【「アラビアンナイト 三千年の願い」評論】ジョージ・ミラーの切なる願いが込められた現代の寓話。
2023年2月26日 16:00
シンプルでありながら、すべてが直感的に理解できる。何の説明もなしに目の前に映し出される男の心の揺れが五臓六腑に染み渡る。ジョージ・ミラー監督の「マッド・マックス 怒りのデス・ロード」(2015)は、映画でなければ表現できない力で特別な映像体験を与える、まさに超ド級の作品だった。最新作「Furiosa」が待たれる中、異色ファンタジー「アラビアンナイト 三千年の願い」が届いた。
物語研究家の女性アリシアがイスタンブールを訪れる。妙なヤジを飛ばす怪しい人影に卒倒するも会議は無事に終わる。イギリスへの帰国前、三部屋ある土産屋を訪れた彼女は、硝子の小瓶“ナイチンゲールの目”を手に入れる。翌朝、風呂上がりに電動歯ブラシで瓶を洗い始めると、あら不思議、蓋がはずれて巨大な魔人“ジン”が現れる。
人間サイズになりバスローブを着たジンは、「瓶から出してくれたお礼に三つの願いを叶える」と申し出る。だが、神話通の彼女は即座に断る。呪いを解き自由になるために願いを叶えたい魔人は、彼女の物語に耳を傾けた後、我が身に起こった三千年に及ぶ呪いの歴史を語り始める。主舞台はイスタンブールのホテルの一室だ。限定された空間でふたりはそれぞれの「物語」を交わしていく。
おひとり様生活が長く、人を頼ることを忘れてしまった女性アリシアをティルダ・スウィントン。お願いされて呪いを解きたいジンにイドリス・エルバ。バスローブ姿で交わされる“身の上話”を通じて、懐疑心が解きほぐされ、新たな発見に心をときめかせていく女性と、性急さが薄れて穏やかな口調に変わる魔人。ふたりの心の機微が見事に表現されていく。
常に被写対象を画面中央でとらえるキャメラワークで途切れることのない映像は、やがて「ロレンツォのオイル」(1992)で多用された瞳のまばたきの如き語り口へ。黒味によって逡巡する時の経過を直感的に伝える編集が効いている。
トム・ホルケンボルフの音楽も冴える。ソロモンがシバに愛を伝える“ジンのテーマ”は、アリシアのために魔人が奏でるシーンへと継がれ、マッテオ・ボチェッリが歌うエンディング曲へとつながって、得も言われぬ余韻を残す。
個人的なツボは、前作で“種を守る女”役の女優メリッサ・ジェファーが、アリシアに示唆を与える三番地の隣に住むクレムを演じていること。彼女が初登場する場面に施された音の演出も秀逸だ。
生きることには痛みが伴う。人を信頼し、心を開くことは難しい。真の自分を伝えるのは簡単なことではない。でも、その行為なくして物語を口にすることは叶わない。物語るとは信じ、愛すること。寓話を装いながら、普遍的なテーマと見果てぬ夢を呈示するこの物語には、ジョージ・ミラーの切なる願いが凝縮されている。心して向き合いたい作品である。
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