石井岳龍監督×永瀬正敏が解き明かす、「箱男」27年分の思い【インタビュー】
2024年3月20日 12:00
27年前といえば、石井岳龍監督がまだ石井聰亙の名で活動をしていた頃だ。原作者の安倍公房から石井監督が直接映画化権を託され、永瀬正敏、佐藤浩市といったキャストとスタッフがドイツのハンブルグに飛んで無国籍設定の映画「箱男」が撮影開始を迎える直前、日本側の資金問題のために制作が頓挫した。あれからおよそ四半世紀、ついにその積年の思いが実を結び、晴れて新しい脚本により、日本を舞台にした「箱男」が完成。第74回ベルリン国際映画祭のベルリナーレ・スペシャルに招待されワールドプレミアを迎えた。因縁の地、ドイツを踏んだ石井監督と、主演の永瀬正敏に現地で話を聞いた。(取材・文/佐藤久理子)
永瀬「それは僕も聞きたいです」
石井「亡くなられる2カ月前ぐらいだったんですよ。1992年の末で。そのときはまだお元気でした。一番わたしが印象に残っているのは、ラフながら立派な身なりをされていたんですが、靴下が片方ずつ違ったことで。ジョン・カサベテス監督もそうだったという記事を読んだことがありますが、そんなことは全然気にしていない感じでした。日が暮れてしまうほど長い時間話をしたんですが、次から次に違う話題のことをどんどんマシンガンのように話されて、この人の頭はどうなっているのだろうと。密な情報が三層ぐらいで高速に流れているという印象がありました」
石井「わたしはイエスと言ってもらいたい一心で、とにかくこれを映画化したいんだということを訴えたんですが(笑)、安倍さんはわたしの『逆噴射家族』(84)と『ノイバウテン 半分人間』(86)を観て下さっていて、気に入って頂いていたんです。それとジム・ジャームッシュ監督の作品もお好きらしく映画話が弾みました」
永瀬「ええ~。それはジャームッシュ監督本人に伝えたいですね」
石井「だからわたしのなかで勝手にオフビートを強調しなければ、と思ったんです。それと一番意外だったのは、原作権を頂いた最後に『石井くん、これを映画にするなら娯楽にしてくれ』と言われたことです。それが唯一の注文で、あとは任せるみたいな(笑)。それがものすごく意外で。もちろん嬉しいんですけど、ミッションを感じました。でも安倍さんの小説は『砂の女』もそうですが、ミステリーとしても十分成り立つ。捻っていますけれど、絶望と希望が入り交じったラブストーリーでもある。それは『箱男』も同じです。だからそこも抜き出しているつもりです」
石井「この作品のテーマが、自分にとって映画とは何かということ、たとえば見ること見られることの意味を問うて来るし、自分が出会った原作のなかでもっとも手強く興味深いキャラたちが自分を惹きつけてやまなかったということがあります。自分のなかで、その都度違う形ではあったけれど、映画という形のひとつの回答を模索して、それが今回の最終形態では時代とぴったり合った。原作は匿名性の果ての、都市に暮らす現代人がいかに自分でつくりあげた妄想の世界の中に閉じこめられているかということを、単純な見方ではなく、とても重層的な形で描いています。妄想という僕らが閉じこもっている箱は幾重にも重なっているということ、それは情報化社会が人間にもたらすアイデンティティの拡大による喪失を予言していました。現代はひとりひとりがコンピューターやスマホを持って、その世界に閉じこもっている。まさに安倍さんが予言した世界のなかに閉じこもっていることが、年月を経てはっきりしてきた。それで作られるべくして作られたという気がしています」
永瀬「僕はそれ以降も監督にちょくちょくお世話になって、その度に監督が諦めてはいないとおっしゃっていたので、それをずっと心に持っていました。ただ27年のあいだにもいろいろとドラマがあったので、監督の思いが、それこそ映画の神様に通じたのではないかと。これだけ時間を経て映画が完成したのは、世界でもあまり例を見ないんじゃないでしょうか」
石井「『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』みたいな(笑)」
永瀬「しかも出てくる役者も当時と一緒で。まさにできたのが奇跡というか。そこに立ち会えたのは、幸せでしかなかったです」
当時から改訂された脚本は、原作のシュールさはそのままに、より現代の情報化社会の匿名性が生み出す怖さや孤独といった共通点が強調されている。頭からすっぽりと箱を被った男が都市を徘徊し、覗き窓から世界を観察しながらその妄想をノートに書き記す。だが、そんな彼をつけ狙い執拗に攻撃する男(渋川清彦)、箱男の存在を乗っ取ろうとする偽医者(浅野忠信)、箱男を誘惑する謎の女(白本彩奈)、箱男を完全犯罪に利用しようと企む軍医(佐藤浩市)などが絡み合い、箱男が「本物の箱男」たらんとすることを妨害する。ファンタジックな要素もある本作を、石井監督は本人称するところの「マジカル・ミステリー・ツアー」のような、怪しくパワフルでいて吹き出すような面白さを秘めた異色の作品に仕立て、ベルリンの観客を沸かせた。
石井「それはわたしも聞きたいですね(笑)」
永瀬「石井監督もおっしゃっていましたけれど、原作に時代が追いついてきたということはすごく感じました。前回のハンブルグ編のときはそこまでまだ、世の中も含めて自分も気づいていなかった部分があったなという。それは世界が変わってきてそこに囚われていく、いい悪いではなく囚われざるを得ないところで。クランクインする前に監督に頂いたヒントでもあったんですが、そういうところが27年経って気づいた本質のひとつでもある気がします。ただ僕自身がやっていることは、じつはあんまり変わらないんですが(笑)」
永瀬「そうですね。ひとつだけできなかったのが、外に出られなかったことで。それは迷惑になるので(笑)」
石井「通報されかねませんね(笑)」
永瀬「はい。でもうちではずっと箱に入っていて、匿名性というものを感じて。いまうちには猫がいるので、やつに気づかれるというのが以前と違いましたが、慣れると猫も箱の中に入ってきて、一緒に落ち着いている(笑)。箱のなかのひとつの宇宙みたいなものが、そこに身を任せるとなんとも言えない気持ちになってくるんです」
石井「いい意味で言うと、すべて捨て去るということは禅的な境地でもありますよね。いい方向に向かえば。でももちろん危険なことでもある。実際のネット社会がそうであるように、匿名性を持つことで人間の悪意が出て攻撃的になる。両方の面を描いているつもりですが、それは観る人が自分なりの感想を持ってもらえればと思います」
永瀬「たぶん俳優さんたちは全員考えていると思うんですが、石井監督の現場は100%じゃだめなんですよね」
石井「(笑)」
永瀬「150とか160%ぐらい行かないとだめで。こっちが勝手にそう思うんですが、そこはもう最初にご一緒したときからずっと変わっていないです。それと今回のアクションはとても緻密に撮っていて、浅野(忠信)くんとの戦いのシーンなどは、箱に入ってアクションをするのが危険で難しいということもあり、すごく細かくシミュレーションをしたんです」
石井「スタントの方も4~5人、動きの目的に合わせてその都度変わって箱の中に入っていただいているんです。走る人、投げられる人とか。でも箱を被っているから入れ替え可能で、合成的にも便利なキャラクターなんです(笑)」
石井「スクリーンが大きくてとても気持ちよかったです。いまは配信とかいろいろありますが、この映画は映画館で観て頂くように計算して作っているので、ぜひ劇場で観て体感して欲しい。映画を観た人が自分も箱男だと感じるような作品を目指したのですが、映画館という箱に入ってスクリーンという覗き窓を体験しないと観た人が箱男にならないので」
永瀬「本当に観客参加型の作品ですよね、僕は上映の前に、映画祭ディレクターのカルロ・シャトリアンさんが、『今年のベルリンでもっともクレイジーな作品のひとつです』と紹介してくださったのが最高だなと思って(笑)。いろいろな意味で感慨が深かったです。笑いもあり、アクションもあり、ちょっとセクシーなシーンもあり、でもそこには安倍公房哲学、石井岳龍哲学があって、現代社会に対する問題提起もある。ひとつのジャンルに囚われない、やっぱりマジカル・ミステリー・ツアーの映画だと思います」
石井「本作を作り終わるまでずっと必死で、ものすごくツケが溜まっていた感じがあったので、出来上がってほっとして。これでようやく永瀬さんとも対等に話ができるという気がしました」
永瀬「とんでもない(笑)」
石井「監督として、新たなスタート地点に立てたような気持ちです」
関連ニュース
映画.com注目特集をチェック
関連コンテンツをチェック
シネマ映画.comで今すぐ見る
第86回アカデミー作品賞受賞作。南部の農園に売られた黒人ソロモン・ノーサップが12年間の壮絶な奴隷生活をつづった伝記を、「SHAME シェイム」で注目を集めたスティーブ・マックイーン監督が映画化した人間ドラマ。1841年、奴隷制度が廃止される前のニューヨーク州サラトガ。自由証明書で認められた自由黒人で、白人の友人も多くいた黒人バイオリニストのソロモンは、愛する家族とともに幸せな生活を送っていたが、ある白人の裏切りによって拉致され、奴隷としてニューオーリンズの地へ売られてしまう。狂信的な選民主義者のエップスら白人たちの容赦ない差別と暴力に苦しめられながらも、ソロモンは決して尊厳を失うことはなかった。やがて12年の歳月が流れたある日、ソロモンは奴隷制度撤廃を唱えるカナダ人労働者バスと出会う。アカデミー賞では作品、監督ほか計9部門にノミネート。作品賞、助演女優賞、脚色賞の3部門を受賞した。
父親と2人で過ごした夏休みを、20年後、その時の父親と同じ年齢になった娘の視点からつづり、当時は知らなかった父親の新たな一面を見いだしていく姿を描いたヒューマンドラマ。 11歳の夏休み、思春期のソフィは、離れて暮らす31歳の父親カラムとともにトルコのひなびたリゾート地にやってきた。まぶしい太陽の下、カラムが入手したビデオカメラを互いに向け合い、2人は親密な時間を過ごす。20年後、当時のカラムと同じ年齢になったソフィは、その時に撮影した懐かしい映像を振り返り、大好きだった父との記憶をよみがえらてゆく。 テレビドラマ「ノーマル・ピープル」でブレイクしたポール・メスカルが愛情深くも繊細な父親カラムを演じ、第95回アカデミー主演男優賞にノミネート。ソフィ役はオーディションで選ばれた新人フランキー・コリオ。監督・脚本はこれが長編デビューとなる、スコットランド出身の新星シャーロット・ウェルズ。
ギリシャ・クレタ島のリゾート地を舞台に、10代の少女たちの友情や恋愛やセックスが絡み合う夏休みをいきいきと描いた青春ドラマ。 タラ、スカイ、エムの親友3人組は卒業旅行の締めくくりとして、パーティが盛んなクレタ島のリゾート地マリアへやって来る。3人の中で自分だけがバージンのタラはこの地で初体験を果たすべく焦りを募らせるが、スカイとエムはお節介な混乱を招いてばかり。バーやナイトクラブが立ち並ぶ雑踏を、酒に酔ってひとりさまようタラ。やがて彼女はホテルの隣室の青年たちと出会い、思い出に残る夏の日々への期待を抱くが……。 主人公タラ役に、ドラマ「ヴァンパイア・アカデミー」のミア・マッケンナ=ブルース。「SCRAPPER スクラッパー」などの作品で撮影監督として活躍してきたモリー・マニング・ウォーカーが長編初監督・脚本を手がけ、2023年・第76回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門グランプリをはじめ世界各地の映画祭で高く評価された。
「苦役列車」「まなみ100%」の脚本や「れいこいるか」などの監督作で知られるいまおかしんじ監督が、突然体が入れ替わってしまった男女を主人公に、セックスもジェンダーも超えた恋の形をユーモラスにつづった奇想天外なラブストーリー。 39歳の小説家・辺見たかしと24歳の美容師・横澤サトミは、街で衝突して一緒に階段から転げ落ちたことをきっかけに、体が入れ替わってしまう。お互いになりきってそれぞれの生活を送り始める2人だったが、たかしの妻・由莉奈には別の男の影があり、レズビアンのサトミは同棲中の真紀から男の恋人ができたことを理由に別れを告げられる。たかしとサトミはお互いの人生を好転させるため、周囲の人々を巻き込みながら奮闘を続けるが……。 小説家たかしを小出恵介、たかしと体が入れ替わってしまう美容師サトミをグラビアアイドルの風吹ケイ、たかしの妻・由莉奈を新藤まなみ、たかしとサトミを見守るゲイのバー店主を田中幸太朗が演じた。
文豪・谷崎潤一郎が同性愛や不倫に溺れる男女の破滅的な情愛を赤裸々につづった長編小説「卍」を、現代に舞台を置き換えて登場人物の性別を逆にするなど大胆なアレンジを加えて映画化。 画家になる夢を諦めきれず、サラリーマンを辞めて美術学校に通う園田。家庭では弁護士の妻・弥生が生計を支えていた。そんな中、園田は学校で見かけた美しい青年・光を目で追うようになり、デッサンのモデルとして自宅に招く。園田と光は自然に体を重ね、その後も逢瀬を繰り返していく。弥生からの誘いを断って光との情事に溺れる園田だったが、光には香織という婚約者がいることが発覚し……。 「クロガラス0」の中﨑絵梨奈が弥生役を体当たりで演じ、「ヘタな二人の恋の話」の鈴木志遠、「モダンかアナーキー」の門間航が共演。監督・脚本は「家政夫のミタゾノ」「孤独のグルメ」などテレビドラマの演出を中心に手がけてきた宝来忠昭。
奔放な美少女に翻弄される男の姿をつづった谷崎潤一郎の長編小説「痴人の愛」を、現代に舞台を置き換えて主人公ふたりの性別を逆転させるなど大胆なアレンジを加えて映画化。 教師のなおみは、捨て猫のように道端に座り込んでいた青年ゆずるを放っておくことができず、広い家に引っ越して一緒に暮らし始める。ゆずるとの間に体の関係はなく、なおみは彼の成長を見守るだけのはずだった。しかし、ゆずるの自由奔放な行動に振り回されるうちに、その蠱惑的な魅力の虜になっていき……。 2022年の映画「鍵」でも谷崎作品のヒロインを務めた桝田幸希が主人公なおみ、「ロストサマー」「ブルーイマジン」の林裕太がゆずるを演じ、「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」の碧木愛莉、「きのう生まれたわけじゃない」の守屋文雄が共演。「家政夫のミタゾノ」などテレビドラマの演出を中心に手がけてきた宝来忠昭が監督・脚本を担当。