【「ドライブ・マイ・カー」評論】春樹ワールドを換骨奪胎し魂の救済を静かに謳い上げた、カンヌ脚本賞も納得の力作
2021年8月21日 22:00

今年のカンヌ映画祭の授賞式で、脚本賞に「ドライブ・マイ・カー」の名前があがったとき、周りでいささか落胆を示す海外の批評家たちがいた。彼らは本作がもっと大きい賞を受賞することを期待していたのだ。それほどこの作品の評価は高かった。
だが、よく考えれば脚本賞というのは理にかなっている。村上春樹の原作は短編で、これを179分の映画にするにあたって、濱口竜介監督と共同脚本家の大江祟允は大胆に物語に肉付けし、エンディングも加筆しているからだ。原作では案外あっさりと幕が閉じるのに引き換え、ここではふたりの人間の魂の触れ合いにより、仄かな希望を感じさせる。
もちろん、春樹ワールドに共通している物静かなトーンや、淡々とした語り口は引き継がれている。「ハッピーアワー」などに見られる濱口監督の持ち味のひとつである、些細なディテールにキャラクターの人間性が浮き彫りになる演出はむしろ、表面的には穏やかでも水面下ではさまざまなことが起こるこの物語の味わいを、一層示唆に富んだ深いものにしている。
物語は俳優である主人公、家福(かふく)を巡る3つの人間関係によって織り成される。自分を愛しながらも浮気を繰り返していた妻(霧島れいか)の不貞を知りながら、彼女の突然の死によりわだかまりを抱え続ける夫(西島秀俊)と、不倫相手だった高槻(岡田将生)との対峙。こだわりの愛車が運転できなくなった家福の代わりに雇われたドライバー、みさき(三浦透子)と彼の触れ合い。さらにいつも妻がセリフを読んでいたテープを車中で聴くことで蘇る彼女の存在と、その思い出。これらを結びつける要素として、原作以上に趣が置かれているのが芝居のリハーサルのシーンだ(これを国際的な俳優たちにより、異なる言語のまま上演するところに、斬新な意匠を感じる)。
家福が演出するチェーホフの「ワーニャ叔父さん」の主役に、あえて若すぎる高槻を抜擢する家福の真意や、その高槻を、よくキレる得体の知れない男に脚色したことで醸し出される不穏な空気が、複雑な人間関係にさらなる陰影を与える。そうして映画の物語と入れ子構造の演劇が呼応し合い、重層的な醍醐味を醸し出す。
俳優たちはそれぞれ素晴らしいが、特筆すべきは原作のなかで体現するのがもっとも困難と思われるキャラクター、みさきを演じた三浦だ。目立った魅力を発散しないニュートラルな存在でありながら、運転という行為を通して家福の心に誰にもできないやり方で影響を及ぼしていく、そんな人物を体現した三浦の特質とともに、独自のメソッドで役者たちから最良のものを引き出す濱口監督の手腕を感じずにはいられない。
題名に引用されているビートルズの軽快な曲、「ドライブ・マイ・カー」が使用できず、ベートーベンで音楽が統一されたことも、結果的に映画にとっては良かったのではないかと思える、ひたひたと心に沁み入る作品だ。
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