映画.comでできることを探す
作品を探す
映画館・スケジュールを探す
最新のニュースを見る
ランキングを見る
映画の知識を深める
映画レビューを見る
プレゼントに応募する
最新のアニメ情報をチェック

フォローして最新情報を受け取ろう

検索

土着儀式の恐怖、トラウマに影響された家族、女性たちの断ち切れない痛み――「FRÉWAKA フレワカ」監督インタビュー

2026年2月6日 22:00

リンクをコピーしました。
ポスタービジュアル
ポスタービジュアル
(C)Fréwaka Films & Screen Market Research T/A Wildcard 2024. All rights reserved.

アイルランドの美しい大地で土着の儀式とともに受け継がれてきた恐怖と、女性たちの断ち切れない痛みを民間伝承やケルト神話に宿る祈りと呪いを現代的解釈で描いたフォークホラー「FRÉWAKA フレワカ」が公開された。監督・脚本を手がけたアシュリン・クラークのインタビューを映画.comが入手した。

アシュリン・クラーク監督
アシュリン・クラーク監督
――本作のタイトルはアイルランドの言葉で“根”を意味する“fréamhacha” (フレーヴァハ)に由来していると聞きました。タイトルに込めた思いをお聞かせください。
“fréamhacha”は、文字通り“根”を意味しますが、この言葉は英語よりもアイルランド語においてははるかに重みを持ち、全く違う感覚があります。それは、雨に打たれた大地や、絡み合った太い根で、古くてごつごつしている様子を連想させます。そして、掘り起こすのが難しく、まるで「私はあなたより前からここにいた」と言ってじっと動かない根のような感じです。対して英語の“root”という言葉は、それに比べると繊細で、スミレの柔らかな根っこを思い起こさせますが、アイルランド語の方は、作物を植えるという農夫のわずかな希望ですらも奪い去るような厄介な根を思い出させます。ですから、この映画において、この言葉は世代を超えて受け継がれるトラウマと、薬物への依存や中毒、メンタルヘルスの問題といった重要なテーマを想起させます。つまり、地域に根差し、困難で掘り起こすことが難しいアイルランド特有の状況にあたります。
言語というものは、私たちがそれを通して世界を見て、理解するためのフィルターなのです。各々の言語は、それぞれ固有の視点や価値観、優先事項を持っていると考えています。
――監督はアイルランド出身であり、本作は主にアイルランド語で撮影されましたね。

私の父は、アイルランド語に強い思い入れがありました。そのため、私は完全にアイルランド語で教育を受けたのです。学校では、16歳になるまで全く英語を話しませんでした。これはアイルランドでは珍しいことです。アイルランド語自体は、何世紀にもわたるイギリスの政策の結果、島ではほとんど根絶されてしまいました。現在でも、流暢に話せる人はごくわずかで、ほとんどの人は全く話しませんが、アイルランド語教育やアイルランド語での文化的発信に対する投資によって状況は変わりつつあります。この言語は、この島で生き、この島と共に暮らす方法を語るために発展したものであるため、私たちの一部でありながらも欠けていた部分になるのです。私が思うに、それは私自身の一部であり、私が受け継いだ遺産の一つでもあります。

父は2015年に亡くなったため、アイルランド語は、感情的に父との結びつきがとても強いものとなりました。その後数年間、私は全然アイルランド語を話さなかったため、その能力はすっかり錆びついてしまいましたが、ダミアン・マッキャン監督のアイルランド語の映画「Doineann」(2022年/原題)の脚本執筆を依頼され、そのことが再びアイルランド語で考え始めるきっかけとなりました。そしてプロデューサーからアイルランド語で映画を撮ってほしいと頼まれた時、自分にとっても良いことだと思いましたし、個人的に、アイルランド語というレンズを通してホラー映画について考えるのは興味深いことだとも思いました。それによって、主に英語圏の観客のために“アイルランド的”な要素を薄める必要もなく、思い切り踏み込むことができたのです。

画像3(C)Fréwaka Films & Screen Market Research T/A Wildcard 2024. All rights reserved.
――本作で描かれている信仰の中で、実際に地域の神話に基づいているものはありますか?
“根”は、私が学校や家で教わった神話に出てきます。それは、子どもの頃に学んだことであり、夜眠れなくなるほど心に残ったこと、そして今も覚えていることでもあるのです。代々受け継がれるもの全てがそうであるように、同じ物語でも口から耳へ、耳から口へと伝わるうちに少しずつ変化していきます。なので、これらの物語には様々なバージョンが存在し、私もいくつか自分なりに新しい要素を加えました。特に、民俗的な儀式と診断可能な障害との境界を曖昧にしたことなどです。例えば、老女ペグの衝動的に数を数えてしまう行動は、守りの儀式でもあり、強迫性障害でもあります。そもそも全ての迷信は、問題に対処するための仕組みなのではないでしょうか?ですから、厳密に神話に基づいているわけではありませんが、根本的な部分や精神的な部分は同じになります。

アイルランドの民話は、他の多くの民話と同じく、(ロール・プレイングゲームの)「ダンジョンズ&ドラゴンズ」のプレイヤーズマニュアルのように体系化されたものではありません。物語は変化して異なるものとなり、固定するのが難しいのです。それに今回は、現代のアイルランドで起こる物語でもあるため、かつての物語が、変わりゆくアイルランドに順応してきたのと同様に、この物語も現代を反映し、それに対応すべきだと思っています。

画像4(C)Fréwaka Films & Screen Market Research T/A Wildcard 2024. All rights reserved.
――本作では、トラウマに影響されている家族が描かれています。そうした痛みを表現する上で、監督が苦心した点を教えてください。

他の国でもそうですが、現代のアイルランドでは、私たちは精神的な問題や、薬物依存、アルコール依存、そして驚くべき自殺率に直面しています。ここアイルランドでは、これらは完全に解決されないまま続いてきた歴史的なトラウマ、例えば、北アイルランド問題、マグダレン洗濯所という負の遺産、組織的な児童虐待スキャンダル、独立戦争と内戦、そして飢饉などの結果だと言えるでしょう。このような問題は次から次へと出てきました。そして、アイルランドはいまだに、それらにきちんと向き合わないまま進んでいます。世代間のトラウマが多く存在し、トラウマを抱えた親から子どもたちへと受け継がれ、その子たちもトラウマを抱え始めるのです。映画でそうしたテーマに取り組もうと決めたなら、できる限り“重く”描く責任があります。つまり、事実に即したものである必要があると思うのです。

主人公のシューと母親との間の関係は冷え切っていますが、それは現代社会のある一面を反映したものであり、多くの人に響くだろうと考えています。そこには希望もある…と信じたいです。例えば、シューとペグの関係性や、彼女たちが囚われている負の連鎖を断ち切る可能性を意味するものの中に、希望があると。(シューのパートナーである)ミラも、もう一つのプラスの存在にあたります。彼女は、未来、家族、愛を提供してくれるので、可能性は確かにそこにあるのです。

画像5(C)Fréwaka Films & Screen Market Research T/A Wildcard 2024. All rights reserved.
――近年、フォークホラーと呼ばれる映画が大きな復活を遂げています。古い物語と現代のストーリーを組み合わせることを楽しむことはできましたか?

まず、アイルランド語で映画を作るという課題があったので、どんな物語が適切かと考え始めました。そして辿り着いたのが、子どもの頃に戻り、語り聞かされた数々の物語に立ち返ることでした。現代というレンズを通してそれらを見つめ直すことが、私が2つの異なる時代をうまく生かすために使った方法になります。

ロバート・エガース監督の「ウィッチ」(2015)のように、時代設定そのものが作品の核となっている映画もありますが、私からすると、アイルランドは何世紀にもわたって“ハムスターの回し車”に閉じ込められているようなものです。同じトラウマが何度も何度も繰り返され、家族を通じて受け継がれていく。それこそが、この現代の物語の全てになります。私たちはそれを相続しており、古代アイルランド人の恐怖や信仰は私たちから離れたことはなく、ただ形を変えて再び姿を現すのです。

そして「ウィッカーマン」(1973)や「ミッドサマー」(2019)、「ウィッチ」を思い出してみてください。フォークホラー映画の特徴の1つには、ほとんど喜びに近いような暗い結末に突き進むということがあり、破壊というお約束もあるのです。それが魅力でもありますよね。このジャンルに影響を与えてきた多くの民話のように、フォークホラー映画は、教訓や、喜びに満ちた救いのない結末のホームであり、私の物語の多くも、たいていはそういう終わり方をしています。

ただし、現代的な問題を扱う以上は、ごまかしがなく、「私たちに何ができるのか?それらをどう変えていけるのか?」を問いかけねばなりません。人々に偽りの希望を与えるよりも、それについて語ることが大事なのです。なぜなら、多くの場合、万事OKとはいきませんからね。負の連鎖は続いていくのです。アイルランドにおいて深刻な問題で、この映画の中心にある自殺のような題材を語る際には、fairytale(おとぎ話)を語っても意味がありません。言葉遊びみたいになってしまいましたが、fairy(妖精)のtale(お話)ではダメなのです!何とも皮肉なことに、この映画では、超自然的な要素は、シューが抱える現実世界でのトラウマよりは重くはありません。おそらく、それこそが正しい形なのだと思います。

画像6(C)Fréwaka Films & Screen Market Research T/A Wildcard 2024. All rights reserved.
■日本では「ジャパニーズ・ホラー」と呼ばれる、幽霊、怨念、呪い、怪談などの怪奇現象や日本の風習をベースにした心理的な恐怖を描く作品が数多くありますが、監督はジャパニーズ・ホラー作品をご覧になったことはありますか?

先日ちょうど好きな作品をいくつか挙げるという質問を受けたのですが、その中で答えたのが新藤兼人監督の「鬼婆」(1964)でした。あの作品もフォークホラーですよね。「鬼婆」のような土着的なホラー作品と、例えばイギリスのホラー作品の違いを考えてみると、土着文化圏発祥のものだと、その土着のカルチャーのなかに生きている人々の内面心理や恐怖を内側から描いています。一方、イギリスでよく観られる作品だと、外部から誰かがやってきて、土着文化に触れてその中に入って、このコミュニティの人たちはこんなグロテスクな生き方をしているんだ、ということを描きがちだと思います。それをみるとなるほど植民者だったイギリス、っていう感じがしますね。そういう発想、土着がグロテスクであるという発想があるから、我々が変えてしかるべきだと思っているコロニアリズム(植民地主義)を感じます。

そのほかでは、「仄暗い水の底から」(2002)や「リング」(1998)、こういったJホラー作品は、この後に続くホラーの道筋を一変させたといっても過言ではないと思っています。それまでのホラー、アメリカンホラーは最終的に家族がまとまって平和が訪れる……なんというか教条的といいましょうか、そういう風潮だったと思うのですが、「リング」を観ていると、そんなことはお構いなし、という感じですごく冷酷で。登場する彼女が秩序をもたらす存在ではなく、あくまでカオスをもたらす存在として描かれている点が陰気的で、そのあとのホラーが変わったよね、といっても大げさではないといえるのではないでしょうか。

それほど多く日本の作品を観てはいないですが、あと黒沢清監督の作品も好きですし、また黒澤明監督の「」(1985年)は撮影が美しいですよね。バレエ的な優雅さも感じて大好きです。

画像7(C)Fréwaka Films & Screen Market Research T/A Wildcard 2024. All rights reserved.
――日本での公開が決まったご感想と、これから本作を観る日本の観客へメッセージをお願いします。

日本での公開が決まりとても嬉しいです。残念ながらまだ日本に行ったことがないのですが、ずっと行ってみたいと思っていました。実は私の叔父が日本人と結婚をしたので、日本人のハーフであるいとこがカナダにいて、私も日本の文化や自然の景色に興味があるので日本公開はとても嬉しいです。

この作品を撮影したときには、遠い国である日本で公開されるなんて思ってもみませんでした。とにかく自分の視点の作品を、自分の真実を語ろうという純粋な気持ちで制作した作品です。そしてアイルランドの真理を救うダークな部分を掬い取って描いているつもりです。
日本の民話についても少しずつ勉強していますが、おそらく民話という部分でいろんな共通項があるのではないか、と思っています。古代に根差したものは国を越えて何か共通項がありますよね。例えば“泣く女”のバンシーのようなモチーフって日本の民話にもあるのではないかと思いますので、この作品をご覧になるときは、何か日本のこんなところと似ている、という感覚を得ていただけたら嬉しいです。

アシュリン・クラーク の関連作を観る


Amazonで関連商品を見る

関連ニュース

映画.com注目特集をチェック

関連コンテンツをチェック

おすすめ情報

映画ニュースアクセスランキング