【「インスペクション ここで生きる」評論】ゲイの青年が入隊訓練での差別に抗う姿が、多様性尊重の理想と現実に向き合うよう促す
2023年8月6日 20:30
「ムーンライト」や「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」など、アカデミー賞をはじめ各国の映画賞や映画祭で高評価される傑作を手がけてきた配給・製作会社A24が、また新たな才能を世に送り出す。「インスペクション ここで生きる」は、ホームレス生活ののち米海兵隊に入隊して映像記録係になり、除隊後にテレビ番組や短編映画でキャリアを築いてきたエレガンス・ブラットン監督が、入隊訓練での体験や母親との関係に基づくオリジナル脚本を自ら映像化した長編デビュー作だ。
ゲイの青年フレンチ(ジェレミー・ポープ)は、同性愛を罪だとするキリスト教信者の母に受け入れられず、十代半ばで家を出てホームレスになったが、10年が過ぎた2005年に人生を変えるため海兵隊に志願する。訓練が始まった当初ゲイであることを隠していたフレンチだったが、ある出来事により発覚すると、訓練生仲間からの差別や暴力、教官からの過剰なしごきの標的にされてしまう。
当時の米軍における同性愛者の扱いについては若干の補足が必要だろうか。1994年に施行された同性愛公言禁止規定(通称「Don't ask, don't tell(尋ねず、語らず)」ルール)により、軍隊内では性的志向を尋ねず、同性愛者はそれを伏せるべきだとされ、性的志向を問わないことで入隊と服務を認める一方、同性愛者と判明すれば除隊を求められる差別的な処遇の根拠にもなっていた。この通りなら、映画で描かれるように教官が訓練生に「お前は同性愛者か?」などと問うてはならないはずだが、現実には同性愛を嫌悪する上官や同期から差別的な圧力をかけられ続けたブラットン監督の体験に基づくのだろう(なお、同性愛公言禁止規定はオバマ政権下の2011年に撤廃された)。
鬼教官による過酷なしごきという点ではスタンリー・キューブリック監督作「フルメタル・ジャケット」、軍隊内の異分子に対する嫌がらせや暴力では「G.I.ジェーン」や「ハクソー・リッジ」などが思い出されるだろうか。そうした不当な扱いに耐え抜き信念を貫く過程で仲間の信頼を勝ち取っていく過程もまた、過去の軍隊物の定型をなぞってはいる。ただし、米ロックバンドのアニマル・コレクティヴによるインダストリアルミュージック風の反復を多用し宗教儀式にも似た陶酔を誘うBGMにより、過酷な訓練で人格を改造し“殺人モンスター”を作り出す新兵養成システムの暗い面を強調するあたりは、監督自身の従軍体験に対するアンビバレントな思いが反映されているようでもある。
思い起こせば、A24が製作・配給に名を連ねた「ムーンライト」もゲイのアフリカ系米国人が主人公だったし、同社はほかにもアジア系米国人やその家族を描く「フェアウェル」や「ミナリ」なども手がけてきた。2010年の設立からわずか10年ほどで、ジェンダーと人種の多様性尊重を促進するような話題作を輩出してきたA24は、そうした思想を映画界から先導するソートリーダーでもある。マイノリティの社会的受容で欧米に大きく遅れた日本にいる私たちだからこそ、映画の疑似体験を通じてダイバーシティやインクルージョンの理想と現実に目を向け、理解に努めることは一層意義深いはずだ。
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