悪は存在しないのレビュー・感想・評価
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とっても嫌らしい作品
最後まで見た時の自分の感情が、
「なんでこの結末だったの?」
と疑問を抱いたことに、後々くらってしまう。
そんな作品でした。
冷静に思い返してみれば、
この結末にたどり着くことは、
全然あり得たことで、
けれど、それに気づかずに観てしまう。
そして最後に後戻りできない場面にぶち当たる。
そんな風に撮られた作品だ、と思いました。
自分が鈍感な部分があったのだとも感じますが、
逆に言えばそんな鈍感な人間を、
ぶっ叩くような作品だったとも思い、
非常に嫌らしい作品だと思いました。
自分がきちんとした感性を持って生きていたら、
どんな結末を迎えられるだろうか
そんな風に、じわじわと思いながら家路に帰る。
はまぐちさん、
ぼくは貴方とこの作品が、
嫌いでありそして大好きです。
鹿に表されたものは何者か
悪は存在しない
では存在とはなんなのか
善とか悪とかではない
上映時間106分濱口監督としては短め
山村の里にグランピング場建設を東京の芸能プロダクションが企画
コロナの異常な社会状況
歪んだ生存危機感
コロナウィルスに怖れる
経済的に追い込まれる
日本の体力低下、空気感がリアルで
グランピング説明会のシーンで不快な気持ちに全身が支配された。
映画的に濱口監督の思惑通りにしてやられた。
そしてラストシーンに至るまで、ずっと居心地の悪さ
鹿はメタファー
「ディアハンター」
「聖なる鹿殺し」
「クィーン」
などなど
洋画には鹿が意味を持つ存在だけど邦画では初めて🦌鹿の印象深いシーン
この物語を支配する
巧とは何者であるのか?
鹿は巧のメタファーなのか?
悪は存在しない
では善なるものはどこに存在するのか
善人よ踠けと言ったナワリヌイとは違う感覚
国民性なのか。
終わりのない問い
#悪は存在しない
#濱口竜介監督
#映画
水問題だけではなく バランス
ロングショットを多用した山里の風景が、端正なBGMと相まって美し...
タイトルなし(ネタバレ)
人間同士お互いをリスペクトしつつ話し合いが大切で、そして野生動物には適切な対応が重要だが、どちらも簡単ではないのだ。「これが正解」が無いのだ。
3部構成の、2部の辺りで悪者はいないと感じさせる演出が上手だと感じる。
当然 音楽がとてもマッチしている。
むしろ監督から悪意を感じる。
私の頭では理解できなかった。それはラストシーンのみならず、この映画全体の話で、ダラダラ続く序盤のただの日常風景に、ドキュメンタリー風の会話劇。最後の最後は、え?これ結局何の話なん?ファンタジー?あの親子鹿の化身かなんかですか?ってなった。
これはこんな方法で観る側に「悪」の定義を考えさせてみたけど、どないでっしゃろ?斬新でっしゃろ?最後びっくりしたやろ?凄いやろ?みたいなことなんかな。もう、回りくどいし、ここまできたらなんか怖い。
特に「金に困ってない」って言ったところはほんまに怖かった。絶対親父裏で何かしてるやろ。むしろこの町全体で何かしてるとか?だからよそ者にうろちょろされると困るとか?もう、そう考えた方がよっぽどしっくりくる。久々に頭痛しそうな映画観た。
斑尾はとんでもないことになってるよ
開発と環境保護って視点は単なるメタファーで
世界の対立の全てはこの映画の中にあって
宗教とか文化とか自分達を形成してきたものを
別の価値観が侵食してきた時に対立は起こるんだけど
どちらにも言い分があってどちらが悪いとも言えない
ってのが根幹にあるのかなと。
お互い興味を持って歩み寄れば良いんだけど
距離の詰め方がバグってたり
利己的な意思が働いてたり
逆に利他的すぎたりすると
何か不穏なことが起こるよって。
そんなことを伝えたいのかなと思ったり。
物語が動き始める前30分の睡魔との戦いが
1番しんどかったけど、逆に言うと
「SLEEP マックス・リヒターからの招待状」よりも
よく眠れそうな映像と劇伴とも言えるかも。
とはいえこの作品で眠りに落ちたくても
例によってサブスクには回らなそう…。
レビューのタイトルは
サイレントではなく
"ノイジー"インベーションが始まってる
日本の水源と自然に対して
国民はもっと知るべきと言う意図を込めて。
根っこは同じ?悪意のある欧米人は
日本人のことを人なんて思ってないし
この映画の主人公みたいに自然は自然のまま
なんて1ミリも考えてないよ。
何せ奴らの文明は森を壊して砂漠化させるのが
常套手段だからね。メソポタミアも
チグリス・ユーフラテスもエジプトも黄河も
今や砂漠だと言うこと忘れちゃダメ。
結局縄文から1万6千年脈々と
森を恐れ敬い続けてしっかり残せたのは
日本人だけなんだよな。
そう言う意味では
主人公の生き方はとても縄文的ではある。
期待しないって大事
当方、濱口さん監督/脚本『偶然と想像』が大好き人間。
当然本作も公開前から気になっていたが。。。
いざ鑑賞すると、え??????
まず、本題に入るまで長すぎる。
あまりにも長すぎる故にのちの伏線が隠れているのか
逆に目を凝らしていたがやはり長すぎた
説明会のシーンでようやくここから面白くなるか?!と
期待を膨らませたが、このディベート大会、作中でジャッジメントつかないのは非常にもやもやする。
悪は存在しないということを主張したいのは分かったが、
続編が無いのならばストーリーは完結しないと絶対駄目。
これ、制作者自身もラストをどう落とせばいいか分からなくなってしまったんじゃないのか?!という曖昧さ
実際にはそうじゃないかも知れないけど、観る側にそう思わせてしまう時点でアウトな気がするが、、
そんな根本的なことが出来ないのならば映画創るな~~!
何という終わり方をするんだ!
アラ探しをしたいわけではないが
学童に迎えに行く時間を忘れるのも子供を一人で帰すのもあり得ない。児童の事件が今までどれだけあったか。グランピングの説明会も正論ばかりであり得ない。実際は理屈じゃなく、ただ嫌なものは嫌という感情むき出しのもの。芸能事務所の社長もコンサルも、今どきあんな分かり易い俗っぽい悪人っているの? 車の中での会話もあり得ない。お互いのこと全然知らないのに婚活の話をする? 薪割りをちょっとやっただけで、人生観が変わるとかグランピングの管理人をやるとかあり得ない。病んでいるの?
冒頭とラストや森の中を歩く長回しは美しくも効果的とも思えない。ただ眠いだけ。観光牧場じゃないのだから、娘が牛にエサやりなどあり得ない。病気になったらどうするの。グランピングのし尿処理は許せないけど牛ならいいの? 牛糞堆肥作りでも地下水は汚染されると思うけど。チョークスリーパーの達人は、もっと短時間で落とします。薪割りで鍛えているなら喉の骨を潰します。私柔道やっていたので、絞め技も得意でした。鹿を撃つときは頭部を狙います。苦しませないこと、肉が傷まないために。外し過ぎでしょ。おまけですが、歳を取ると温かいお湯でもうまく感じます。濱口監督はまだ若くて、人生経験が浅いね。
悪は存在しないの題も軽い感じです。自分の正義を主張する人には悪意が無いということ? それとも自然の行いには悪も正義も無いということ? 巧の行いも正義になるの? 不条理な映画は正義なの?
棒読みや違和感だらけのセリフと演技で、この世界観分かるかと監督に問われているの? 黒澤だって北野だってコケることもある。周りのスタッフは監督のイエスマン? まだ巨匠でもないのに。分かりにくい映画や独特の世界観のある映画があることは知っているけど、この映画を評価する人とは気が合わないのは分かる。
水は低い方へ流れる。
水は低い方へ流れる。だから、上に住んでいる人間はそれなりの義務があるという。ならば、文化も教養も高い人たちがそれを下々の愚民に与えるときも、それなりの義務はあるでしょう。僕は愚者なので、このラストをどう解釈していいのかわからない。冒頭からずっと続いていたタラタラした時間の流れも、きっと何か心の晴れるような気づきを与えてくれるのだろう、だからじっと堪えて見届けよう、と我慢していた。その何かが謎解きであろうが、哲学的な示唆であろうが、ちゃんと最後に用意してくれていると見入っていた。それがあのラストだ。あれがその何かだと言われても、なるほどそうですかとは答えにくい。わからないからこそお前は愚者なのだと言われても、そうですよそれが何か?と開き直る気分だ。別にいいですよ、僕の立ち位置がタクミでなくてタカハシでも。調子のいい方に流されやすいと言われても。けっこう煩悩にまみれているので。めんどくさい奴と言われるよりも全然ましなので。ちょっと★がついているのは石橋英子の音楽の心地よさの分。
すべて意味のわかる形をしている意味のわからなさ
とりあえず、監督の作品の中では一番好きだが、
終盤「頼むからここで終わるのはやめてくれ」と願ってたら終わってしまって
「…………え!!!!?????」となった
始終わかりやすい映画なのに終盤の短時間で地面をひっくり返されるくらいの不可解が襲う。その不可解の不可解さはすべて意味のわかる表現をしているからこその不可解さで、今まで味わった事のない鑑賞後感を味わった。
くやしい気もする。
まんまとという気分だ。
もう一度見て、ラストに繋がるヒントを探したいし、これを観た人の意見もききたくなるし、語りたくなる。
くやしい。
しかし、終盤の展開がなかったとても、この映画が好きだ。
くやしい。
濱口監督のセリフ回しは岡田利規を思い出す。と思って検索をかけたら、2人のトークイベントが引っかかった。お二人の繋がりは正直よく知らないのだが、「テキストを発話すること」についてのトークだったようで、なるほどと何か腑に落ちる。
濱口監督の演出は言ってしまえば棒読みなのだが、舞台演劇(特に岡田利規)を観たことがあると、それはただの棒読みではなく「演劇的棒読み」とでもいうメソッドなのだとわかる。
棒読みで長回し。なのに、聴いていると驚くほどテキストの意味が「入って」くる。心地よさを感じる。
(比べて申し訳ないが山﨑貴の演出と真逆だなぁ…などと思った)
悪は存在する!
相性が悪い
悪意は存在する
冒頭は30分ほど巧の“慎ましい暮らし”の描写が淡々と続くのだが、もっと端的に表現できないものか。
終盤はやや改善されるものの、基本的に1カット1カットがあまりに冗長。
序•中•終盤に入る梢をスライドで映すカットも、尺を取る割に意味不明。
ブレもないので誰かの目線でもないだろうし…
説明会のシーンは、住民側がハナから喧嘩腰で不快。
金髪なんてそのために最前に陣取ったとしか思えず、冷静なのは区長くらいだった。
芸能事務所側は確かに補助金狙いかもしれないが、高橋たちは途中から神妙になってたし、閉会後の対応も真摯。
もちろん善ではないが、コンサルの語るビジネスの側面も全否定はできない。
悪は存在せずそれぞれに正義がある、というありきたりの話なのだろうか。
それでも、いくつかの悪意は間違いなくあった。
高橋と黛の車中の会話は好きだった。
ナビっぽいのが付いてるのに携帯を使ってるのは、婚活アプリの話をさせたい意図を感じたけど。笑
うどん屋のシーンは単体では良かったが、唐突なギャグへの戸惑いが勝ってしまい勿体ない。
ラストは、特に本筋に絡んでなかった花の行方不明からの、巧の不可解な行動で唖然。
結果、娘は怪我をするし、あれで計画が止まるわけでもないし、一体何をしたかったのだろう。
打ち解けてきてたし、花の捜索も手伝ってくれてたのに、鹿の話だけで殺意へ振り切れた?
深遠なテーマがあるのかもしれないが、印象に残ったのは社会人の悲哀でした。
確かに悪は存在しないが悪意は時として現れる。
世の中には理解されることを拒否した映画というものがある。芸術家を気取った演出家や俳優が高尚にみえる理屈を振りかざし観客の解釈を意地になって否定するといった類のものである。
濱口竜介監督の本作も一見そのような作品に見える。「ドライブ・マイ・カー」でアカデミー賞を取り、本作ではヴェネツィアの銀獅子賞を取った濱口への期待感は凄まじく今日の劇場も満席だった。それだけにがっかりした、よくわからないという感想も多いのである。
私は濱口が自分本位のゲイジュツ映画をつくったとは思わない。彼は商業映画の制作者としての立ち位置を十分理解しているようだし自分はこれもそれなりに面白かったから。
ただこの映画を理解するために、というか共感するためには気づくべきポイントが2つあると思う。
1つ目は単純な二項対立は排除されていることである。「善と悪」そして「自然と人工」、「田舎と都会」、「無垢と不純」。グランピング場の造営を企む企業が自然豊かな町に乗り込んでくる話なので対立構造になりがちであるがよく観ると単純な善玉、悪玉の設定はなされていない。企業側、町側の双方に戯画的人物が配されている。企業側はいかにも軽薄なコンサルタント、町側ではすぐエキサイトする金髪の兄ちゃんなど。(余談ながらこのコンサルはいかにもの感じですね。ロジックの組みたて方なんかが。こういう人たちには自分もひどい目にあわされたのでよく分かります)
巧の娘の花も純粋無垢というよりは何か屈折のある危なっかしい娘に見えるしそもそも巧が得体がしれない。(演技力がないからだけかもしれないが)
つまり登場人物はすべて等価であり価値観の色付けはされていない。これは大事なところだと思う。
2つ目のポイントは感覚的なものであり全編を覆う不穏なというか不吉な感じである。これは挿入される何か不安定な感じの音楽にもよるし、ぼそぼそとしたセリフ廻しからくる印象でもある。時としてシーンが突然カットされるようなこともあるし、特定の画面でカメラを固定して(例えば学童保育のシーン)妙に狭苦しく感じさせるようなところもある。
そのような演出でストーリー展開に緊迫感を与えるとともに、世界観に奥行きを持たせているのである。
我々の生きている世界は、表面上は穏やかであってもひと皮剥けば内側には薄暗いものどもがうごめいているのではないか。それは一言でいえば「悪意」という概念で説明できる、そういった世界観である。我々は知らず知らずのうちに我々の社会の作り出した悪意の固まりに絡み取られている、通常はそれは人々の善意や努力で覆い隠されているが時として噴出することがある。
この映画で濱口が描こうとしていることはそんなことではないかと私は思っている。そしてそれはすでに「ドライブ・マイ・カー」で濱口はやろうとしたのではないか、ただあの映画は原作者の意向もあったし達者な役者が多く出演したため監督の思いは封印された。やりたいことはこの映画で実現されたのではと思っている。
でもこの世界観はあまりポジティブとはいえない。だから濱口は明確にコメントしていない。次作を観れば多分わかるよね。
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