【「神々の山嶺」評論】孤高の漫画家への敬意が生んだ“未知なる領域”への挑戦
2022年7月10日 09:00
この映画には三つのリスペクトがある。第一は世界最高峰のエベレストと自然への畏怖。第二は山頂を目指す孤高のクライマーに対する敬意。そして第三の最重要ファクターは、夢枕獏の原作を漫画で描いた谷口ジロー氏への感謝を込めた尊敬の念である。
画面に漲る緊張感。登場人物たちの心の揺れを露わにする繊細な翳りの表現。穏やかに山男たちを迎えながらも、ある瞬間に容赦なく極限へと追いつめる大自然の驚異。リアルでありながらも省略を効かせて心象を重ねた日本の風景と、屹然と立ち塞がる山々の威圧感との対比。山頂を目指す男が入念に準備した登山装備品を一枚絵で見せる省略術。標高8000メートルのデス・ゾーンがもたらす色彩。無駄のないタイトな編集。リアルを追求した音響。すべてが映画完成前に天に召された谷口へのリスペクトで貫かれ、実写では到達できない“未知なる領域”へと観客を誘う。
伝説の登山家ジョン・マロリーは「なぜ登るのか」と問われ、「そこにエベレストがあるからだ」と答えた。
1924年、エベレスト登頂目前の標高8390メートル地点で37歳のマロリーは遺体となって発見された。登攀途上だったのか、それとも登頂成功後だったのか。常にカメラを携帯していたマロリーが残したフィルムを現像できればその成否が明らかになる。
日本のエベレスト登山隊を取材していたカメラマンの深町誠は、カトマンズのバーでマロリーのカメラを買わないかと声をかけられる。まさかと思いながら店を出た彼は、路地裏でカメラを奪い取った屈強な男の横顔を目にして驚愕する。トップクライマーでありながら、突然姿を消した羽生丈二だったからだ。
なぜ彼がここにいるのか。帰国後、羽生の来歴を調べ始めた深町は、弛みなき努力を続ける孤高の登山家に惹きつけられていく。
エベレスト登頂をめぐるミステリーを端緒に、山に魅せられながらも立ち向かうことを諦めかけていたカメラマンと、一途に山頂を目指すクライマー、ふたりの今が交錯した先で何が待ち受けるのか…。
谷口ジローからフランスの制作チームへ。これは夢を諦めない人間を描くヒューマンドラマであり、命を賭けて登攀に挑むアスリートを追うアドヴェンチャーであり、アニメという表現で“未知なる領域”に挑戦したクリエイターたちの結晶である。クライマックスに訪れる究極の問いかけは、我が道を歩みたいと願う誰の心にもグサリと突き刺さるに違いない。
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