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【「少年の君」評論】深い絶望を抱えた少女の内面の微細な動きを、変幻自在なタッチと語り口で紡ぐ

2021年7月25日 09:00

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「少年の君」
「少年の君」

冒頭とラストに「この映画がいじめ問題の抑止になることを願う云々」という趣旨の文言が出る。一見、このように社会派的な善導目的のお題目を掲げているものの、それは表層的なものにすぎず、映画を見終ると、ほろ苦くも痛切な後味が残るのだ。

進学校に通う成績優秀な少女チェン・ニェン(チョウ・ドンユィ)と社会の底辺でストリートファイトに明け暮れるしがないチンピラ、シャオベイ(イー・ヤンチェンシー)とがふとしたきっかけで出会い、淡い交情が芽生える。

似たような感触をもつ作品として、たとえば、深窓の令嬢吉永小百合とチンピラ浜田光夫の道行を描いた「泥だらけの純情」(63年、中平康監督)が思い浮かぶ。この往年の日活映画では、日本の高度経済成長期を背景に、周囲から孤立する主人公たちの純愛をあぶりだす装置として、極端な格差というシチュエーションが施されていた。しかし「少年の君」は、そんな牧歌的で甘いメロドラマチックな世界を完膚なきまでに粉砕するかのように過酷な現実が次々に露わにされてゆく。

いじめを苦にして投身自殺を遂げたクラスメートに続いてチェン・ニェンが次なる標的にされる。彼女の母親はインチキな化粧品セールスで出稼ぎに出て不在がち、アパートには借金取りが日参する。彼女にとっては大学受験だけがその圧倒的な貧しさから抜け出す唯一の方法に他ならない。しかし、そのチェン・ニェンの貧困をもスマホで拡散、嘲笑するクラスメートたちの陰湿ないじめは、さらに殴る、蹴る、果ては髪を切り、丸坊主にするまでにとめどなくエスカレートし、その果てに悲劇が起こる。

チェン・ニェンはつねに能面のような表情を崩さない。デレク・ツァン監督は、深い絶望を抱えた彼女の内面の微細な動きを、時にはみずみずしい学園映画のように、時には壮絶な暴力が噴出するフィルム・ノワールのように、そして時には極上のミステリー映画のように、変幻自在なタッチと語り口で紡いでみせる。そんな彼女が警察の取調室でシャオベイと対峙し、かすかに微笑みを交わす場面は、「離愁」(73)で、ジャン=ルイ・トランティニャンとロミー・シュナイダーがまなざしを交錯させたラストシーンを想起させるほど、すばらしい。

(高崎俊夫)

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