崔洋一監督、盟友・高橋伴明&奥田瑛二の「赤い玉、」に「シャレている。しっともある」
2015年9月8日 14:00
特別ゲストで招いた崔洋一監督が、司会役を買って出る形で進行。19歳の頃から付き合いのあり、ボンと呼ぶ同い年の高橋監督が性を追求した新作に対し、「一番感銘を受けたのは、現実と虚構を行き交う自由さ。もっと品がなくやるのかなと思ったが、意外や意外。枯れて品が良くなるのは大嫌いだからね」と評した。
その上で、「エロスの切なさって現実ともう想であって、若い頃は経験が追いつかないからもう想が勝っちゃうけれど、ボンの場合は違った。本当にもてたし、合いカギを15、16個、さりげなくチャラチャラさせるいやらしさがあった」と暴露。高橋監督は「オーバー、8個だよ」と下方修正したものの、「もう想する必要はなかったのよ」とちょっぴり自慢げだ。
映画は、奥田演じる大学教授で映画監督の時田が、愛人(現実)がいながらも街で見初めた女子高生(虚構)に心を奪われていく。崔監督は、「老いた男のエロスとは違う。2人が全くのナルシストでシャレているんだよね。そこが映画という、しっともある。奥田のエロスを偏愛ととらえるならば、エネルギーがあって滑稽さとちょっぴりの悲しみがあった」と持論を展開。奥田は、「俺は老いをあからさまに見せず、男であり続けたいという思いを内に秘めて演じた。映ったものが滑稽であれば大正解」と満足そうに語った。
さらに、崔監督は不二子や村上由規乃ら女優陣の熱演を称えつつ、現在の日本映画界についても言及。「エロティシズムだけでなく、バイオレンスも消失している。探求心や好奇心も失われているし、それが欠如すると全体が弱くなる」と苦言を呈した。
奥田も同調し、「今の映画にはエロスが足りないし摩擦を感じない。男と女が愛し合うのでも殴り合うのでも、触れ合うものはすべてが摩擦。それを無視したらダメ。伴明には肉体を預けたし、そういう日常の中のエロスにおける伴明の表現は魅力のひとつ」と説明。高橋監督も「退路を断った気分はあるし、自分だけが思っても成立しないから奥田のさらけ出しようは大きかった」と自信のほどをうかがわせていた。
「赤い玉、」は9月12日から、東京・テアトル新宿など全国で順次公開される。