ラウール・レヴィ : ウィキペディア(Wikipedia)
ラウール・J・レヴィ(Raoul J. Lévy、1922年4月14日 アントウェルペン - 1966年12月31日 サントロペ)は、フランスの映画プロデューサー、脚本家、映画監督である。
来歴・人物
1922年(大正13年)4月14日、ベルギー・アントウェルペンに生まれる。
1945年(昭和20年)、アメリカに渡り、RKOで製作助手を経験、メキシコでの撮影に参加。ヨーロッパに戻ってからは、アンソニー・マン監督やアラン・ドワン監督らのBムーヴィーを得意とするプロデューサーエドワード・スモールの欧州代理人をしていた。
1950年(昭和25年)、「イエナ・プロデュクション」社を設立、映画製作を開始した。
1955年(昭和30年)、第8回カンヌ国際映画祭でロジェ・ヴァディム監督とその妻で女優のブリジット・バルドーと出会い、『素直な悪女』の製作を決意。みずからの手でヴァディムのあたためていた脚本を書き換えて、当時の最新技術であるカラー映画、シネマスコープで翌1956年公開、アメリカナイズされたこの映画は大ヒットを記録する。当時まだ34歳であった若手プロデューサーの登場と成功が、ヌーヴェルヴァーグの作家が製作者サイドに注目されるための経済的根拠となった。
1962年(昭和37年)、クリスチャン=ジャック監督、アラン・ドロン主演で着手した70ミリ超大作『Marco Polo』は、その後、『荒野の七人』のホルスト・ブッフホルツに主役を交代、監督もドニス・ド・ラ・パテリエールに交代して、さらに共同監督としてニコラス・レイの超大作『北京の55日』(義和団の乱、1963年)のスペインロケを仕切ったB班監督ノエル・ハワードを招き、またレヴィみずからも一部演出に乗り出すという混乱を経て、『La fabuleuse aventure de Marco Polo (L'echequier de Dieu)』(邦題『マルコ・ポーロ 大冒険』)として1965年(昭和40年)8月6日、ようやくフランスを皮切りに公開するも惨敗、「イエナ・プロデュクション」社は破産した。
1965年(昭和40年)8月11日、『マルコ・ポーロ』公開の1週後にあたるこの日、初監督作『二人の殺し屋』を公開した。主演エディ・コンスタンティーヌ、撮影監督はラウール・クタールを初の起用。レヴィのプロデュース作品の撮影は、『素直な悪女』から『マルコ・ポーロ』まで、監督が変わっても例外なくアルマン・ティラールが支えて来たのだが『マルコ・ポーロ』をもって決別、「イエナ」社破産以降の本作を含む遺作に至る3作品では、いずれもクタールと組むこととなった。
1966年(昭和41年)8月20日、監督第二作『ザ・スパイ』が西ドイツ先行で公開。フランスは11月。主演に引っ張り出したモンゴメリー・クリフトは4年振りの映画出演であったが、クリフトにとって本作が遺作となった。音楽にはセルジュ・ゲンスブールを起用、ジャン=リュック・ゴダールが俳優としてノンクレジットで出演している。
同年12月31日、フランス・サントロペのホテルで拳銃自殺、死去した。満44歳没。
没後の1967年(昭和42年)3月17日、『野性の誘惑』のマリナ・ヴラディを主演に起用したレヴィ最後のプロデュース作、ゴダール『彼女について私が知っている二、三の事柄』がパリで公開された。本作には大きな役でレヴィは出演しており、彼の最後の姿を観ることができる。ゴダールがのちに発表した『ゴダールのマリア』(1984年)の原題(Je vous salue, Marie)は、レヴィの『二人の殺し屋』(Je vous salue, mafia !)のもじりである。またアラン・ドロンはみずから製作・主演の映画『ボルサリーノ』(1969年)をレヴィに捧げた。
フィルモグラフィー
監督
- 『二人の殺し屋』 Je vous salue, mafia ! 1965年 フランス・イタリア合作
- 『ザ・スパイ』 The Defector(L'Espion) 1966年 フランス・西ドイツ合作
脚本
- 『素直な悪女』 Et Dieu... créa la femme 1956年 - ロジェ・ヴァディム監督
- 『マルコ・ポーロ 大冒険』 La fabuleuse aventure de Marco Polo (L'echequier de Dieu) 1963年 - 1965年 - ドニス・ド・ラ・パテリエール / ノエル・ハワード監督、フランス・イタリア・ユーゴスラヴィア・アフガニスタン合作
- 『二人の殺し屋』 Je vous salue, mafia ! 1965年 監督作
- 『ザ・スパイ』 The Defector(L'Espion) 1966年 監督作
製作
- Identité judiciaire 1951年 - エルヴェ・ブロンベルジェ監督 ※第4回カンヌ国際映画祭コンペティション出品
- 『素直な悪女』 Et Dieu... créa la femme 1956年 - ロジェ・ヴァディム監督
- 『野性の誘惑』 La Sorcière 1956年 - アンドレ・ミシェル André Michel監督、マリナ・ヴラディ主演、フランス・イタリア・スウェーデン合作
- 『グランド・カナル 大運河』 Sait-on jamais 1957年 - ロジェ・ヴァディム監督
- 『月夜の宝石』 Les Bijoutiers du clair de lune 1958年 - ロジェ・ヴァディム監督
- 『可愛い悪魔』 En cas de malheur 1958年 - クロード・オータン=ララ監督
- 『バベット戦争へ行く』 Babette s'en va-t-en guerre 1959年 - クリスチャン=ジャック監督
- 『サンフランシスコの娘たち』 Les Régates de San Francisco 1959年 - クロード・オータン=ララ監督、フランス・イタリア合作
- 『雨のしのび逢い』 Moderato cantabile 1960年 - ピーター・ブルック監督、マルグリット・デュラス原作脚本 ※第13回カンヌ国際映画祭女優賞受賞(ジャンヌ・モロー)
- 『真実』 La vérité 1960年 - アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督
- 『マルコ・ポーロ 大冒険』 La fabuleuse aventure de Marco Polo (L'echequier de Dieu) 1963年 - 1965年 - ドニス・ド・ラ・パテリエール/ノエル・ハワード監督
- 『二人の殺し屋』 1965年 監督作
- 『ザ・スパイ』 1966年 監督作
- 『彼女について私が知っている二、三の事柄』 2 ou 3 choses que je sais d'elle 1967年 - ジャン=リュック・ゴダール監督、マリナ・ヴラディ主演、アナトール・ドーマン共同製作
出演
- 『素直な悪女』 Et Dieu... créa la femme 1956年 - ロジェ・ヴァディム監督、カメオ出演
- 『彼女について私が知っている二、三の事柄』 2 ou 3 choses que je sais d'elle 1967年 - ジャン=リュック・ゴダール監督、アメリカ人ジョン・ボーガス役
外部リンク
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