日本の文豪、名監督、名優によるとんでもない映画「卍」 美しくヤバい女に溺れる四角関係描く【二村ヒトシコラム】
2023年2月17日 22:00
作家でAV監督の二村ヒトシさんが、恋愛、セックスを描く映画を読み解くコラムです。今回は、日本を代表する文豪、谷崎潤一郎原作の小説を新藤兼人の脚色で、増村保造監督が映画化した「卍(まんじ)」(64)をご紹介。岸田今日子が演じる弁護士の妻の園子が、美術学校で出会った美しいモデル、光子(若尾文子)に心身共に溺れ、園子の夫や光子の婚約者も巻き込んだ愛憎と痴情の四角関係を繰り広げる文芸ドラマです。
女と女は、なぜセックスをするんだろう?
というような問いは、現代ではタブーっぽい雰囲気になってます。LGBTである人に向けて、その人のセックスについて「なぜ?」とわざわざ問うこと自体が「なぜ、そんな<不自然な>ことを?」という差別的な意図を連想させてしまうからでしょう。
僕はむしろ「あらゆる人間は本来はバイセクシャルであるのに、なにかこう家族の、あるいは対人的な、もしくは社会の決まり的な抑圧が原因で、多くの人が異性としか(そして少数の人が、同性としか)セックスしたくなくなってるんじゃないのか」「自分のことをまとも(マイノリティとしてまとも、も含む)だと思っている人ほど、なにかの抑圧を強くうけていて、そのことに自分で気づいてないんじゃないか」なんて考えなのですが、どうなんでしょうね。あ、もちろん「本来メスとオスの間にしか子供は生まれない」という自然科学的な前提はわかっております。おりますが、今は自然科学の話をしているのではない。人間の心とか欲望の話をしています。
ある人の「セックスや恋愛とはこういうものだ、これが正常で正解だ、これが自分にとっては気持ちいいのだ」という思い込みを生んでいる抑圧は、いつか何かのきっかけで外れることがあるのかもしれません。外れないまま死ぬまで幸せに生きていく人もいるかもしれません。外れないままで一生なんとなく楽しくない人生の人もいるかもしれません。いずれにせよ、どんな性別の人とセックスしようとそれは他人からつべこべ言われることではない。他人の<なぜ>を勝手に分析するのも余計なお世話です。
ただ僕は、そもそも人間は一人一人みんな不自然なものだから、みんながそれぞれ自分をかえりみて「なぜ私は、あの人とセックスしたいと(あるいは、あの人をキモいと)思うのだろう?」「なぜ私は<普通の>結婚がしたい(あるいは、したくない)のだろう?」「なぜ私は、こういう恋愛(や結婚)を、しているのだろう?」といった、普段は考えないような問いを自分自身に問いかけるのは、いいことだと思うのです。
そして不思議な人間関係、奇妙なように見える恋愛関係が描かれた映画を観て心を動かされたときに、「あの登場人物は<なぜ>あの登場人物に恋したのだろう?」「私だったら、どうするだろう?」とわざわざ考えてみたりするのも面白いことだと思うのです。
1964年に大映が制作した増村保造監督の「卍」で、岸田今日子が演じるまじめな人妻・園子は、若尾文子が演じる美女・光子に恋をし、女同士でセックスをします。
60年ちかい昔の映画とは思えない映画でした。巨匠・増村保造が、昔の日本映画をお好きな皆さんの噂どおり、ド変態だったのが確認できました。(こういうことを書かなきゃいけないのはヤボですが、いちおう<ド変態>というのは、ほめ言葉です)
どこがド変態だと思ったかというと、ひとつは、園子が光子との関係の一部始終を物語るのをただ黙って聞いてる「先生」という老人(たぶん原作者の谷崎潤一郎がモデル。ちなみに谷崎もド変態。演じているのは三津田健)が、ものすごく変態っぽい顔をしているところ。そういえばラース・フォン・トリアー監督の「ニンフォマニアック」も、じいさんが主人公の女性からセックス体験について延々と話を聞かされる変態的な映画でしたが、そっちの一見まともそうなじじいはもっともらしい顔をして、いちいちつべこべ他人のセックスを分析するのでした(そして最後に、むくいをうけるのでした)。
それと、光子の婚約者を自称する綿貫という男の行動と表情の異常さ。演ずる川津祐介の演技もどうかしている(ほめてます)し、原作の谷崎も脚本の新藤兼人もどうかしてる(ほめてます)が、この川津祐介の演技を撮影中に黙ってずっと見ていて、それに「カット、オーケー」と言った増村保造が一番どうかしている。完全に変態。
岸田今日子の演技も圧倒的でした。その目つきと唇。その声。僕は子供のころ岸田さんの演技やお声にテレビドラマ「傷だらけの天使」やテレビアニメ「ムーミン」で親しみ、魅了されていましたが、それに先立つ10年前すでに彼女はこんなにすごい女優であったと今回あらためてわかって感動しました。市川崑監督の「黒い十人の女」(61)も観たのですが、そこでの岸田今日子も良かったです。
それにしても園子は光子と、なぜセックスをしたんだろう?
光子が美しかったからでしょうか。人は美しすぎるものを見せられると、どうかしてしまうことがあります。もしかすると園子は(お金持ちの娘に生まれたはずなんですが)それまで、美しいものを見て感動するとか情欲がたぎるといったことが一度もない人生だったのかもしれません。
それにしても<美しい>とはどういうことなんでしょうか? あなたは、あなたがどうかしてしまうほど美しいものを見たことはありますか? 僕はないです。
光子の美しさのせいでどうかしてしまった園子は、愛する夫・孝太郎(船越英二)がショボい人間だったことに気づいてしまうのでした。でもそれは「どうかした」「おかしくなった」わけではなく、彼女は目を覚ましただけなのかもしれません。覚醒するために光子と出会ってしまったのかもしれません。光子と出会ったのは単なるきっかけであって、ずっと眠って生きていた彼女は、ずっと目を覚ましたかったのかもしれません。
と、ここまでは、やはり同性愛に目覚めた人妻の愛と不倫を描いたアメリカ映画「キャロル」と、同じような構造です。しかし「キャロル」は原作者のパトリシア・ハイスミスがレズビアン当事者で1921年生まれ(同性愛が犯罪だった時代の人)で、映画化されたのは比較的最近(2015年)で、ようするに「キャロル」は非常にまじめな恋愛映画です。
比べるに我が国の「卍」は、なかなかに悪辣な映画でした。恋愛のまじめさではなく変態たちの底知れなさを描き、もちろん「同性愛が変態だ」と言ってるのではなく「すべての人間は変態だ」と言っているのです。園子が好きになってしまった光子は美しいだけでなくヤバい女でした。
彼女は自分に恋する者が女だろうと男だろうと、狂っていようと、なんでもかまわない女なのでした。とにかく「恋されている自分」が大好きなのです。承認欲求のかたまりのような人が美しいことは悲劇です。その人に恋した人は、力ずくでぶんぶん振り回される事態になります。(美しくない人が承認欲求のかたまりであることも、それはそれでまた別種の悲劇ですが)
そして、全米のショボい夫を代表するみたいな「キャロル」の夫は妻が女と浮気してると知って怒り狂うだけでしたが、ショボい夫の日本代表である「卍」の孝太郎は怒り狂ったあとで、なぜか妻の恋人である美しい光子とも接触することになり、それだけでなく、光子の恋人である異常者・綿貫とも接触することになり、やがて……。
彼らの人生に愛はあるのか、という観点からは、この映画のエンディングはハッピーエンドとは言えないかもしれません。しかし変態礼賛という観点なら「最後に生き残ったのは最強の変態」というラストシーンだったと解釈できないこともない。
こういうとんでもない映画の原作が今から100年近く前に書かれて、書いたのは日本を代表する文豪の一人。そして監督したのが日本映画の巨匠と呼ばれる人の一人だってことに、なんだか僕は元気づけられました。
付記1】「卍」でショボい夫を演じた船越英二は「黒い十人の女」では一転して超絶モテモテ男(やはり既婚者)を演じています。この2本を続けて観ると、どちらの夫も心に空洞を抱えているなあと感動します。空洞があるから妻に浮気されてしまう男と、空洞があるから多くの女にモテ続ける「心がない」男が、顔も声もまったく同じ……。往年の大映のメロドラマ、恐ろしいですね。
1985年には、なんとイタリアの女性監督リリアーナ・カバーニ(なんと「愛の嵐」 を撮った人!)が、第2次大戦前夜のベルリンを舞台に、ナチス軍人の妻(この人が園子に該当しますが、ドイツ人女性)と日本の外交官の娘・光子(高樹澪)の物語としてリメイクしたらしいのですが日本未公開ですって。ちょっと観てみたい。2006年の井口昇監督作品では綿貫を演じたのが荒川良々だそうで、お恥ずかしいことに僕は未見なのですが、これも観なきゃ。
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