鈴木清順
1923年東京生まれ。43年に学徒出陣でフィリピンに出征。終戦後の48年、旧制弘前高校を卒業し、松竹大船撮影所に入社して助監督になる。54年、日活に移籍。56年の「港の乾杯 勝利をわが手に」で監督デビューを果たす。当時は本名の鈴木清太郎を名乗っていたが、58年から「清順」名義で活動。63年の「野獣の青春」で才能を開花させ、「東京流れ者」や「けんかえれじい」(ともに66)といったアクション映画を数多く手がける。67年の「殺しの烙印」は当時としては先鋭的すぎる内容ゆえ、日活から専属契約を解除され、訴訟問題にまで発展した。和解後、77年の「悲愁物語」で復帰を果たす。80年の「ツィゴネルワイゼン」はベネチア国際映画祭で審査員特別賞を受賞。同作をはじめ、「陽炎座」(81)、「夢二」(91)は「浪漫3部作」と呼ばれる。スタイリッシュな独特の映像センスは「清順美学」と称され、国内外のフィルムメーカーに多大な影響を与えた。その他、俳優としてNHK連続テレビ小説「青春家族」(89)や映画「不夜城」(98)などに出演。17年2月13日、慢性閉塞性肺疾患のため他界。享年93歳だった。