「この国の空」二階堂ふみ&長谷川博己、あえて互いに距離をとり「瞬発力でやった」
2015年8月5日 10:00
[映画.com ニュース] 「ヴァイブレータ」(2003)などの脚本を手がけた荒井晴彦が、「身も心も」(97)以来18年ぶりにメガホンをとり、芥川賞作家・高井有一氏による同名小説を映画化した「この国の空」で、戦時下でひかれあう男女を演じた二階堂ふみと長谷川博己が、インタビューに応じた。
映画は、終戦間近の東京で母と暮らす19歳の里子(二階堂)が、妻子を疎開させ隣家で1人暮らしを送る銀行員・市毛(長谷川)と交流するなかで恋心を抱き、自身の“女”に目覚めていくさまを、繊細なタッチで描く。
「地獄でなぜ悪い」(13)に続き2回目の共演となる2人だが、長谷川は「これからどういう風に羽ばたいていくのか、すごく見たい気持ちにさせてくれる」と二階堂を絶賛。今回の撮影ではあえて互いに距離をとり、「瞬発力でやった」と明かす。対する二階堂は、映画の中の長谷川の“目つき”に注目してほしい、と語った。
劇中で描かれる、既婚者の市毛と里子の関係は“許されざる恋”ともいえるが、二階堂は、あくまで戦時下という状況下で起こったことであり、「恋でも愛でもない」との見方を崩さない。「戦争がなかったら、市毛は妻子を疎開させずに仲良くやっていたのかもしれないし、里子は同じ年ごろの男の子と恋愛をしたり、結婚できたかもしれないじゃないですか。荒井監督も恋ではなく体で欲しているとおっしゃっていて、里子が主導的になって、生きようとしているから生まれてくる関係性だと思います」と考察した。一方、「役者は素材に過ぎない」と自らのスタンスを語る長谷川は、市毛を「普通の人間」としたうえで、「僕がやるってなったときに、客観的に考えて、得体のしれない人間でいた方が面白いかなと思った」と演技プランを明かす。「里子と市毛の家を隔てる垣根は、作品の中で結界的なところがある。異界に足を踏み入れることによって、里子がどうなっていくかというのがこの映画の楽しさ」だとした。
また、エンドロールでは女流詩人・茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」が象徴的に使用されるが、そこには二階堂と監督の不思議な縁があったという。二階堂は、「脚本を読んだときに茨木先生の詩を思い出して、監督と初めてお会いしたときに同じことをおっしゃっていたんです」と、2人だからこそ生まれたシーンであると明かした。