ジャック・タチ
仏セーヌ=エ=オワーズ(現イヴリーヌ)出身。ロシア貴族タチシェフ家の末裔に生まれ育つ。パリのスポーツクラブで高い身体能力を発揮する一方、クラブの催しでパントマイムなどの才能を披露し、24歳のある日、役者の道に進むことを閃く。1931年、道化芸人タチとしてパリの人気者となり、短編コメディ映画「乱暴者を求む」(34)や「左側に気をつけろ」(36)などに出演。パリ占領中に疎開した村で撮影した短編「郵便配達の学校」(46)で監督デビューし、同作を原型とした長編監督・主演デビュー作「のんき大将 脱線の巻」(49)でベネチア国際映画祭の最優秀脚本賞を受賞した。タチの代表的キャラクター、ユロ氏が初登場した長編第2作「ぼくの伯父さんの休暇」(53)でアカデミー脚本賞の候補となる。以降、ユロ氏を主人公に据えて「ぼくの伯父さん」(58)や大作「プレイタイム」(67)を手がけるも、後者の赤字が元で破産(77年に債務は抹消)。「トラフィック」(71)に続く「パラード」(74)が最後の監督・主演作となった。その自由な映画作りとスケールで、末永く世界中で親しまれる稀有な喜劇王。82年、肺炎のため死去した。