートで15位まで登った。1975年、彼女はA&Mレコードとソロ・レコーディングの契約を結び、元夫のジョンと書いた宣伝用シングル「Aloha Louie」をリリースした。
1976年、初のソロシングルとなる映画『走れ走れ!救急車 (Mother, Jugs & Speed)』のサウンドトラック「No Love Today」を発売し、8月24日、テレビトーク番組の『マイク・ダグラス・ショー』で同曲を歌った。1977年にはジャック・ニッチェのプロデュースによるソロ・デビュー・アルバム『Victim of Romance』をA&Mレコードから発表した。同アルバムからカットされた2曲のシングルは、アメリカのヒットチャートを賑わす事はできなかった。同年、先夫のセカンド・ソロアルバム『Pay Pack & Follow』の1曲「Zulu Warrior」で、ジョンと最初の妻スーザン・アダムスの娘で女優のマッケンジー・フィリップス(Mackenzie Phillips)とバックコーラスを務めた。このアルバムは2001年になってようやくリリースされた。「Zulu Warrior」は2008年9月にリリースされた『Pussycat』にも1977年のオリジナル・ミックスバージョンが収録されている。
1979年、彼女はサーフィン映画『カリフォルニア・ドリーミング(California Dreaming)』ママス&パパスとは直接の関係はない。のサウンドトラック「Forever」をレコーディングした。1987年後半にはベリンダ・カーライルのLP『Heaven on Earth』、更にカーライル最大のヒット曲「Heaven Is a Place on Earth」でコーラスを務めた。
1998年1月12日、ママス&パパスがロックの殿堂入りを果たした。彼女は式典に出席して20年以上振りにドハーティ、ジョンと「夢のカリフォルニア」を歌ったキャス・エリオットは1974年7月29日に亡くなった。。ママス&パパスは2000年にはボーカル・グループの殿堂 (Vocal Group Hall of Fame) 入りも果たし、彼女はジョン不在でドハーティと歌った。
2001年3月18日、ジョンが病没。同月29日、フィリップスはカリフォルニア州ハリウッドのロキシー・シアター(Roxy Theatre)で催された追悼式典に出席し、ドハーティ、スコット・マッケンジー(Scott McKenzie)と2曲を生演奏した。他にはバリー・マクガイア、キングストン・トリオ(The Kingston Trio)のジョン・スチュアート (John Stewart)、マッケンジー・フィリップス、スパンキー・アンド・アワ・ギャング(Spanky & Our Gang)のスパンキー・マクファーレン、オーエン・エリオット=クーゲル、ビジュー・フィリップス(Bijou Phillips)ジョンと彼がミシェルの次に結婚した3人目の妻ジュヌヴィエーヴ・ウェイトの娘。、ショーン・レノン、タメルラン・フィリップスジョンとジュヌヴィエーヴの息子。などがライブ・パフォーマンスを披露した。ライブに参加しなかった300人の招待客の中にはルー・アドラーもいた。
女優
フィリップスは1970年代から女優の仕事を始めた。1971年、デニス・ホッパーが監督した『ラストムービー』に出演。1973年、『デリンジャー』に出演。1974年、マーティン・シーンと『カリフォルニア・キッド (The California Kid)』に出演。1977年、『バレンチノ』でルドルフ・ヌレエフと共演。フィリップスは大胆なヌードシーンを披露したが、ヌレエフと彼女の相性は最悪であり、ラブシーンの間、互いに平手打ちを喰らわせていたという噂がたった。
彼女は『スピン・シティ』や『新スタートレック』など多様なテレビドラマに数多くゲスト出演した。新スタートレックのエピソード「時のはざまに (We'll Always Have Paris)」では、ピカード艦長がかつて愛した女性を演じている。近年ではWB(ワーナー・ブラザース)テレビジョン・ネットワークのドラマシリーズ『7th Heaven』に2001年に1エピソード、2004年に2エピソード、リリー・ジャクソンキャサリン・ヒックス演じるアニー・ジャクソン・キャムデンの姉妹。役で出演した。
彼女は最近のテレビ視聴者には、プライムタイムドラマでの2人の性悪娘の母親役として最も広く知られている。『Knots Landing』には、後に『デスパレートな妻たち』に主演するニコレット・シェリダン演じるペイジ・マシスンの母親、アン・ウィンソトン・マシスン・サムナー役で1987年から93年にかけて数シーズン73エピソードに出演した。1997年のテレビ映画版『[[:en:Knots Landing: Back to the Cul-de-Sac|Knots Landing: Back to the Cul-de-Sac]]』でも再度同じ役を演じた。そして1997年から98年にかけてフォックス放送の『ビバリーヒルズ高校白書』でバレリー(ティファニー・ティーセン)の母親アビー・マローンを演じ、全く新しいファン層を獲得した。
私生活
フィリップスは1970年10月31日にデニス・ホッパーと結婚したが1週後に離婚を申請した。1978年にはラジオ局重役のロバート・バーチと結婚したが1980年に再び離婚した。彼女は1982年に第二子となる男児オースティン・ハインズを出産した。
1986年、彼女は自伝「California Dreamin': The True Story of the Mamas and the Papas」を出版したISBN 978-0446513081。元夫のジョンの自伝「Papa John」(ISBN 978-0385231206)の数週間後に出版された。。同書の中で彼女はママス&パパスのメンバーになったキャス・エリオットに初めて出会った時の出来事フィリップスが初めてLSDを試していて、ちょうど「効いてきた」瞬間に彼女がドアを開けた。、バンドが無一文になりアメリカに戻る飛行機代も無かった時にバハマのクラップス賭博に17連勝した事、彼女に未だに著作権使用料をもたらしている「夢のカリフォルニア」がどのようにして出来上がったか、それが彼女がこれまでに体験した「最高のモーニングコール」であった事共作者のジョンが書きかけの新曲の完成を手伝ってもらおうと、ニューヨークのホテルの部屋で眠っていた彼女を起こした。などについて書いている。
彼女は完全に直射日光を避け続けてきたのが要因の一つと思われる、若々しい外見で有名である。2007年1月19日のドハーティの死去により、彼女はママス&パパスのオリジナル・メンバーでただ一人の存命者となった。彼女はカナダのノバスコシア州ハリファックスで行なわれたドハーティの葬儀で歌った。
彼女は1969年8月9日にチャールズ・マンソン率いるカルト集団のメンバーに殺害されたシャロン・テート、アビゲイル・フォルジャー (Abigail Folger)、ジェイ・セブリング(Jay Sebring)、ヴォイテク・フリコフスキー (Wojciech Frykowski)と親友だった。2006年にヒストリーチャンネルの番組『Our Generation: Death of the Counterculture』におけるインタビューで、彼女は「この殺人について話すのは未だに辛い」と語っている。
著書
注釈
出典
外部リンク
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