酔え、酔ったままでいろ!――「ビーチ・バム まじめに不真面目」【コラム/スクリーンに詩を見つけたら】
2023年4月5日 09:00
古今東西の映画のあちこちに、さまざまに登場する詩のことば。登場人物によってふと暗唱されたり、ラストシーンで印象的に引用されたり……。古典から現代詩まで、映画の場面に密やかに(あるいは大胆に!)息づく詩を見つけると嬉しくなってしまう詩人・大崎清夏が、詩の解説とともに、詩と映画との濃密な関係を紐解いてゆく連載です。
今回のテーマは、マシュー・マコノヒーが放蕩の詩人を演じた「ビーチ・バム まじめに不真面目」(ハーモニー・コリン監督)です。
ムーンドッグはお茶目な詩人だ。キーウェストの地元民は、みんなムーンドッグのことが大好きだ。ムーンドッグは言う、俺はただ楽しみたいだけ、人生を楽しみ尽くしてやると。もしも明日、いや一瞬先に死が待っていても、たぶんムーンドッグには一片の悔いもないだろう――凡人の私たちには、それは狂騒にしか見えない暮らしだけれど。私だって詩人の端くれとしちゃ、明日死んでも悔いのないように生きてやろうとどこかで思ってはいるけれど、それにしたってムーンドッグはやりすぎだ。ムーンドッグは羽目を外しすぎる、あんなに酒やドラッグや娼婦に溺れなくたって、あんなに趣味の悪いいたずらで人生を彩らなくたって生きていけるだろうに。
たった一冊の詩集の全米ヒットで、ムーンドッグは有名になった。セレブリティのミニーと結婚して、お金持ちになった。でもミニーは、ムーンドッグとは対照的な、身綺麗な、手中におさめた富と名声をうまくやりくりできる男ランジェリー(まるでスヌープ・ドッグを演じるスヌープ・ドッグ!)と浮気している。
無名だった頃のムーンドッグの、がびがびのVHS映像がときどき挟まる。まばらな、つまらなそうな聴衆を前にステージに立って、彼は詩を朗読している。苛立つように、自分の詩集を聴衆に叩きつけるように。いまでは、ムーンドッグはたいてい機嫌がいい。けれど彼の頬にはいつも、ひとすじの涙のようなものが光っている。汗と酒と体液の混ざったような、染みみたいな涙が、ピュリツァー賞の受賞スピーチをする間も、彼の頬には貼りついている。
その涙がとどめているのは、深い深い絶望の痕だと思う。剽窃によって始まった自分の詩人としての道のり。そんなことを意にも介さない世間。生を楽しむことを怖れ、本当の意味で生きることのない「奴隷」たち。ムーンドッグを、誰も真に理解することはない。ミニーだけは、理解なんてものから逃れ続けるムーンドッグを愛していたけれど。
ムーンドッグが詩の古典を暗誦するシーンが、(私の気づいた限りでいうと)三つある。一つめは娘のヘザーの結婚式で、親友の富豪ランジェリーに。二つめは娼婦たちを乗せたボートで、更生施設を一緒に脱走した男に。三つ目は一文なしで流れ着いたスケボーパークで、ホームレスのおじさんに。
詩はそれぞれ、D・H・ロレンスの「ピアノ(Piano)」、ホイットマンの「草の葉」中の一作「日没の歌(Song At Sunset)」、フランスの象徴派詩人ボードレールの「酔え(Enivrez-vous)」の一節だ。暗誦するとき、ムーンドッグはちょいちょいっと言葉を変えて、吠えるような、いい加減な、自己流の詩行にアレンジしてしまう(その「パクった」詩でコンテストに優勝しちゃったんだ、と彼はうそぶく)。芸術の剽窃は社会的にはもちろん「ダメ、ゼッタイ」なのだけれど、彼の声に乗った詩はいきいきと鮮やかに甦って、その言葉は彼の声に乗って、狭い部屋に閉じこめられた詩や文学の世界からとても遠そうに見える人々の心をうつ。私はここにそれぞれを訳出してみよう、もとの詩行にできるだけ忠実に、ムーンドッグの声を借りて。
年月の眺めの中に引きずり戻す、そして俺は見る
ピアノの下に座った子供だ、ヒリつく弦の轟きのなか
微笑みながら歌う母親の、ペダルの上の小さな足を踏んでる。
(D・H・ロレンス「ピアノ」より抜粋)
(シャルル・ボードレール「酔え」より抜粋)
映画のなかで「母」なるものとして描かれるミニー、ムーンドッグが何をやっても離婚したりしないで許してくれる優しいミニーは、酔っぱらい運転がもとで死んでしまう。それでもムーンドッグは酔ったままでいることをやめない。手元にはいつもタイプライターがある。大股びらきで、赤んぼうのように座って、サングラスと眼鏡を二重にかけて、日が沈んでも、すべてを笑いと逃走に変えながら、股間に据えたそのタイプライターで、ムーンドッグはどこでも書く。
それは緩やかな自殺のようでもあるけれど、それでも彼は結局ちゃんと、作品を完成させてしまう。そして、あんな下品で下劣な生活から生まれたとは思えない言葉で人を魅了し、望むと望まざるとに関わらず、高尚な文学賞まで受賞してしまう。富や名声の世界は、いつでも彼を引きずりこもうと、大きな口をあけている。本当はムーンドッグは、そんなことには興味がないのに。
実はもう一篇、映画の冒頭とラストに、ムーンドッグが壇上で同じ詩を朗読するシーンがある。冒頭で「今日はここまで」と、まだ書きかけであるかのように読まれた詩は、ラストでも一言一句変わらない。そうだよね、作品って、実はもう完成していたと後からわかることもある――私はそんなふうに溜飲を下げて映画を観終えたけれど、実はこれもまたリチャード・ブローティガンによる「うつくしい詩(The Beautiful Poem)」の「パクり」だったことに、編集部からの指摘で気がついた。もちろん彼の観客は誰も気づかない。でも、彼が生きる場所にその詩をそのように剽窃してみせてしまうこと、それによって喜ばれてしまうことこそ、ムーンドッグの詩人としての悲哀を最もよく表しているような気がする。
芸術を志す私たちのような人間は、とかく「オリジナル信仰」に染まりがちだ。すでに先人の誰かしらによって書かれた世界の美しさを味わうこともないままオリジナルを追い求めることの白々しさを、映画は皮肉っぽく突きつけているようにもみえる。
本作の監督であるハーモニー・コリンは、2000年代のニューヨーク・ストリート・カルチャーを世界に蔓延させた立役者のひとりだ(私は彼の脚本家デビュー作「KIDS」で世に送り出されたクロエ・セヴィニーの色気に度肝を抜かれ、彼らと同じ時代と場所を背負ったソフィア・コッポラの映画に20代でまともに影響をうけた世代だった)。彼らストリート・キッズたちが世に送り出してきた作品群には、この滑らかに整えられた世界のすべてに対する反抗心や、置かれた環境から逃走し続けることへの渇望が、いつも見え隠れしているような気がする。鋭い眼光を飛ばしていたキッズが、酔いどれ詩人のおじさんになり果てても、その渇望は湧き続けている。
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